夢にまで見た異世界生活



 彼が目を覚ますと、そこは見慣れた自分の部屋ではなかった。

 なぜか自分が横になっている屋根付きの大きなベッドが中央に配置された、だだっ広い部屋。まだ寝起きのボーッとする頭の中で記憶を張り巡らせるが、やはりこの部屋には見覚えがない。

 辺りを見渡すと、至る所に高級そうな装飾が施され、壁に掛かっている絵画が窓から差す朝日を浴びて、日光浴を楽しんでいる。

 状況を確かめる為、部屋を出ようとゆっくりと扉を開け、外を確認して忍び足で廊下へ出る。

 次の瞬間――背後から知らない声が響く。
「ユーゴ坊ちゃま!」

 いきなりのことで声をかけられたことにも驚いたのだが、更なる驚きは、知らない人から自分の下の名前を呼ばれた事だった。

 どこにでもいる普通の男子高校生である『佐野悠悟(さのゆうご)』は、思わずオドオドと振り返る。
もう一つ不思議に思ったのは、敬称が「坊ちゃま」だった事だ。ごく平凡なサラリーマン家庭に生まれた彼は、生まれてこの方、一度とすらそう呼ばれた事はない。むしろ小説の題名くらいでしか、ろくにその言葉を目にする事もなかった。

 声をかけてきた女性はメイド姿で、彼の母より少し若いくらいの年齢だろうか、もちろん知らない人だった。
そのメイドは目に涙を浮かべながら近づいてくる。
「本当に良かった……すぐ、王様に伝えて参りますので……」
そう言うと、長いスカートの裾を両手で持ち上げて、足早にどこかへ行ってしまった。

 何が何だか分からないが、不法侵入で警察沙汰になるような事態ではないと分かり安心していると、それからすれ違う人達は皆、先の女性のような表情で悠悟に一礼をするのだ。
 未だ事態が飲み込めない悠悟は使用人らしきその内の1人にトイレはどこかと尋ねた。その使用人は不思議そうに首を傾げながらもトイレまで案内してくれた。

 トイレに駆け込んだ悠悟は真っ先に鏡を見る。
「やっぱり俺だよな……」
鏡に映ったのは、この世に生まれ落ちてからの17年間見続けた、紛れもない自分の姿だった。

「これってもしかして……夢にまで見た異世界転生ってやつなのか? もしそうなら、いっそのこと顔も名前も変えてくれりゃ良かったのに……」
不親切な神様に不満を漏らしつつ、自分の頬をつねり夢かどうかを確かめてみる。
「いてぇ……」

 高校を休み、部屋に引きこもってアニメやゲーム三昧の日々を送っていた悠悟にとって、異世界についての知識はある程度備わっていた為、一体これから何が起こるのか期待が膨らんだ。

 その後、慌てた様子で入ってきたセバスチャンという執事に朝食の支度が出来たと食堂まで案内された。

 朝食をとりながら分かった事といえば、この世界で俺は王様の子供、つまり王子様だったのだ。王様の口ぶりからわかった事は、この世界の俺もショックな出来事があり、それ以来ずっと部屋に引きこもっていたが、今日久しぶりに部屋から出てきたという内容だった。
 詳しい出来事までは読みとれなかった為、俺はそのショックで記憶喪失になったという設定にすることにした。

「あんな事があったのだ。ショックで混乱するのも無理はない……」
王様はその設定をすぐに信用してくれた。やはり異世界の王様はちょろい。
「俺には何があったんですか?」
と、直球な質問をしてみた。
「今は無理に思い出す必要はないだろう……」
「そうよ。今はまだ様子を見ましょう? もう一度ショックを受けてしまうと大変だもの……」
自分を慈愛の眼差しで見つめる王妃様の姿に、現実世界の母親とのあまりのギャップに笑いそうになってしまった。

 朝食を済ませると医師の診断を受けたが、特に問題はないとの事だったので、王様にこの国を見て回りたいとお願いしてみた。
 すると王様は馬車の手配と、護衛の騎士を呼んでくれた。
「ラージュよ、ユーゴはあの時のショックで記憶を失っておるのだ……どうか支えてやってくれ」
「かしこまりました陛下」
ラージュという騎士様は銀の鎧を纏い、長い金髪に碧眼の美しい女性で、年齢は悠悟と近そうに見えた。


 馬車に乗り込み2人だけになると、先程までよそよそしかったラージュが慣れた様子で話しかけてきた。
「あなた、記憶がないって本当なの?」
「悪い、本当なんだ……。ラージュと俺はどういう関係だったんだ?」
 
「話し方まで変わっちゃったのね……まぁいいわ。私は幼い頃、戦争孤児になったのだけど王様の配慮で、お城のみんなにここまで育ててもらったの」
 
「ってことは俺とラージュは幼馴染だったのか?」
「そうね。歳も近いからよく一緒に遊んだわ。あなたは大人顔負けに頭は良かったけれど、運動は本当にダメだったから稽古の相手にはならなかったけれど」
(この世界では現実とは真逆の設定なのか……)
悠悟は現実世界では勉強は苦手だが、スポーツ万能という体育会系であった。

