―――いつものコーヒー……全く味がしない。

 空気さえ鋭くて、簡単に吸い込めない。

 出張後も、報告書に打合せに、追われてたはず……

 疲れもたまって、やっとの休日だと思う。

 少しでも休息を、って……
 私には、そんな心配する権利はない。

 追い打ちをかけて、彼に心労をかけてるのは私だ。

 素っ気ない返事に、短い通話、ごめんを続けて……
 大事な話がしたいと告げた。

 応じてくれたからには、察しがついてると思う。

 いつも利用していた駅のカフェ。

 テーブル上のリングケースと合鍵を、じっと……優さんは見ていた。


 私が梶くんを選んだ。

 出会って今まで、惜しみない愛情をくれた……この人に、さよならを告げる。

 終わらせるのは、私だ。

「……私、もう、これを持っていられない」
「……持って……か。お荷物に、なっちゃったのか」

 優さんの視線は、変わらない。

 私たちが愛し合っていた証しを、ずっと見つめている。

「私に婚約者でいる資格がないの」
「梶くんと、何かあった?」
「私が、私が全部悪い」
「おれのこと、嫌いになった?」
「優さ……」
「凜のこと大事に……
 梶くんに、何ができるの!?」

 ばっちり、目が合う。

 ちゃんと見て、私! 
 目を反らすな!!

 優さんをこんな風に……
 苦しんだ顔をさせてるのは、私のせいだっ。

 言葉で、はっきりと伝えなきゃいけない。


「私が、梶くんのそばにいたいの。片時も離れたくないの」
「……それ、おれが一番、欲しかったセリフ」


 グッサリ、突き刺さった。

 心を、動ずるな。私!

 今…世界一、サイテーな女だから!

 優さんとの約束を放り出す。
 私が嘘つきで浮気者な罪人なんだ。
 涙なんて、流せる権利もない。

「そんな冷たい顔……初めて見た。でも、おかしいんだ、おれ……。まだ知らない凜を見ると、愛おしい……」
「……もう、会いに来ないよ」
「……わかってる。好きとか嫌いとか、そんなのじゃなく。君らは、魂で惹かれ合ってる。ってわかってて……大見栄切ったのは、おれだから」

 優さんはケースと鍵を、手の中にしまった。

 はっ!
 これで最後に……

「優さん」
「凜……さよならは言わないで。
 今は手離すけど、おれに自信がついたら、今度こそつかまえに行く」

 どんな優さんより、一番男らしく……去って行く。

 店を出て見えなくなるまで、彼の背中を……視線で追いかけた。

 最後まで、甘やかさなくていいのに……優しくなんて……
 もう十分、愛してもらったから。

 ごめんね……

 ちゃんと、優さんだけを一番に愛してくれる人と、幸せになって――。


 彼の背中を、目に焼き付けておきたくて、両手で視界をさえぎった。

 深い呼吸をひとつ。

 ……会社、辞めなくちゃ。
 優さんが戻って来づらくなる。

 それだけじゃないか……
 来年、正気を保ってられるか、自信がない。


 梶くんのいない世界で、私……


 会社の姉さんになんて伝えよう……
 お父さんお母さんになんて説明すれば……

 なんて私、こんなにも弱い人間なんだろう。
 今、気を抜いたら、泣きそうだ。

 私が勇気を振りしぼれたのは、強くいられたのは、大切な人達が私を……いつも支えてくれてたからでしょう?

 その人たちを悲しませるなんて。
 本当に私は、よっぽどの大馬鹿もんだ。


 暫く後に店を出た。
 思い出の店も、これが最後だ。

 今日は雨で良かった。構内の雑音もいっぱいする。
 改札を抜けて、私の帰る所へ。

 私を待つ人の元へ戻るまで、雨が情けない心を洗い流してくれるのを願った。