――好きです。付き合ってください。

 あの日。その言葉を聞いた日から、どのくらい経っただろうか。
 教室にある自分の机に荷物を置いて、窓の外を静かに見つめる。
 恋愛って、本当に綺麗なものなんだろうか。
 答えの出ない問いを今日も自問してから、席に座る。
 わからない。
 教室のあちこちでは、今日も色鮮やかな声が飛び交っている。
 その中でも、耳に残るほど上擦った声があがるのはやはり恋愛話、恋バナだ。

「カレシがね、この前の私の誕生日に可愛いお財布くれたの!」
「次の日曜、カノジョと初デートに行くんやけど、どうすればいい!?」
「ねえ聞いて聞いて! 先輩に告白されたーーっ!」
「よし、次こそは絶対あいつに気持ちを伝える!」

 彼も、彼女も、あいつも、こいつも。
 本当に高校生活には、青春には、恋愛が溢れている。

 ――好きです。付き合ってください。

 だからこそ、その一端を垣間見たい。
 手に持っていたスマホに目を落としてから、メッセージに返信をする。

 >>計画通り、実行してください。

 *

『え〜ただいまから、「告白ゲーム」を始めまーす!』

 大学受験対策のHRが始まった、11月29日金曜日。15時丁度。
 心地良い秋晴れが窓の外に広がる教室にて。
 聖奈が友達の桃果と麻耶と受験勉強の気晴らしがてら、放課後にカラオケへ行く約束をした休み時間の、直後のことだった。
 教室に取り付けられた校内放送用のスピーカーから、楽しげな女の声が聞こえてきたのは。

『ルールはかんたーん! 好きな人に告白して、OKもらって恋人同士になった2人から教室を出ることができまーす! それ以外の人は教室から出ちゃダメでーす! 出たら死んでもらいまーす!』
「はい?」
「ははっ。誰だよ、放送室で遊んでるやつ」
「それな。マジでいきなり何言ってんだ?」

 突如として響く意味不明な文言に、教室内がざわつく。今しがたまで受験対策スケジュールを説明していた担任の田町先生が、荒々しくチョークを黒板の縁に置く。

「おい、静かにしろ。授業中だぞ。まったく誰だ? こんな悪戯をしているやつは」

 苛立たしげに田町先生は教壇を降りると、教室のドアを乱暴に開け放った。そのまま足早に廊下へ出て、放送室のある右手へと歩いていく。
 直後、『アハッ!』とスピーカーから短い笑い声が聞こえた。

『丁度いいや〜! 田町センセ、見せしめありがと〜!』

 刹那、ガラスの割れる音が室内に響き渡った。
 続いて、ここ3年2組の生徒の眼前に広がったのは、血飛沫。教室前方の出入り口で、悲鳴をあげる暇もなく田町先生が胸から血を流して倒れ伏すまでの、一部始終だった。

「きゃああああああっ!?」

 一番近くに座っていた麻耶が金切り声をあげる。それを皮切りに、一瞬静まり返った教室内に動揺が走っていった。

「うそ、なになに!?」
「え、タマセン殺された?」
「うっ……おえ、気持ち悪い……」
「窓から何かが……まさか、狙撃?」
『はいはーい! 3年2組の皆さーん、静かにしてくださ~い』

 再び、スピーカーから女の声が流れてきた。相変わらずのんびりとした声だが、もはやそれを囃し立てる人はいない。
 女はひとつ咳ばらいをすると、楽し気な口調のまま言葉を続ける。

『えー残念ながら、田町センセーは撃たれちゃいました~。まあ生徒に手を出そうとしてたクソ先公なんで、同情の余地は微塵もないですけど。皆さんは、ルール違反なんてしないようにしてくださいね~。好きな人からの愛の告白じゃなくて、銃弾に心臓撃ち抜かれちゃいますからね~?』
「……っ」
『アハハハッ! はーい、それじゃあこのゲームには命がかかっていることを理解してくれたところで~、細かいルールを説明しまーす』

 そこで、教室のあちこちからバイブ音やら通知音が鳴り出した。聖奈も類に漏れず、徐にポケットからスマホを取り出す。

 >>【告白ゲーム】ルール説明

 さっきまで桃果や麻耶と見ていたSNSからの通知欄には、そんな文字が並んでいた。
 聖奈が周囲をうかがうと、誰も彼もがスマホをいじっていた。ここでDMの詳細を見てしまえば、引き返せなくなる。
 しかし、見ないわけにはいかなかった。
 聖奈は恐怖に震える手を叱咤して、画面をフリックした。


