「幸近兄さん大変なの! ねぇ起きて!」
テンはベッドで横になっている幸近の腕を両手で掴み、体をゆすった。
「どうしたんだよ朝っぱらから……」
幸近が目を覚ますと、テンの顔が目の前にあった事に驚きつつ、その深刻な表情に眠気が吹き飛んだ。
「大変なのよ! 助けて……」
「どうしたテン……お前がそんなに慌てるなんて珍しいじゃないか」
「タケマルがね……学校に行きたくないって言うの……」
「熱でも出たのか?」
「ううん、平熱だし具合が悪そうでもないの……どうしよう兄さん……」
今にも泣きそうなテンを宥めると、俺はすぐにタケマルの部屋へと向かった。
扉を叩き、声をかける。
「タケマル! どうしたんだ? 学校で何かあったのか?」
「なんでもないよ! 今日は気分が乗らないんだ!」
「お前の気分で世界は回ってないんだぞ」
「知らねーよ! 今日は休む!」
「何があったか知らないが、今日だけだからな」
リビングに入るとテンが駆け寄って来た。
「タケマルどうだった……?」
「今日は仕方ないから休ませよう。放課後中学校に行って担任の先生に何があったのか聞いてくるよ」
「このままタケマルが引きこもっちゃったらどうしよう……。もしかしていじめられてるのかな……?」
「大丈夫、何があっても俺がなんとかする。それにタケマルももう小さな子供じゃないんだ、信じてやろうぜ」
「兄さん……」
「お前はいつも2人のお姉さんしてて偉いんだから、たまには兄貴にも面倒見させてくれよ」
テンは俺のTシャツの裾をギュッと掴み握りしめた。
「私……みんながちゃんと学校に行って真面目に生活しなきゃ、この家を出て行かないといけなくなるんじゃないかと思って、心配で……」
テンの目からは涙が溢れていた。
「テン……俺達はもう兄妹なんだ。血の繋がりなんてなかろうが、俺はお前達とずっと一緒に居たいと思ってるよ」
「にぃさぁん……」
日々溜め込んでいたものが爆発してしまったのだろう。初めてテンの大泣きする姿を見て、いつもはしっかり者のお姉さんだが、やはりまだ中学生の女の子なのだと実感した。
俺は放課後になると、タケマルの担任の先生に連絡をとって話を聞くことにした。
「学校で何かあったのでしょうか?」
「私の見ている限りタケマル君はクラスメイトとも仲良く過ごしていると思います」
「ではイジメなどはないと思って大丈夫ですか?」
「えぇ、むしろ彼はクラスのリーダー的な存在だと思います」
「そうですか……」
「でも心配ですね……もうすぐ授業参観もありますし」
「それはいつですか?」
「6月3日です。タケマル君からプリント預かってないですか?」
「すみません、忙しくて見れてなかったのかもしれません……」
家に帰ってからタケマルと2人で話をすることにした。
「タケマル、2人でラーメンでも食いに行くか」
「なんだよいきなり」
「たまには男だけで飯食うのも悪くないだろ」
「まぁいいけど……」
店に着いてから少し世間話をした。
「学校で友達は出来たか?」
「クラスのみんなとは仲良くなったよ。部活にもいっぱい誘われてるんだ!」
「すごいじゃないか、お前がやりたい事を選んでやればいいよ」
「でも……」
何かを言いたそうにするが、途中で口をつぐむ。
「遠慮せずに言ってみろよ。男同士、隠し事はなしだ!」
「……俺はみんなとは違うんだって、クラスのみんなを見てるといつも考えちまうんだ。みんなの普通はオレには分からない……。
幸兄、親がいないのっておかしいことなのか? みんなは授業参観に親が来るのは恥ずかしいから嫌だって言うんだ。でもオレは親がいないから、そんな気持ちにすらなれない。オレはやっぱりみんなとは違うのか?」
俺は、正直に言うと返答に困った。壮絶な過去を持ち、この年まで学校という社会に触れてこなかった少年に、どんな言葉をかけて良いのか。教師でも親でもない俺には分からなかった。でも兄として……何か伝えようと、俺は自分の人生を振り返り、今まで出会った人達の顔を思い浮かべながら口を開いた。
「誰だって人と違う部分を持ってるし、それについて悩んだり苦しむ事がある。その内容が違うだけで、お前が言うみんなだって、それぞれ苦しんでるんじゃないかな……」
「昔、おじちゃんが同じようなこと言ってた――」
タケマルは、カレルに引き取られた時の話を始めた。
――数年前。
見せ物小屋の檻の中で手足を繋がれ、鞭に打たれるタケマル。
「客の前に出たらもっと愛想良くせんか! 何度同じ事を言ったら分かるんだこのバケモノがっ!」
その男は罵声を浴びせながら、タケマルに暴行を続ける。
その男の背後に、カレルが突然現れた。
「そこまでにしなよ? 流石にやり過ぎじゃないかい?」
「お、お前は誰だ!? どこから忍び込んだ?」
「彼を引き取りに来た」
「な、何を言っている! そんな話聞いとらんぞ!」
「そりゃそうだよ。いま僕が決めたのだから……」
カレルは注射器を男の首に刺し、麻酔を打ち込んだ。
「おじちゃん……だれ……?」
ボロボロのタケマルが尋ねる。
「僕はカレル」
「おじちゃん、オレを殺してよ……?」
「なぜだい?」
「もう……疲れたんだ……生きてたって、痛いし、お腹は減るし、良い事ないんだ……」
「君、名前はあるかい?」
「タケマル……」
