『 ありがとう、凜。じゃあな 』

 あぁ、そうか……
 さっきバイバイした時、また10年前と同じ最後の言葉だったから。

 私、咄嗟に呼び止めたのかもしれない。

 梶くんはあれから本当に東京に転校してしまって、連絡もできず……
 失恋を結構、引きずったから。

 ちょっと思い出すと、しんみりしてしまう。

 けど、ようやく報われたような、さっきの再会が心の底から嬉しかった。

 梶くんがサッカー続けられてること、笑ってくれたこと、本当に良かった。

 ついさっきのひとときを思い返して、表情が一段と緩む。

 でも、検査って……手術でも受けるのかな?
 どこか故障してる?

 ここをスポーツ選手がよく利用することは、父の入院時に知った。

 梶くんも、まだこっちで通院するだろうか?

 そんな考えを巡らせていると、呼び出しが。用事が早くに済んでしまって、ふとスマホを手にしたとたん……心が一瞬跳ねた。

 梶くんにまた会える……?

 できるならちゃんと連絡先を知りたい、と過去の後悔と重ねてしまった。

 もう同じ想いは繰り返したくない……。

 今の私なら堂々と梶くんを応援できる。
 サポーターとして応援したい、と伝えたい。

 ぐっとスマホを握る手に力が入る。
 早足でもう動き出してた。

 自分で考えるより、必至になって、梶くんを探してる……

 広い院内をうろうろ、キョロキョロ。外も見て回ろうかと思ったとき、見覚えのある後ろ姿が視界に入った。

 いた! 梶くんだ!

この病棟から離れて行くようだ。男性の看護師と歩いていて、どんどん遠のいて行ってしまう。

 待って!
 早く追いかけなきゃ……

 見失わないように目線を固定して、梶くんの背中を視界から離さずに。

 あぁ待って! 
 時折、小走りに後をつける。

 この角を曲がって、あっ、また曲がった。もう少しで声が届きそう……

 あ、れ……?

 焦ってた気持ちに急にブレーキがかかる。迷いと躊躇が交錯し始めた。

 私 、この通路…………進んでいいのかな――?


奥の棟につながる、この長い通路の先を
梶くんは歩いている。看護師さんと別れて、梶くんはもう少し進み、壁の向こうへ消えた。

 どうしたんだろう、私……?

 頭の中がふわふわしてきた。

 ただ操られてるように……
 梶くんの消えた場所に、引っぱられてるみたい。

 前から歩いて来る2人の女性看護師が、私に会釈をしてすれ違った。

「さっきの若い男性が梶さん。
 今週入居されて、岸先生の―――」

 2人の会話が背中ごしに耳に届いて、かすれていった。

 何?
 ……梶くんの事?

 もう体中がふわふわしてる。



 頭も、耳に入る雑音も、鼓動も、ざわざわして止まらない!

 私、たぶん、知ってる……
 梶くんが入った所、そこには行きたくない気がするの。

 怖い、でも。

 梶くんにたどり着きたい。
 また、会いたい!

 私は導かれた、その壁の向こう側を、ゆっくり覗きこんで――――――

「っ――!!」 

 梶くんの姿をそこに確認してしまった。

 入口に呆然とたたずむ私と、梶くんの視線が重なった。

「はっ!!」

 息をのんだまま、固まった彼の表情。
 きっと、私も同じ顔をしている。

 陽が沈む暗がりの部屋で、梶くんを包む影が、より恐怖を感じさせた。

「……どうし、て?」

 全身がこわばって、声が震える。

「どうして、ここに……?」

 聞きたくないのに、怖いのに―――


「…………ここって、
 “ ホスピス棟 ” だよね ――?」


自分の声でいっきに空気が冷えた。

 時が止まってしまったかのように、まばたきもできず、強い視線で見つめ合う。

 目の前に凍りついた氷の壁が張って、動いたら、音を立てて、崩れそう。

 私達の視線が辛うじて、崩壊をせきとめているみたいに……

 どちらかが下手に動かしたら、緊迫したこの空間を元に戻せない位、壊してしまいそう。

 梶くんの沈黙は……。

 違う、違う! 
 間違いだよね?

 私、否定してほしくて確かめたの。


 ―――また、なの?    

 昔も梶くん、部室で私の質問に答えてくれないで……
 そのまま、いなくなったよね?

 ちゃんとお別れできなかったよね??

 さよならを、言わせてほしかったのに……

 嫌だ!!


 つかまえたい、と扉のそっちに一歩越えようとしたとき―――

「っ俺、ガンなんだ!」 
「!?」
「小児の難病も併発してる」

 その言葉が突き刺さった―――入ってくるなよ、私をさえぎるように。

 何を……? 
 え、梶くん、何を言ってるの……?

「う、そ……。え?  やっ、だって……」
「……ふたつの進行を止めることができない。その時が来たら……あと、余命3カ月」

 梶くんは真っすぐ私を見たまま言った。

 どうして?
 どうして彼を追いかけると、いつも残酷な現実にぶつかるのだろう―――。


『あと、余命3カ月―――』

 梶くんは、そう言った。

 待って、やめて!
 ……理解できないよ。
 そんなの信じたくないっ!!


「梶くん……本当のことを……」
「ほん……“ ほんとう ” なんだ。
 俺……生きれない」
「っ!」

 梶くんの顔がつらそうに、真剣に、本気のまなざしで、私に訴える。


 ……梶くん、死んじゃうの ―――??


