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「腹減ったな……」

 うろうろと戸棚や冷蔵庫を物色していると母が言う。
「冷蔵庫のプリンは母ちゃんのだかんねー? あとお風呂くらい入りなさいよ? 沸いてるから」
「なんか食うもんねぇの?」
「いつもんとこにラーメン入ってるよ」
「やっぱいいや……」
母は「しまった」という顔をして、先程と意見を変える。
「しゃあなし、プリン食べていいわよ」
「サンキュー」

 心が折れても、どれだけ辛いことが起こっても、決まった時間に腹が減るという事は、生きているということなのだろう。睡眠と食事さえとれば人は生きていける。
 でも、それだけしかしていない自分は本当の意味で生きていると言えるのだろうか。
 この世界を生きる希望は、まだあるのだろうか。風呂に浸かりながらそんな事を考える。だが、10代の子供がその難しい問いに答えを出す事はできなかった。
 もしかすると、年齢が幾つであろうと人生の永遠のテーマについての答えを出すのはきっと難しい事なのだろう。

 今は現実世界で頑張ることは難しいけれど、あの夢の世界では、出来る限り精一杯生きてみたいと思えるようになっていた。これが進歩なのか逃避なのかは分からないが、また夢の続きが見られる事を切に願う悠悟であった。

***

「坊ちゃま、次は氷魔法でございます」
「うぉっ!」
足元が凍りつき、滑ってその場に尻餅をつく悠悟。

 結論から言えば次の日、そのまた次の日も夢の続きを見ることが出来た。迫る闘技会の日程までも1日ずつ縮まっていき、剣と魔法の修行に励んでいた。

「氷魔法のポイントは水が段々と冷たくなって氷になっていく様をイメージする事です」
「こうか?」
悠悟が魔力を込めるとセバスの足元が完全に凍ってしまった。セバスの魔法は地面を凍らす程度だったが、悠悟が放った魔法はセバスの膝ほどまでを凍らせていた。
(初見で、しかも水のない所でまさかこれほどとは……)
驚くセバスを横目に悠悟はこう続けた。

「本気出せばこの城をでっかい冷蔵庫に出来るかもな!」
「坊ちゃまは魔法をどのようにイメージなさっているのですか?」
「小学校で習った水が氷点下になって凍るイメージだよ。
あとテレビとかで見たことのある、水が凍るまでの映像とか北極とか南極とかそんなところ」
「……?」
セバスは悠悟の言葉を理解できていなかった。
 それもそのはず異世界に住む人々の知識量は、現代を生きる勉強の不出来な悠悟にすら遥かに劣っていたからだ。科学と魔法は相反するものであると同時に、表裏一体でもあったのだ。

 もし現実から異世界に来た者が他にも居たとして魔法のテストを行ったとすれば、まずこの悠悟(バカ)は下から数えた方が早いに違いないだろう。だが、残念ながらこの世界に転移者は悠悟しかいない。
 そんな彼を見て、かつての大魔法使いセバスはこう感じたのだと言う。
(これが神に愛された天才か……)
この後も日々の修行により、悠悟は着々と剣と魔法の腕を上げていくことになる。

 夢を見始めて数日が経ち、不思議に思う事がある。それは現実で眠りについてから起きるまでの時間が、必ず朝の7時から19時であること。
 逆に夢の世界で目が覚めるのはいつも朝の7時であり、眠りにつくのは19時で現実の時間とリンクしていること。夢という割にはあまりにもリアルなため、悠悟は24時間起き続けているような感覚に陥っていた。

  だが夢から目覚める際には、毎日の修行で溜まった疲労感が現実の体には全く残っておらず眠気もない為、やはり夢なのだと再度結論付けたのだった。


 時は流れ、ついに夢の世界で約束の日がやって来た。
 王都にある円形の闘技場には数多くの観客が詰めかけた。それもそのはず、前代未聞の王子の闘技会参加を一目見ようと王都内外から多くの国民が押し寄せたのだ。
 あまりの人の多さに入りきらなかった観客が闘技場の外に溢れでるほどだった。