「いいかいタケマル。苦しむことから逃げちゃいけないよ? 人生はずっと苦しいんだ。そして苦しさを知ると、いつか苦しみに慣れてくる。これは君にとって大きな強さになるはずだ。その強さを手に入れた時、きっと君は人の痛みを分かってあげられる人間になれる」
「もう十分に痛みは知ってる……」
「そのようだね。その傷、痛むかい?」
「痛いよ。いつも夜が明けるとパンパンに腫れてるんだ」
「違う。僕が聞いたのは体の傷じゃなくて、心の傷の方だよ」
「……なんでそんなこと聞くの?」
「僕にはそっちの方が、よっぽど重症に見えたからね」
「痛い……。体の傷より、ずっと……」
タケマルは、たまらず泣き出した。
「僕のところには、君と同じように心に傷を持った子があと2人いる。人は誰でも、それぞれ少なからず悩みを抱えながら生きているんだ。若くしてその痛みを知った君達は、きっと人に優しくなれる」
「オレの……この傷、治るかな……?」
「体の傷と同じで、生きていれば治るさ」
「そっか……じゃあもうちょっとだけ、生きてみるよ」
とある10月9日、タケマルがこの世に生まれてから2つ目の苗字と、誕生日が与えられた――
オレはその話を聞いて複雑な心境だったが、タケマルにとってカレルは親同然だった。綺麗な思い出のまま、この少年の心に生きる糧となって残り続けてくれることを、静かに願った。
「お前はもう、その頃とは違うよな?」
「うん。今は……あの時より、ずっと楽しい」
「自分が人とは違うなんて、当たり前の事なんだよ。自分と同じ奴しかいない世の中なんて、つまんないだろ」
「オレ、明日から学校行くよ! みんなオレがいないと寂しがるだろうからさ!」
「あぁ、友達を大事にするのが、子供の仕事みたいなもんだ」
翌日からタケマルは、いつも通り元気に学校へ登校していった。
「兄さん……タケマルのこと、ありがとう」
「あいつはお前の弟でもあるが、俺の弟でもあるんだ。お礼を言われるような事は何もしていないよ」
「でも……」
テンが言葉を詰まらせる。
「それとな、お前だって俺の妹なんだから、この先お前自身の事で何か悩みが出来たなら、ちゃんと相談しないと怒るからな」
「私は……自分のことは自分でなんとかできるわ」
「あんなに泣いてたくせにか?」
「それを言うのは卑怯よ! 兄さんのいじわる!」
「なんとでも言えよ。お前に兄さんって呼んで貰えるなら、俺はなんだってできるんだ」
「何よそれ……」
「いつでも頼れってことだよ。妹1人救えない奴が、警察になんてなれねぇだろ」
「そんなこと言って、毎日泣きついてもいいの?」
「おぉ! それは最高のご褒美だな。あんなにかわいい泣き顔が毎日見られるだなんて」
「もう知らない! 兄さんのバカ! 私先に行くからね、行ってきます!」
「おう、行ってらっしゃい」
――タケマルの教室――
「では今日は授業参観だから、保護者の方が来られるけど、いつも通りに頑張ってね!」
教室の後ろには、ぞろぞろと保護者が集まってきた。
「うちの親来てるよ、超恥ずいわぁ」
「え? 翔太君の親どれー?」
「あれだよ、あの緑の――」
教室がざわざわと盛り上がる中、タケマルは後ろを振り返ることなく、ずっと前だけを見ていた。
「あっ! いた! タケマルくーん!」
「えっ?」
呼ばれるはずのない自分の名前が背後から聞こえた事に驚き、振り返る。
「サーシャ姉? なんでここに?」
「タケマル! しっかり授業受けるのよ!」
「タケマルの勇姿、しかと見届けに来たぞ!」
「クリスタ姉に、唯姉まで……」
「あなたがモタモタしてるから遅くなったじゃないの」
「お前が途中で道間違えるからだろ。タケマル、しっかりやれよ?」
「ソフィ姉、幸兄……なんで……」
「えー! あれ全員タケマル君の家族なの?」
「すごい沢山来てるじゃん! しかも美人な人ばっかり! いいなぁ!」
「ま、まぁな! 俺にはおせっかいな兄ちゃんと、綺麗で優しい姉ちゃんがたくさんいるんだぜ!」
タケマルは嬉しさと恥ずかしさが共存する感情を味わい、皆が言っていたのはこれの事かと、思い知ったのだった。
憂鬱でしかなかった授業参観だったが、この時からタケマルは自分1人の為に用意された舞台に立たされたような、そんな感覚を味わっていた。
「じゃあこの問題分かる人ー?」
「はーい!」
「すみません、保護者の方はちょっと……」
「クリスタ姉! 恥ずかしいからやめてくれよ!」
「何よ、じゃああんたが早く答えなさいよ!」
「タケマル君のお姉さんっておもしろい人だねー!」
教室中が笑いに包まれ、無事に授業参観は終わった。
俺たちは5人で中学校から出ると、校舎の方から大声で呼びかけられる。
「おーい! みんななんでここに居るのー? 学校はー?」
教室の窓から顔を出す、夏鈴とテンの姿が見えた。
その問いに対して俺達は大声でこう答えた。
「気分じゃないからサボったー!!」
第2部4話 サボりの美学 完
《登場人物紹介》
タケマルの担任の先生
名前:
津田 松子
髪型:黒髪ショート
瞳の色:黒
身長:140cm
体重:35kg
誕生日:12月31日
年齢:26歳
血液型:A型
好きな食べ物:梅、無花果
座右の銘:環境より学ぶ意志があればいい
ラグラス:
不眠
眠ることを必要としない