「今ならいい勝負出来るかもしんないぜ」
「冗談辞めなさいよ、私はもう騎士団の副団長になったのよ? 負ける訳がないわ」
「今度剣術教えてくれよ!」
「嫌よ、昔みたいに泣かれると困るもの」
(どうやらこの世界の俺は泣き虫らしい)


 街まで降りてゆくと大体の時代背景が見えてきた。文明レベルや街並みは中世ヨーロッパくらいだろうか。ただ一つ俺がいた現実世界と最も大きく違うところは、やはりこの世界には魔法が存在するということだろう。

「ラージュは魔法が使えるのか?」
「私は魔法よりは剣の方が得意ね」
「俺にも魔法使えるかな?」
「王族だもの、魔力には問題ないでしょうし訓練すれば使えるんじゃない? いきなりどうしたのよ?」
「炎を操る魔法が憧れだったんだ。あとは氷の魔法なんかもかっこいいよなぁ……」
「初耳ね、あんたホントにあのユーゴなの?」
怪しまれているような気がした悠悟は話題を変える。
「ちょ、ちょっと降りてみてもいいか?」
「いいけど、お忍びなんだからちゃんと顔は隠してよね」

 街を少し散歩していると兵士の姿が所々目に入る。
「やけに兵士が多いな」
「ソウネス帝国と戦争中だからね……以前までは国境付近のみでの争いだったけど、最近では各地で戦いが起こっているわ」
「どっちから仕掛けた戦争なんだ?」
「帝国に決まってるじゃない……。ハイウェ王国は他国に戦争を仕掛けたりはしないわ。これは土地と人を守る戦いなの」

 聞くところによると、ソウネス帝国は近隣諸国に戦争を仕掛け続け急速に領土を拡大してきた国で、国を奪われた民は奴隷のような酷い扱いを受けるのだと言う。
 その戦争の立役者が『無敗の騎士ガイル』という帝国最強の男で、こいつがでてくると今の拮抗した戦況は一気に傾く可能性があるほどだとか。

 しばらく見て回ったハイウェ王国は自然が美しく、人も温かくてとても良い国だと感じた。まさにあの王様の人柄が滲み出ていると言ってもいい。
「この国が奪われちまうのは嫌だな……」
「だから私たちが日々訓練しているのよ」
「それ俺も混ぜてくれよ」
「あなたは王子なのよ? 戦場にはいかないわ」
「でも戦力は少しでも多い方がいいだろ?」
「やっぱりあの時のこと……」
ラージュは小さな声で呟く。
「え? なんて言ったんだ?」
「なんでもないわ!」

 城に帰ってから王様に魔法や剣などの戦闘訓練を受けたいとお願いをしてみたところ、「自分の身を守る術を身に付けるのも大切だろう」と、早速手配してくれた。

「剣の修行はラージュに、魔法の修行はセバスに任せよう、では2人ともよろしく頼む」
ラージュの都合で剣の修行は明日からになり、今日は魔法の基礎知識についてセバスから学ぶことになった。
彼は年老いた今となっては王族の世話係を務めているが、若い頃は王国一の魔法使いで様々な功績を残している。

「まずは魔法とは手段であり、それが目的ではありません。これが魔法の基本的な考え方です。坊ちゃまはどんな魔法が使いたいですか?」
「炎系の魔法かな」
「それは何故ですか?」
「無人島とか何もないところでも火が使えたら便利じゃん」
「確かにそれは便利ですが、マッチで火をつけても同じことです」
「でもそれじゃいつもマッチを持ち歩かないとダメじゃん」
「火の起こし方を知らなければそうですね。でも魔法だってタダで火を起こせる訳ではないのです」
「魔法には何が必要なんだ?」
「知識と想像力です」
「知識は分かるけど想像力って曖昧じゃないか?」
 
「……例えば見たことのある動物と見たことのない動物を粘土で形作る際、どちらが上手く作れると思いますか?」
「そりゃあ見たことのある動物」
「つまり想像力とは頭の中で、いかに具現化する物や現象についてのイメージが出来ているかという事なのです。魔力量にもよりますが、基本的にはその知識量やより詳細なイメージがそのまま魔法の威力へと直結します」
「なるほど……」
「魔法というのはこの世界の発展に大きく貢献してきましたが、魔法を使えない人が差別の対象になったり、より高度な魔法を奪い合う争いの引き金にもなります。ですから魔法というのは手段の一つでしかないということを、くれぐれもお忘れなき様に」

 セバスの授業が終わり夕食を済ませて部屋に戻ると時刻は19時になろうとしていた。久しぶりに頭を使ったからかすこぶる眠い。ベッドに倒れ込むとそのまま眠りについてしまった。

***

 真っ暗な部屋の中で気がつくといつもの癖で枕元に手を伸ばし、リモコンをとり電気をつける。
――この瞬間気がつく。
「なんだよ、やっぱり夢じゃねーか……」



 


 明るくなって目に映るのは、ベッドからすぐ手が届くようにパソコンやゲーム機が配置された見慣れた6畳間。

 期待していた異世界生活はもう終わってしまったのかと深いため息をついた悠悟だったが、やけにリアルな夢だったし起こった出来事も鮮明に覚えている。
 寝る前に落としたと思っていたパソコンが起動していた為ついでに調べてみることにした。ハイウェ王国やソウネス帝国など、夢の中で聞いた言葉を検索にかけるが、それらしきは案の定ヒットしない。