「第13代国王ミハイル・ペンドラゴ・ノーサーの名において、これより第53回ペンドラゴ闘技会を開催する!」
国王の号令により会場に大きな拍手と歓声が湧き上がる。

 参加者は腕に自信のある猛者たち総勢116名。その8割は騎士や兵士たちで、残りの2割が街の喧嘩自慢や訓練学校の学生などである。

 試合は1対1のトーナメント形式で、武器や魔法の使用も認められており、基本的には殺し以外はなんでもあり。
審判が続行不能と判断するか降参を宣言させることで勝敗が決する。

 くじ引きによりトーナメント表が決まり、悠悟とラージュは反対ブロックに振り分けられた。
「よしっ」
そう言って小さくガッツポーズをするラージュ。
「喜ぶの早くねぇか? 今回は油断すんなよな」
「あなたこそ自分のくじ運の悪さを呪いなさい。あなたの1回戦の相手、去年のベスト4よ」
「ベスト4どまりだろ? 楽勝だよ」
「あいつは準決勝の相手を殺して失格になったの。本人はわざとではないと主張しそれが認められて罪には問われなかったけど、あれはきっと確信犯ね」

 男の名はジャニー。
 彼は隣国のスラムで生まれ、幼くして戦禍に見舞われ多くの屍を踏み超えて決死の思いでハイウェ王国に亡命。
 寛大な王の意思の元、難民や戦争孤児を快く受け入れているこの国で何不自由なく育ってきたはずだった。
 だが彼はその不幸な生い立ちから、スリルを追い求めることに快感を感じるようになっていたのだ。そんな彼にとって合法で人を痛ぶることができるこの闘技会は格好の餌場であった。

 この日、この男に逢うまでは――。
 試合開始のゴングが鳴り響くと共に、勢いよく向かってくるジャニー。彼は前回の反省を活かして、ナイフに遅効性の毒物をぬり、時間差で殺人を成立させようと考えていた。
「神に感謝しなくちゃなぁ! 俺に王族を殺すスリルを味あわせてくれるなんてよぉ!」

 だがそのナイフは悠悟の体を掠める事すら叶わなかった。ジャニーの足元は一瞬にして氷漬けにされ、一歩も動くどころかその場に倒れ込む事すら出来ない。
「お前やっぱり確信犯の人殺しかよ」
「俺が望むのは命のやりとりだ。ただの殺人鬼と一緒にするんじゃねぇ」

 足から腰、腰から胸と段々と凍結が進んでいき、彼はもう指先一つ動かせない。
「降参しろよ、凍え死ぬぞ」
「死に追い込まれるってのも最高のスリルだぜぇ……」
「お前、心のどこかで自分は死なない。俺に人は殺せないと高を括ってねぇか?」
「温室育ちのお前に俺をやれるってのか? 平和しか知らねぇガキが……」
「人は簡単に死ぬぞ」
そう言い放った悠悟の視線は体を包む氷よりも冷たく、何より恐ろしかった。

 ジャニーは人生で初めて出会う圧倒的強者との力の差を感じたことで、スリルとは違う畏怖という感情を知る。
「こ、降参します……」
戦意を失い、本当の恐怖を知ったジャニーはこの日以降、
真面目に大人しく余生を過ごしたのだった。

「し、試合終了ー! まさかのユーゴ王子、前大会ベスト4のジャニー選手を、その場から一歩も動かずに降参させたー!」
実況の男性がそう告げると大きな歓声が湧き上がり、しばらくの間ユーゴコールが鳴り止む事はなかった。

 その後の試合も悠悟は危なげなく決勝戦まで駒を進めた。
「あ、あなた……ユーゴは一体どうしてしまったのかしら……」
王妃様が王様に慌ただしく問いかける。
「私も驚いているよ……まるで人が変わってしまったようだ……」

