「そういう人もいる中で、わたしみたいになにも成し遂げられない人もいる」

 海を背にして堤防に座り、彼女は思いつめた声で言う。

 僕は、彼女がこのまま夏の水に飛び込んでしまうのではないかと気が気でなかった。

「なにも成し遂げられない、ってことはないだろ」

 まず僕は彼女の言葉を否定する。事実、僕だって彼女に惹きつけられて突き動かされている。彼女が僕を変えてくれたのは疑いようのない事実だ。

 しかし、彼女に自覚はないみたいで。

「なにも、成し遂げられない。わたしはずっと、何者でもなくて、何者にもなれない」

 問題が違う。僕は直感した。

 きっと彼女は、例えば全国総体で優勝したり、あるいは国民的スター、延いては世界的スターになったとしても、虚しさを抱える。

 彼女は堤防に腰掛けたまま温くなった瓶コーラを一気に呷る。

 空のコーラ瓶が淋しい。

 言葉が見当たらない。

「未来」

 ただ、一言だけ言った。

 彼女は不思議そうな顔をする。

 僕は、また言葉を探す。

「未来の可能性、ってのは……本当はないかもしれない。でも、今死んだら、本来得られるはずだった未来を捨てることになる」

 彼女は納得しないだろうな。

「後悔ばかりの人生、もう失うものなんてない」

 彼女は、虚しく、悲しく、寂しく、慎ましく、悩ましく、切なく、辛く、侘しく、嘆かわしく――それくらい、言葉では表せないような、そんな優しい感情を浮かべて微笑した。

 じゃあ僕が何者かにしてやる、と言いたかった。失うものを作ってやる、と。

「……そう」

 僕には、愛と勇気が足りなかった。強く否定するほど、彼女を知っていなかった。

「このコーラ瓶、持っててくれる?」

「え? ああ」

 彼女から預かった、空のコーラ瓶。

 気を取られているうちに、彼女は塀の上に立ち上がる。

「ちょ、おい」

「僅かな希望をありがとう。また来世、誇れるわたしだったらまた会おう」

「待って、僕はまだ——」

 彼女が、夏水に跳ぶ。

 手を伸ばす。

 届かない。

 僕も塀をよじ登り、躊躇なく飛び込む。

 想像より、深い。

 深く深く、沈んでいく。

 目を開く。

 海水が目に染みて、彼女の姿はどこにも見当たらなくて——

 そのうち息が苦しくなる。身体にまとわりつく服のせいで、上手く浮上できない。

 勢いで水に飛び込んだのを心のどこかで後悔しつつ、そんなこと考える余裕もないほどに藻掻く。



「おい、目覚ませ」

 声をかけられる。

 背中と後頭部に硬い感触。コンクリートに寝かされているみたいだ。

「目覚ましたか。なにやってたんだお前。遊泳禁止だぞ」

 声の主を見ると、彼の服も同じように濡れていて。

 お前も泳いでるじゃねえかと突っ込みたくなるが、助けられた側だしなにも言えない。

「……夏だから泳ぎたくなる気分もわかるけどさ、これに懲りたらもうやめろよ? 着衣水泳は危険だろ」

「あ、はい……」

 でもこの人は着衣水泳で意識保ったまま僕のことを助けたんだよな。すごい。

 物が散らばった地面を見る。

 助けてくれた人のものと思われる鞄とナップザック、そしてコーラ瓶。

「ま、気をつけて帰れよ。そのコーラ瓶お前のか?」

「……まあ」

 僕はこのコーラ瓶を捨てる気にもなれず、コーラ瓶を握って、濡れた服のまま家へ帰る。

 彼女の行方は、まだわからない。