「そりゃそうか……」
そう呟きながら手を組み伸びをした時、ドアがノックされる。

「悠悟ー? いるー?」
「いねぇよ」
怪訝な顔でそう答える。
「いるんじゃん!」
という声と共にドアが開き、制服姿の女子高生が部屋に入ってくる。
「勝手に入ってくるなっていつも言ってんだろうが」
「でもおばさんには許可とったし」
「母ちゃんが許可しても俺は許してねぇよ」
悠悟はその女子高生と目を合わせようとしない。

「もうそんなことばっかり言わないでよ。せっかく来てあげてるんだから……」
「頼んでねぇ……」
一瞬の沈黙が生まれると、女子高生は空気を変えようと口調を明るくし、その場にしゃがみ込みビニール袋からお菓子を取りだす。
「ほら、お菓子買ってきたの! このグミ好きだったでしょ?」
悠悟は恥ずかしそうに手を伸ばして受け取る。
「さんきゅ……」
「ふふ……これは受け取るんだ」
ニヤッと笑う女子高生。

 彼女の名は『川畑嵐(かわばたあらし)』。悠悟とは中学と高校が一緒の同級生である。なんともイケメン風な名前だが、その美貌から高校のアイドル的存在であり多くのファンも居るほど。
 悠悟がエースで4番を務めていた中学野球部のマネージャーでもあり、以来彼の事を気にかけている。

「そろそろ学校来ないと、卒業できなくなっちゃうよ?」
「もういいんだよ学校なんて」
「みんなも寂しがってるよ? わたしだって……」
「家から出ると、思い出しちまう」
「大丈夫だよ。わたしが、悠悟を支えるから……」
そう言って悠悟の後ろから腕を回し抱き寄る嵐。
「ごめん、やっぱり帰ってくれ」
「分かった……またくるね……」
嵐は悲しそうな顔を浮かべながら悠悟の部屋を後にする。

 帰ろうとする嵐に玄関で悠悟の母が声をかける。
「嵐ちゃん、いつもありがとね」
「いえ、悠悟くんの力になりたいので」
「あのバカは幸せもんだねぇ。嵐ちゃんに見捨てられない内に、早く立ち直ってほしいもんだよ」
「わたしは、いつまででも待ちますから……」

「高校生のガキには確かに辛い出来事だったけど、アイツが初めてぶち当たった乗り越えるべき壁だと思うから、親であるあたし達もアイツが自分で起き上がってくるのを待っててやりたいんだよね」
「おばさんはやっぱりかっこいいです! 憧れます」
「お母さんと呼んでくれてもいいんだよ?」
「ハハハ、そうなれるよう努力します!」
「またきてね!」
「お邪魔しました!」

 嵐が帰った後、悠悟の母はリビングでアルバムを捲る。彼女が見つめる視線の先には小学生くらいの幼い悠悟と、おさげ髪の少女が恥ずかしそうに写る1枚の写真。
 その写真の下には『悠悟が初めて女を連れ込んだ記念』と書かれていた。
「この時から、なーんにも変わってないわアイツ……」
誇らしいのか情けないのか、その中間のような感情を含んだ笑みを溢しながら小さくそう呟いた。

 時を同じくして2階の悠悟は――。
「いつ見ても『イセコイ』は変わらない名作だよなぁ……」
涙を流しアニメの感傷に浸っていたのだった。

 そのままその夜は2クール分のアニメをぶっ通しで見続け朝を迎えたのだった。
 これは決して珍しいことではなく、悠悟の生活習慣は基本的には朝に就寝、引きこもり生活で超ロングスリーパーに転身したこの男は1日に約12時間の睡眠をとる。

 いつも朝方に眠り夕方から夜に起床、起きている間もアニメやゲームに没頭するという堕落しきった生活を送っているのであった。
 外が明るくなった頃、いつものように眠りについた。

***

「おい、嘘だろ」
昨日と同じ夢を見ていることに驚く。あのだだっ広い部屋の大きなベッドで横になっていた。

「2日連続でこんなにリアルな夢をみることあるのか」
1度経験した事もあり驚いたのも束の間、すぐに夢だと判断して大きくてフカフカなベッドを噛み締めるようにゴロゴロとしていると扉がノックされ、セバスの声がした。

「坊ちゃま、朝食の準備が出来ました」
「もう少し寝かせてくれ〜」
「ですが今朝はラージュと剣の稽古もあるのでは?」
「そうだっけ? 気分じゃないから適当に言っといてよ〜」
「あら、あんたいい度胸してるわね。何か言い残す事はあるかしら……?」
ラージュが隣で不穏な笑みを浮かべ握り拳を構えていた。
「お、おはよう?」
「セバスおじさん、部屋に虫が出たから扉を閉めてくれる? 大きな音がでるかも」
「かしこまりました……」
「セバス? そこはかしこまるなよ!」

 悠悟は頭に大きなコブを作って食堂に着席した。
「本当に信じられない! あなたから修行をつけてくれと言い出しておいて、いざとなると気分じゃないだなんて」
「まぁまぁラージュ、ユーゴも色々と記憶の混乱するところがあるのだろう」
「陛下がそう仰るなら……」

