―――窓からもう、鈴虫の音は聴こえてこない。

 秋のにおいを漂わせた寂しい夜風が、頬を撫でて通り抜けてく。

 東京からの帰り道。
 痛み痛ませ……全てが苦しい現在を、受け止めるのに疲弊した。

 何も手につかなくて。
 自室の机に伏せ、時間をやり過ごしていた。

 そばには、スマホとガラケーと。

 どっちからの連絡を待ちわびているのか……

 現実の世界にいたいのか。
 過去と夢の世界にいたいのか。

 自分でもワケがわからなくなっていた。

「ん……?」

 気の抜けた意識の中で、ほわっと、かすかに…… 

 優しいキスでもされたかのような―――
 錯覚に揺らめいて。

 そして、耳の中へ聞き覚えのある振動が届いた……気がした。

 ブルブル 。
 その音は、昔……遠い記憶の―――
 
 ずっと…… 

 毎晩待ち続けた―――

「はっ!?」

 ガラケーが震える、着信だ!


 ガタンッ、バタバタ…… 

 感じたままに飛び出した!

 そばにあった、それをつかんで。
 呼ばれた、その場所へ。

 もう、止められないっ!


 私の奥の、奥に閉じ込めた、子供のわたしは……

 さよならを、ちゃんと言えなかった、わたしは……

 いつだって、梶くんを追いかける―――。


 今の私は……

 まだ、さよならを、言いたくない私は……

 梶くんの……そばにいたい――。


 過去のわたしも、今の私も、大事にしたいのは……

 誰よりも梶くんだ!



 指輪は……外してきた。

 違う!
 落ちるからじゃない。

 はめて、いられないから。

 左手はガラケーを強く握りしめていた。


 タッ、タッ、タッ、タタッ。



「はっ!」

 息を切らしながら、視線で捕まえたのは―――

 梶くんがソファで眠る姿と、目尻からこぼれる…………一筋の涙。

 梶くん……

 一瞬で胸を締めつけられて、私まで泣きたくなった。


 約束したのにっ。
 私が誓ったのにっ。

 ごめんね、梶くん……

 ひとりぼっちにさせたから、つらかったよね―――

 ひとりで、寂しかったよね―――


 もう、ずっと―――そばにいるから。


 そろりと迷いのない足は、梶くんの一番近くにたどり着いた。

 そっと手を頬に当てて、ゆっくり涙を指で撫でる。

 切なさと恋しさと……
 胸の奥で渦巻いて膨らみ上がる。


 こんなにも、私の心は、梶くんを大切にしたかった―――。

 梶くんのこぼれた痛みを、私がやっともらい受けた。