【告白ゲーム】ルール説明

①3年2組のクラスメイトに告白(※)してOKをもらい、恋人同士になった2人は教室から出ることができる。
 ※ここでいう「告白」とは、「特定の相手に好意を伝え、自分自身と恋人関係になる意思を確認すること」を指す。
 ※本ゲーム内では、既に恋人がいるいないに関わらず、告白された者を除く全員が告白しなければならない。
②制限時間はHRが終了する15時50分まで。制限時間を過ぎても教室に残っていた者は殺される。
③告白できるのは1人1回まで。告白を断られた場合は殺される。
④恋人同士となった2人は同時に教室から出なければならず、その時に恋人である証明をする必要がある。
⑤条件を満たさずに教室から出た者は殺される。


「なんだ、これ」
「告白って、え、ここで?」
「待ってマジ意味わかんない。帰りたいんだけど」

 ルール説明を読み終わったらしきクラスメイトから、次々と不満の声があがる。
 無理もない。いきなりこんなことを一方的に言われて信じられるわけがない。聖奈も頭が真っ白になり、思わず見知った異性である間中定彦の方へ視線を向けた。

「あ……」

 目が合った。
 しかし次の言葉を発する間もなく、スピーカーから陽気な声が聞こえてきた。

『はいはい、落ち着いてくださーい。皆さん、ルール説明は読みましたね? ということで、今から質問タイムとしまーす。時間もないので5分だけでーす。その後は早速ゲームに移ってもらいますので、疑問は今のうちに解消しておいてくださいねー』
「おい、ふざけんな! そもそもどうして俺らがこんなデスゲームみたいなことしねーといけねーんだよ!」

 スピーカーに向かっていきなり怒鳴りつけたのは、粗暴なことで有名な問題児、平野大毅だ。その表情には明確な怒りが浮かんでおり、隣に座っている桃果たちは距離をとっている。

『質問第1号、どうもでーす! 理由はそうですね~、皆さんに本当の恋愛について考えてもらいたいからでしょーか』
「は?」
『まあやっていくうちにわかりますよ〜。それよりも平野大毅くん、時間ないんですからもうちょっと有意義な質問してくださいね〜。その質問、進行に関係ないですし。そもそもデスゲームを納得してから始めようなんて無理な話なんですから〜クスクス~』
「んだと、てめえ!」

 大毅は思い切り机を足蹴りした。荒々しい音を立てて机が床に倒れ、遠巻きに眺めていた女子たちから小さな悲鳴があがる。

「おい、平野やめろ」

 今にもスピーカー目掛けて椅子でも投げそうな形相の大毅を制したのは、学級委員長の大渕勇輔だ。

「先生が撃たれたの見ただろ。事を荒立てると命が危ない」
「でもよ!」
「まあ待て。俺に少し考えがある」

 大毅とは対照的な爽やかな口調のまま、勇輔は真っ直ぐスピーカーを見据えた。

「おーい、俺からもいくつか質問いいか?」
『おっ、優等生の委員長くん。いいよいいよ〜、でも手短にお願いしまーす』
「じゃあ早速。これ、クラスに好きな人がいない場合はどうするんだ?」
『んーその場合は比較的気になる人に告るとか、誰かとその場限りの恋人になるとかしてくださーい。日常に戻ったら別れても全然いいので〜。あ、でも証明はちゃーんとしてくださいね~』
「なるほど。ちなみに好きな人ってのは、同性でもいいのか?」
『え、全然いいですけど〜。もしかして委員長くん、ゲイですか〜?』
「さあてな。そうだったりしてな」

 不敵に笑う勇輔に、教室内が軽くざわついた。
 しかしそれは、先ほどまでの殺伐としたものとは違う純粋な戸惑いや好奇心だった。整った顔立ちながら付き合っている人がいないことで有名な勇輔のおどけた言葉に、張り詰めていた空気が僅かに弛緩する。