 王様のフォローのおかげもあり、朝食を済ませた頃にはラージュの怒りは収まっていた。
「よろしくお願いします」
見よう見まねで剣を構えてみる。
「体に変に力が入っているわ。もっと楽に構えてみて」
「こんな感じか?」
「ちょっとそのままでストップ」
ラージュが悠悟の体に触れながら構えの姿勢を教えている際に、思わず互いの顔が近づき咄嗟に2人とも顔を赤らめると、同時に背けた。
「真面目にやりなさいよバカっ!」
「いたって真面目だよっ! んで次は?」
 
「そうね、じゃあ一度自分の思う型で構えてみて」
俺は無意識に剣道の攻撃的な構えである、剣を両手で握り上段の位置に構えた。剣道は未経験で知識もないが何故かそれがしっくりときた。
「防御がガラ空きにも見えるけど、いい構えね」
「軽く打ち合ってみようぜ」
「怪我しても知らないわよ? もちろん模擬剣だけれど当たれば怪我ですまないかも」
「怖い事言うなよ。初心者なんだから手加減頼むわ」
「分かってるわよ。じゃあこのコインを投げて地面に落ちたら開始よ」

 ラージュがコインを投げると2人が同時に構える。
 この瞬間、ラージュは驚きを隠せなかった。恐らく人生で初めて剣を握ったであろう素人相手に、原因不明の圧力を感じて気圧されそうになっていたからだ。
 生涯の大半を剣術に費やしてきた彼女にとって、それは屈辱以外の何ものでもなかった。

 コインが地面に落ち、距離を詰め悠悟が剣を振り下ろす。ラージュは気圧された分、前に出るのが1歩遅れたがすぐに持ち直し模擬剣の両端を持ち防御の構えをとる。 振り下ろされた悠悟の剣を受け止めた衝撃は、まるで体中に電撃が走ったようだった。
(本当にあのユーゴなの? こんな力があったなんて……)

 素人に負けてなるものかと痺れた手に鞭を打ち、攻撃をいなし反撃に出る。剣を振り出してから本気で打ちだしている事に気付くが、その勢いをもう止める事など出来ない。

 だがラージュの剣の向かう先、その剣が切り裂いたのは悠悟の残していった残像であり、彼女はその虚しい手応えを感じる暇すら与えられず勝負は決したのだった。
 背後から悠悟の剣が彼女の肩にトンっと優しく置かれる。
「手加減してくれとは言ったけど、ちょっと手ぇ抜きすぎじゃねぇのか?」

 確かに彼女には多少の油断はあったが、持ち直してからは極限まで精神を集中させていたにも関わらず、完膚なきまでに負けた。
 彼女は悔しさの余り堪え切れず泣き出してしまった。
「なんで、こんな文化系野郎に……」
「ちょ、ちょっと待てよ! なんで泣くんだ? もしかして今の本気だったのか? だったらすまん!」
「あんたはどこまで無神経なのよバカぁ……」

 しばらくしても泣き止まないラージュに、とまどいながらも悠悟は落ち着かせようと試みる。
「ほら、あれだよ。今回はビギナーズラックみたいなもんだよきっと……」
「戦場には……油断も、もう一回もないのよ。1度でも負けるという事は死を意味するの……」
「でもお前今生きてんじゃん」
「たった今あなたに殺された様なものよ」
「……」
「ごめんなさい。言いすぎたわ……」

 悠悟は自分なりの言葉で、ラージュに語りかけた。
「確かに戦争とかって一度の負けで終わりになる、もう一回のないトーナメントみたいなもんなのかもな。でも今のは練習試合だろ?」
涙目のラージュの顔を真っ直ぐに見つめ、悠悟は続ける。
「練習試合ってのは、もっと速い球を投げたいとか、ホームランを打てるようになりたいとか、自分の長所とか弱点を見つける為のもんなんだよ」

「……?」
後半は何を言っているのか分からないラージュは、ポカンと口を開けて首を傾げる。
「だから! まだ次がある内は、その1回の負けすら利用して、自分に期待したっていいんだよ!」

 その言葉を聞いて先程までの緩んだ表情から屈強な戦士の顔つきに戻ったラージュは、悠悟に宣戦布告する。
「次は必ず勝つわ――だから、あなたも2週間後に行われる国王様主催の闘技会『ペンドラゴ闘技会』に出場しなさい!」
「天下一武道会みたいなもんか?」
「それは知らないけど、正式な場所であなたに決闘を申し込むわ。必ず決勝戦まで上がってきなさい」
「いいぜ、それまでお前も負けんなよな」

 夕食時その話を王様にすると、王様は飲んでいたワインを盛大に吹き出してしまった。
「一体どうしてしまったんだユーゴ……運が悪ければ死者も出ることのある試合なのだぞ?」
「日々努力しているラージュを倒してしまった責任はとりたいと思ってるんです」
「お前が……ラージュを倒しただって?」
「えぇ陛下、私は手加減などしていませんし悔しい事にユーゴ王子の才能は本物です」

「ラージュがそこまで言うなら本当なのだろうが……やるからには精一杯頑張りなさい」
と、最終的に王様はしぶしぶ了承してくれ、王妃様は斜め上を見つめ気を失っているようにも見えた。
「ありがとうございます」