「ではユーゴ様、お時間まで控え室でお休みください」
係員に案内されている道中でラージュとすれ違った。
「それ、願掛けか?」
彼女は鎧の上から見慣れないペンダントを付けていた。
「そんなところよ……私もすぐに追いつくわ」
この時の彼女の笑顔に既視感を感じた悠悟であったが、考えすぎだと気に留めず約束の決勝戦まで、闘技場地下にある控え室で横になり待つ事にした。

 そしてトーナメントは佳境を迎えラージュは準決勝の闘いに臨もうとしていた。剣を構え試合開始のゴングを待っていたその時、大きな影が闘技場を包み込んだ。

 皆が空を見上げると、そこには遥か上空から猛スピードで降下してくる一頭の竜の姿があった。一瞬にして会場中がパニックに陥る。
「嘘でしょ。成体のドラゴン……」
ラージュの対戦相手はそう呟き、ラージュへと声をかける。
「ラージュ! すぐに騎士団を招集して! 聞いてるの?」
「……」
ラージュは空を見上げ、固まって動けなくなっていた。

 彼女が固まってしまうのも無理はない。成体のドラゴンはたとえ異世界であっても滅多に目にする事のできない伝説に近い生物である。
 過去現れたとしても数百年に一度のような頻度で、このような都市の中心を襲うなど聞いた事もなかったのだ。その強さは一頭で100名規模の騎士団に相当すると言われている。

 様々な方向から大勢の悲鳴が鳴り響く。そして竜の咆哮や地響きと共にそこにいた人々が傷つき、助けを求める声が広がっていく。
 空中から襲いかかるドラゴンと、円形闘技場の相性は最悪であった。人々が避難をしようにも出口は少なく、観客全員が退避するまでにはかなりの時間を浪してしまう。

 されどこの場所には多くの強者が集まっている事もあり、民間人を護りながら竜に反撃する勇気ある者の姿も見られた。だが、伝説の最強生物はそれらの攻撃などものともせず破壊の限りを続けている。

 尚も動けないでいるラージュはとうとう膝をつき、そのまま座り込んでしまった。闘技場の中心であまりにも無防備なその姿が竜の眼に止まる。標的を定めると一度上昇し勢いをつけてから一気に下降し彼女の方へと向かっていった。

 彼女は自分の死を悟ったかのように目を瞑り、涙を流す。
「これでまた会えるよね……フレア……」
走馬灯のように迫り来る瞬間を長く感じたが、痛みは一向にやってこない。

 恐る恐る目を開けると、そこには大きな竜とその鼻先を両腕で押さえつけて制止させている悠悟の姿があった。
「遅せぇと思ったらお前の対戦相手ドラゴンかよ! マジでなんでもアリだなこの世界!」
「なんで来たのよ……早く逃げなさいよ……」
「お前また負けて泣いてるんじゃねぇかと様子見にきた」

「ユーゴ……みんなが……みんなが……」
今にも自分が死にそうになっていたというのに、すぐに他人の心配をするラージュに過去の光景が被って見える。
「任せろ……今度は助ける」

 悠悟は押さえていた腕で反動をつけて高く跳び上がると、両手を広げて魔法を発動する。
「氷魔法『氷円檻(アイスシリンダー)』!」
すると闘技場の内側に円柱の氷の檻が創り出され、自分達と竜をその中に閉じ込めた。
これによって観客席にいた人々にこれ以上の被害をもたらすのを防いだ。

 竜は閉じ込められた事を悟ると氷壁に向かって突進するも、頑丈な壁に跳ね返される。だが頭のいい竜は口から火を吹き出し氷を溶かそうとした。
「おい! それはずるいだろ!」
そう言って石を投げると竜は振り返り悠悟を睨みつける。

「それでいい……決勝戦といこうじゃねぇか」