「まあそれはさておき、一番訊きたかったことを訊くんだけど。さっきも言ってた『証明』っていうのは、具体的に何をすればいいんだ?」

 勇輔が低い声で尋ねた質問は、聖奈も気になっていたことだった。
 恋人であることの証明。その字面だけで嫌な予感しかしない。
 またかなり曖昧な文言だけあって、誰もが同じ疑問を抱いていたのだろう。「あたしもそれ気になってた」「証明って、何させられるの」「なんか怖い」と口々に声があがる。
 その反応を見てか、女は満足げに『よくぞ訊いてくれました!』と叫んでから説明を始めた。

『証明でしょ、気になるよね~! 怖いよね~! だって何するか書いてないんだもんね~!』
「早く答えてほしいんだけどな。時間がないって言ったのはそっちでしょ」
『お~こりゃ失敬。証明っていうのはね~、自分たちで考えてくださーい!』

 違った。
 説明を、あろうことか放棄した。
 聞き逃すまいと固唾を飲んで回答を待っていた聖奈の口から、「え?」と呆けた声が漏れる。

「おい、待て。自分で考えろとはどういう意味だ?」

 すぐさま勇輔が続けて質問を投げる。

『えー。そのまんまの意味ですよー。恋人同士がするような、アレやコレやを私たちに見せつけてくださーい!』

 女は調子を変えずに答えた。その言葉の中にまた気になる文言を見つけて、聖奈はつい口を開く。

「私たち、って……?」
『おおっと、ヤバ。口が滑ったの気づかれちゃった? あーあ、初回の楽しみにとっときたかったんだけどな~』

 小さくため息をつきつつも、やはり楽し気に女はぼやいた。それから何やらキーボードを叩くような音がしたかと思うと、再び教室内でバイブ音や通知音が鳴った。
 聖奈がスマホに目を落とすと、またDMが来ていた。
 そこにあったのは、ひとつのURL。
 先ほど同様DMを開いてからタップすると、途端にいつも見ている動画サイトが起動した。

「え、これって……」

 誰かの絶句した声が耳を衝いた。
 それは、もしかしたら聖奈自身のものかもしれなかった。
 みんながみんな、唖然としてスマホを見つめていた。
 そこには、3年2組の教室内の様子が「LIVE」という文字とともに映し出されていた。

『ご覧の通り、この教室の模様は配信されていまーす。といっても一部の人、スポンサーに対してだけの限定公開だけどね~』
「スポンサー?」
『優秀な委員長くんならわかるでしょー? こういう楽しいゲームは、お金がないとできないってことくらいさ~。ちなみに、さっきの証明のジャッジもスポンサーの方々の反応を参考にするんで、ちゃーんと楽しめるように恋人同士らしくしてくださいね~!』

 その言葉を最後に、女の背後でキッチンタイマーみたいな電子音が鳴り響いた。

『おおっと、時間ですねー。それじゃあ、質問タイムはここまでとしまーす!』

 女は電子音を止めてから、嬉々とした声で質問タイムの終了を告げた。つまりそれは、これから「告白ゲーム」なるデスゲームが始まることを意味している。
 けれど、聖奈の頭の中にはひとつの解決策が浮かんでいた。
 聖奈の所属するここ3年2組の生徒数は26名だ。内訳としては、女子が15名、男子が11名となっている。すなわち、偶数なのだ。
 もし告白する相手が異性だけだと言われたら必然的に余る人が出てきてしまうが、先ほどの勇輔の質問で性別は関係ないとの確認がとれている。それなら、全員が手頃な相手に告白して了承をもらい、便宜上の恋人関係となって教室から出ればいい。そうすれば、全員が文句なく助かる。恋人同士であることの証明は恥ずかしいけれど、命がかかっているのだからそんなことも言ってられない。
 聖菜は今一度自分の考えに穴がないことを確認してから、もう一度定彦に目を向けた。

 ――好きです。付き合ってください。

 その時、いつかの声が脳裏に蘇ってきた。
 聖菜は慌てて首を振り、それを掻き消した。

『あ、最後にひとつ。忠告しておきまーす』

 脳内にリフレインしそうになっていた声を上書きするように、女の声が響いた。

『このゲーム、過去に全員が生きて出られた回はないんでー、くれぐれもなめないでくださいね~?』

 まるで自身の考えを見通したような言葉に、聖奈は息を呑んだ。

『それでは、「告白ゲーム」スタートでーす!』

 女の声色は今までで一番高く、そして楽しそうだった。
 聖奈の脳裏には、もう声は響いていなかった。