 自室に戻りベッドに横になると、夢の続きがまた見られるのだろうかとセンチメンタルになる。この夢の世界には自分が見たくないものを無理にみる必要も、偶然目に入ってくる事もない。
 この世界では佐野悠悟としてではなく、まったく別の人間として生きられている事に気付きかけていたのだった。

「目、覚めたくねぇな……」
だが現実はそれを許してはくれない。


***

「腹減ったな……」

 うろうろと戸棚や冷蔵庫を物色していると母が言う。
「冷蔵庫のプリンは母ちゃんのだかんねー? あとお風呂くらい入りなさいよ? 沸いてるから」
「なんか食うもんねぇの?」
「いつもんとこにラーメン入ってるよ」
「やっぱいいや……」
母は「しまった」という顔をして、先程と意見を変える。
「しゃあなし、プリン食べていいわよ」
「サンキュー」

 心が折れても、どれだけ辛いことが起こっても、決まった時間に腹が減るという事は、生きているということなのだろう。睡眠と食事さえとれば人は生きていける。
 でも、それだけしかしていない自分は本当の意味で生きていると言えるのだろうか。
 この世界を生きる希望は、まだあるのだろうか。風呂に浸かりながらそんな事を考える。だが、10代の子供がその難しい問いに答えを出す事はできなかった。
 もしかすると、年齢が幾つであろうと人生の永遠のテーマについての答えを出すのはきっと難しい事なのだろう。

 今は現実世界で頑張ることは難しいけれど、あの夢の世界では、出来る限り精一杯生きてみたいと思えるようになっていた。これが進歩なのか逃避なのかは分からないが、また夢の続きが見られる事を切に願う悠悟であった。

***

「坊ちゃま、次は氷魔法でございます」
「うぉっ!」
足元が凍りつき、滑ってその場に尻餅をつく悠悟。

 結論から言えば次の日、そのまた次の日も夢の続きを見ることが出来た。迫る闘技会の日程までも1日ずつ縮まっていき、剣と魔法の修行に励んでいた。

「氷魔法のポイントは水が段々と冷たくなって氷になっていく様をイメージする事です」
「こうか?」
悠悟が魔力を込めるとセバスの足元が完全に凍ってしまった。セバスの魔法は地面を凍らす程度だったが、悠悟が放った魔法はセバスの膝ほどまでを凍らせていた。
(初見で、しかも水のない所でまさかこれほどとは……)
驚くセバスを横目に悠悟はこう続けた。

「本気出せばこの城をでっかい冷蔵庫に出来るかもな!」
「坊ちゃまは魔法をどのようにイメージなさっているのですか?」
「小学校で習った水が氷点下になって凍るイメージだよ。
あとテレビとかで見たことのある、水が凍るまでの映像とか北極とか南極とかそんなところ」
「……?」
セバスは悠悟の言葉を理解できていなかった。
 それもそのはず異世界に住む人々の知識量は、現代を生きる勉強の不出来な悠悟にすら遥かに劣っていたからだ。科学と魔法は相反するものであると同時に、表裏一体でもあったのだ。

 もし現実から異世界に来た者が他にも居たとして魔法のテストを行ったとすれば、まずこの悠悟(バカ)は下から数えた方が早いに違いないだろう。だが、残念ながらこの世界に転移者は悠悟しかいない。
 そんな彼を見て、かつての大魔法使いセバスはこう感じたのだと言う。
(これが神に愛された天才か……)
この後も日々の修行により、悠悟は着々と剣と魔法の腕を上げていくことになる。

 夢を見始めて数日が経ち、不思議に思う事がある。それは現実で眠りについてから起きるまでの時間が、必ず朝の7時から19時であること。
 逆に夢の世界で目が覚めるのはいつも朝の7時であり、眠りにつくのは19時で現実の時間とリンクしていること。夢という割にはあまりにもリアルなため、悠悟は24時間起き続けているような感覚に陥っていた。

  だが夢から目覚める際には、毎日の修行で溜まった疲労感が現実の体には全く残っておらず眠気もない為、やはり夢なのだと再度結論付けたのだった。


 時は流れ、ついに夢の世界で約束の日がやって来た。
 王都にある円形の闘技場には数多くの観客が詰めかけた。それもそのはず、前代未聞の王子の闘技会参加を一目見ようと王都内外から多くの国民が押し寄せたのだ。
 あまりの人の多さに入りきらなかった観客が闘技場の外に溢れでるほどだった。

「第13代国王ミハイル・ペンドラゴ・ノーサーの名において、これより第53回ペンドラゴ闘技会を開催する!」
国王の号令により会場に大きな拍手と歓声が湧き上がる。

 参加者は腕に自信のある猛者たち総勢116名。その8割は騎士や兵士たちで、残りの2割が街の喧嘩自慢や訓練学校の学生などである。

 試合は1対1のトーナメント形式で、武器や魔法の使用も認められており、基本的には殺し以外はなんでもあり。
審判が続行不能と判断するか降参を宣言させることで勝敗が決する。