「あっちでガンが見つかって……
 シーズン前にクラブも退団した。
 運がイイのか悪いのか、遅発性の病気も見つかって……」

 梶くんはおなかの辺りをぎゅっと、手で押さえつけた。
 そこに命を奪うものがいる。梶くんの中に。

 梶くんは嘘を言っていない―――そう確信できてしまった。

「始めはガンだけなら、完治も望みがあった。でも小児難病は、本当なら……
 大人になるまで生きれないらしい。それ、今になって発病するなんて……ウケるだろ?
 ……っ!」
「……ウケないよ、こんな時に……」
「真野……泣かないで。笑うトコ」
「笑えないよっ……だって、梶くんが泣きそう!」

 私は急いで頬をぬぎはらった。
 勝手に流れる涙が邪魔だった。

 泣きたいのは、梶くんのほうなのに……
 無理に苦笑いなんかして。

 梶くん周りに気遣い過ぎなんだから、我慢しないでって。昔からそうだった。

 だから、梶くんよりも悲しんではいけないかったのに。

「俺、引きがイイんだよ。
 ここの先生と会って、難病の研究と治験に協力してる。こんな俺でもまだ、役に立てることあるし。突然死ぬより、期限あるほうが幸せだろ?」


 無理矢理に、なんてことない……風に梶くんが言う。

 何も変わってない、梶くんは。

 前向きで弱音を吐かない!
 ひとりでも強いアタリ、交わしてゴール決める。

 私はいつも、背中ばっか追ってた。

 ……ひとり?


「梶くん、家族、おばあちゃんは?」
「……ばーちゃんは、俺がハタチのとき亡くなった」
「え? ……じゃあ、誰か支えてくれる人……恋人とか友達とか」
「…… 深く人付き合いもしなかったし。スマホも、もう解約してつながらない。
 全部、身辺整理してここへ来たんだ」

 ……本当に、ひとりぼっちになって―――。

 ここに来るまで、ひとりで病と戦ってたの?

 ひとりになる為に、何もかも置いてきてしまったの??

「……だめ。ダメだよ! ひとりでなんて」
「真野……」

 これからツライ時、弱った時、励ます人がそばにいなかったら……

「私……私たくさん来るよ! そうだ、みんなにも……」
「真野!」
「みんなにも声かけて、タケくんとか」
「凜!!」 
「っ!!」
「……そーゆーの、しんどい」


「梶さん?」
「「 !?!? 」」

 トントンとドアをノックする音と同時に声がした。
 振り向くと背後に男性の看護師が立っていて、私達を交互に見た。

 さっき梶くんと外来病棟から歩いていた看護師だ。

「……春見さん、そいつ頭ぶつけて。見てやってくれる?
 あと……出口、案内してあげて」
「っ!?  待って梶くん、もう少しだけ……」
「真野、最後に会えて嬉しかった。じゃあな」

 梶くんは私の言葉を受け止めずに、一方的に別れを告げて。

 そっぽを向いて、うなだれた……。

 もう話したくない、そうゆう態度だとその背中が言ってる。

 最後に、って梶くんが拒んだ。
 私には何もできないよって突き離されたら、それに従うしか……。

 私の落胆を見て悟ったのか、看護師にこちらへと促される。

 私は最後の一瞬まで、梶くんの後ろ姿を目に焼き付けてから、病室を離れた。

 酷く重たい心でトボトボと看護師についてゆく。


「―――少し赤くなってますが、
 冷やしておけば大丈夫だと思います。
 保冷剤さし上げますね」

 春見さんという看護師が、ナースセンターの中で手当てをしてくれた。

 優さんより、年上。私とひと回りは離れていそうだ。落ち着いていて、ベテランに見える。

「あの……梶くんは、……本当に残り少ない命なんですか?」

 居ても立っても居られず話しかけた。この人は全部知っているはずだ。

 すごくひきつった梶くんの顔。

 あぁ、私、梶くんを困らせてる……。

 いつもなんだよ、梶くんの為にって、想えば想うほど、迷惑をかけてる。

 どうやっても、少しも役に立てないんだ ……。

「……守秘義務がありますので、ご家族以外お答えできません」

 父の入院時みたく親切になんて、教えてくれないよね。私は梶くんの家族じゃない。

 でも……梶くんの家族は、もう誰もいないのに。

「そう、ですか……」
「それ、外来の。私が返しておくので」

 春見さんは私の胸元の受付札を指した。

「あ、はい……ありがとうございます」
「出口はそちらです」

 ナースセンターの正面に手をかざした。梶くんがお願いした通りに、そう私を対処しているのだ。

 私もその意に沿って、お辞儀をし出入口へ ―――すんなりなんて出来なかった。

「あの、私……お見舞いに来ることは出来ますか?
 また……梶くんに会いに来てもいいですか?」

 心が、気持ちが、梶くんから離れられない。
 梶くんに拒否られても、まだ、すがりたい!

「……ここには、死の宣告を受けた方しかいません。その絶望と向き合う覚悟がない、のなら……
 あなたはもう、2度とここへ来るべきではないでしょう」
「っ!!」

 カシャーン、と頭の中で何か割れた。

 破片がポロポロと体のあちこちをすりながら、落ちてく……壊れてく……。

 きっと、これが現実だ。
 梶くんの絶望だ。

 瞬時に暗い映像しか思い浮かばなくなった。
 未来を、今より先を想像できない。

 体中キリキリと傷つけられたかのように、力が入らないんだ。

 浮かれて、甘ったれた、私なんかじゃ……何もできない―――。
 
 梶くんの背中が伝えた通りだ。