 くじ引きによりトーナメント表が決まり、悠悟とラージュは反対ブロックに振り分けられた。
「よしっ」
そう言って小さくガッツポーズをするラージュ。
「喜ぶの早くねぇか? 今回は油断すんなよな」
「あなたこそ自分のくじ運の悪さを呪いなさい。あなたの1回戦の相手、去年のベスト4よ」
「ベスト4どまりだろ? 楽勝だよ」
「あいつは準決勝の相手を殺して失格になったの。本人はわざとではないと主張しそれが認められて罪には問われなかったけど、あれはきっと確信犯ね」

 男の名はジャニー。
 彼は隣国のスラムで生まれ、幼くして戦禍に見舞われ多くの屍を踏み超えて決死の思いでハイウェ王国に亡命。
 寛大な王の意思の元、難民や戦争孤児を快く受け入れているこの国で何不自由なく育ってきたはずだった。
 だが彼はその不幸な生い立ちから、スリルを追い求めることに快感を感じるようになっていたのだ。そんな彼にとって合法で人を痛ぶることができるこの闘技会は格好の餌場であった。

 この日、この男に逢うまでは――。
 試合開始のゴングが鳴り響くと共に、勢いよく向かってくるジャニー。彼は前回の反省を活かして、ナイフに遅効性の毒物をぬり、時間差で殺人を成立させようと考えていた。
「神に感謝しなくちゃなぁ! 俺に王族を殺すスリルを味あわせてくれるなんてよぉ!」

 だがそのナイフは悠悟の体を掠める事すら叶わなかった。ジャニーの足元は一瞬にして氷漬けにされ、一歩も動くどころかその場に倒れ込む事すら出来ない。
「お前やっぱり確信犯の人殺しかよ」
「俺が望むのは命のやりとりだ。ただの殺人鬼と一緒にするんじゃねぇ」

 足から腰、腰から胸と段々と凍結が進んでいき、彼はもう指先一つ動かせない。
「降参しろよ、凍え死ぬぞ」
「死に追い込まれるってのも最高のスリルだぜぇ……」
「お前、心のどこかで自分は死なない。俺に人は殺せないと高を括ってねぇか?」
「温室育ちのお前に俺をやれるってのか? 平和しか知らねぇガキが……」
「人は簡単に死ぬぞ」
そう言い放った悠悟の視線は体を包む氷よりも冷たく、何より恐ろしかった。

 ジャニーは人生で初めて出会う圧倒的強者との力の差を感じたことで、スリルとは違う畏怖という感情を知る。
「こ、降参します……」
戦意を失い、本当の恐怖を知ったジャニーはこの日以降、
真面目に大人しく余生を過ごしたのだった。

「し、試合終了ー! まさかのユーゴ王子、前大会ベスト4のジャニー選手を、その場から一歩も動かずに降参させたー!」
実況の男性がそう告げると大きな歓声が湧き上がり、しばらくの間ユーゴコールが鳴り止む事はなかった。

 その後の試合も悠悟は危なげなく決勝戦まで駒を進めた。
「あ、あなた……ユーゴは一体どうしてしまったのかしら……」
王妃様が王様に慌ただしく問いかける。
「私も驚いているよ……まるで人が変わってしまったようだ……」

「ではユーゴ様、お時間まで控え室でお休みください」
係員に案内されている道中でラージュとすれ違った。
「それ、願掛けか?」
彼女は鎧の上から見慣れないペンダントを付けていた。
「そんなところよ……私もすぐに追いつくわ」
この時の彼女の笑顔に既視感を感じた悠悟であったが、考えすぎだと気に留めず約束の決勝戦まで、闘技場地下にある控え室で横になり待つ事にした。

 そしてトーナメントは佳境を迎えラージュは準決勝の闘いに臨もうとしていた。剣を構え試合開始のゴングを待っていたその時、大きな影が闘技場を包み込んだ。

 皆が空を見上げると、そこには遥か上空から猛スピードで降下してくる一頭の竜の姿があった。一瞬にして会場中がパニックに陥る。
「嘘でしょ。成体のドラゴン……」
ラージュの対戦相手はそう呟き、ラージュへと声をかける。
「ラージュ! すぐに騎士団を招集して! 聞いてるの?」
「……」
ラージュは空を見上げ、固まって動けなくなっていた。

 彼女が固まってしまうのも無理はない。成体のドラゴンはたとえ異世界であっても滅多に目にする事のできない伝説に近い生物である。
 過去現れたとしても数百年に一度のような頻度で、このような都市の中心を襲うなど聞いた事もなかったのだ。その強さは一頭で100名規模の騎士団に相当すると言われている。

 様々な方向から大勢の悲鳴が鳴り響く。そして竜の咆哮や地響きと共にそこにいた人々が傷つき、助けを求める声が広がっていく。
 空中から襲いかかるドラゴンと、円形闘技場の相性は最悪であった。人々が避難をしようにも出口は少なく、観客全員が退避するまでにはかなりの時間を浪してしまう。

 されどこの場所には多くの強者が集まっている事もあり、民間人を護りながら竜に反撃する勇気ある者の姿も見られた。だが、伝説の最強生物はそれらの攻撃などものともせず破壊の限りを続けている。

 尚も動けないでいるラージュはとうとう膝をつき、そのまま座り込んでしまった。闘技場の中心であまりにも無防備なその姿が竜の眼に止まる。標的を定めると一度上昇し勢いをつけてから一気に下降し彼女の方へと向かっていった。

 彼女は自分の死を悟ったかのように目を瞑り、涙を流す。
「これでまた会えるよね……フレア……」
走馬灯のように迫り来る瞬間を長く感じたが、痛みは一向にやってこない。

 恐る恐る目を開けると、そこには大きな竜とその鼻先を両腕で押さえつけて制止させている悠悟の姿があった。
「遅せぇと思ったらお前の対戦相手ドラゴンかよ! マジでなんでもアリだなこの世界!」
「なんで来たのよ……早く逃げなさいよ……」
「お前また負けて泣いてるんじゃねぇかと様子見にきた」

「ユーゴ……みんなが……みんなが……」
今にも自分が死にそうになっていたというのに、すぐに他人の心配をするラージュに過去の光景が被って見える。
「任せろ……今度は助ける」

 悠悟は押さえていた腕で反動をつけて高く跳び上がると、両手を広げて魔法を発動する。
「氷魔法『氷円檻(アイスシリンダー)』!」
すると闘技場の内側に円柱の氷の檻が創り出され、自分達と竜をその中に閉じ込めた。
これによって観客席にいた人々にこれ以上の被害をもたらすのを防いだ。

 竜は閉じ込められた事を悟ると氷壁に向かって突進するも、頑丈な壁に跳ね返される。だが頭のいい竜は口から火を吹き出し氷を溶かそうとした。
「おい! それはずるいだろ!」
そう言って石を投げると竜は振り返り悠悟を睨みつける。

「それでいい……決勝戦といこうじゃねぇか」





 


 剣を構える悠悟にラージュが叫ぶ。
「ドラゴンの体は硬い外皮に守られていて生半可な攻撃は通用しないの! だから逃げて!」
「こんなことなら必殺技でも考えとくんだったなぁ……」
「なに呑気なこと言ってるの! 来てるわよ!」

 突進してくる竜を真正面から剣で受け止めた悠悟は、大きな金属音と共に吹き飛ばされ氷の壁へと打ち付けられた。
「ユーゴ!」
ラージュが悠悟の元へと駆け寄る。
「痛ったた……これホントに夢かよ……」
「ちょっと! 大丈夫なの?」
心配そうな表情で問うラージュ。
「いや死ぬほどいてぇよ」

 その様子を見てラージュは庇うように悠悟の前に立ち、竜と向き合い声をかける。
「私が時間を稼ぐからすぐに逃げて! あなたは生きなきゃいけないの!」
「じゃあ頼んだ!」
と悠悟は背を向けて走り出す。
(そう……これでいいの……これで……)
ラージュが心の中で覚悟を決めて竜と対峙する。

「ってそんなわけあるかぁー!」
そう叫びながら悠悟は回れ右して竜に飛び蹴りを入れる。
「なんで逃げないのよ!」
「氷の壁で逃げらんねぇよ」
「はぁ? 自分の魔法でしょ! バカじゃないの?」
「と、とにかく俺たちでやるしかねぇよ。1分、いや30秒でいい! こいつ引きつけられるか?」
「なんとかするわ」
ラージュは悠悟から竜を引き離す為に走り出した。

 悠悟は今までに見た様々なアニメを思い返していた。このシチュエーションに使えそうな技を想像し、それを魔法に組み込むイメージを固めていたのだ。
選ばれたのは悠悟お気に入りアニメの1つ『異世界コインランドリー』通称『イセコイ』主人公の必殺技であった。

「よし、ラージュこっちに来てくれ! 交代だ!」
ラージュは全速力でユーゴの元まで走り抜け、不安そうな顔で問いかける。
「あなた一体何をする気なの?」
「いいから見てろって。日本が誇るアニメ映像の力を思い知れ」
ラージュを追ってきた竜めがけてイメージを解放させる。

「『殲濯葬(せんたくそう)洞螺霧式(どらむしき)』」
そう言い放つと地表から螺旋状の水流が発生し竜の周囲を取り囲んだ。
悠悟はその激流の渦をサーフィンの要領で器用に乗りこなし進んでいく。

 竜はその動きを目で追うも捉えきれず空中へ飛んで逃げようとするが、渦の追尾からは逃れられず首元付近まで登ってきた悠悟と目が合った。

 その刹那、畳み掛ける。
「『追削(おいそぎ)』!」

 悠悟は竜の長い首に目掛けて、激流の勢いもそのまま剣に乗せた渾身の一刀を振り落とした。
 その結果、彼の剣は硬い外皮ごと切り裂いて首を一刀両断、見事に竜の頭を落としたのだった。
 戦いを見届けていた者たちの歓声が上がり、その中には涙を流す者の姿もあった。

 一国の王子が、ほぼ単独でドラゴンを討ち取ったのだ。
この衝撃的な出来事はすぐさま国内外へと広がり、ハイウェ王国の歴史に『竜殺しの王』の伝説として後世にまで永く語り継がれていく事となる。

 竜との戦いが終わり、辺りが暗くなり始め救助活動もひと段落した頃、話があるとラージュに呼び出された。
「ちょっといいかしら……」
「どうしたんだ? そんなかしこまって」
「今日は……助けてくれてありがとう」
「気にすんなよ! 俺様にかかれば楽勝だったしな!」
鼻を高くして勝ち誇る悠悟。

「あなたは何故、今まで自分の力を隠していたの?」
「き、記憶を無くす前の事は分からない」
この夢の世界で続けている記憶喪失の設定。
何故自分はこの世界に初めて来た以前の記憶を持っていないのだろうと不思議には思うが、所詮夢だからと今まで深く考えないでいた。
 
「笑っちゃうわよね……王を護るための騎士が、王よりも弱いだなんて……」
ラージュはペンダントのトップを強く握りながら弱音を吐き捨てる。
「それは……」
これは自分の夢だから、などと言ってしまうと、もうこの夢を見る事ができない気がして言葉を詰まらせる。

「あなたは今まで私のこと、心の中では笑っていたの?」
「そんなことはない……はずだ」
「なんでそんな事分かるのよ。今までのこと全部忘れているくせに……。記憶を無くしてから、まるで人が変わったみたいじゃない……」

 今にも泣き出しそうなラージュだが、以前の泣き顔とはどことなく雰囲気が違う。
具体的に何が違うのかは言葉にするのは難しかったが、なんとなくそう感じた。
「俺が今までどんな人間だったのかは分からないけど、今は……これが俺なんだよ」
「過去を……思い出したいとは思わないの?」
ラージュが下を向きながら問う。
「無理に思い出すのは良くないって医者にも言われてる」
こんな時まで他人に責任を被せる自分が嫌になる。

「何よそれ……私達との思い出も約束も……全て忘れて、新しく人生を歩みたいのなら……いっそ私を殺してよ!」
せきとめきれなくなった感情と涙が溢れ出し、声を荒げるラージュ。
「何言ってるんだよ、怒るぞ!」
「あなたがそんなに強いなら……フレアは死なずに済んだじゃない!」
取り乱した様子で涙を流すラージュが続けて言う。
「なんで……私だけを助けたのよ……」
「フレアって誰なんだよ」
状況が飲み込めない悠悟。

 この言葉を聞いた直後、ラージュは顔を上げた。
「ごめんなさい、きっと精神的に参ってるんだわ。今の話は全部忘れて……」
そう言って涙を拭いながら去っていく彼女を呼び止めようと手を伸ばすも、なんと声をかけて良いか分からずその場に立ち尽くす事しか出来なかった。

***

 19時になり現実で目覚めてからも違和感が続いていた。
ラージュの悲しい泣き顔を見てしまった事は勿論だが、ドラゴンというあの巨大な生物の命を奪った感覚が、とても夢とは思えないほど鮮明に彼の両腕に残っていた。

「ラージュとは、明日からどんな顔して会えばいいんだ……」
女性の扱いに対して、年頃の男子の悩みは尽きない。

「悠悟ー? 入るよー?」
そこにいつもの調子で嵐が部屋に入ってきた。
「お前、ついにはノックすらしねぇのかよ!」
「何か見られて困るものでもあるの?」
キョトンとした顔で尋ねる嵐。
「そういう訳じゃねぇよ……」

「え……もしかしてエッチな動画とか見てた?」
顔を赤らめながら再度尋ねる嵐。
「そ、そういう訳でもねぇよ!」
慌てた悠悟は先ほどよりも強い口調になり、ペットボトルの水を手に取る。
「なんでちょっとムキになったの? 怪しい……セバス! 悠悟が直近に見た動画を再生して!」

「ブフォッ」
思わず飲んでいた水を吹き出す悠悟。
《動画を再生します》
と、悠悟のスマホから無機質な音声が流れた。

 冷や汗をかいた悠悟だったが、液晶画面に映ったのは見覚えのない法律関係の講義の映像だった。安堵し、溢した水をティッシュで拭きながら悠悟が愚痴をこぼす。
「まったく、便利なのか不便なのか分かんねぇ機能だな」

 嵐の言った『セバス』とは夢の世界の執事の事ではなく、スマホ内に搭載された人工知能AIの名称なのである。音声だけで持ち主のお手伝いをしてくれる優れ物なのだ。
 悠悟はこれを部屋にある家電とリンクさせる事で、その場から動かずとも大抵の事が出来るよう設定してある。

「お前! もし本当にいかがわしいもんが流れたらどうするつもりだったんだよ!」
安心した悠悟は心を切り替えて嵐を問い詰める。
「冗談だよ。この部屋にそんなのないって知ってるし、もし見つけたら……再生するゲーム機ごと壊すから……」
部屋の片隅にあった金属バットを手に持ちながら不敵な笑みを浮かべる嵐。

「なんでお前がそんなこと知ってるんだ……! それに、このゲーム機いくらすると思ってんだよ!」
「壊される覚えがあるってこと?」
嵐の目が鋭く光る。
「いや、ない! まったくない!」
思わず含みをもたす言い方になった事をすぐさま訂正する悠悟。
「良かったぁ……。もしそんなの見つけちゃったら……どうなっちゃうか自分でも分からないもん」
そう言ってバットを元の位置に置いた嵐はいつもの表情に戻っていた。

「お前、カマかけたのかよ?」
薄目で睨むように問う悠悟。
「怪しい行動とってる悠悟が悪いんだよ」
「ふんっ」と小さく顔を背けながら答える嵐。
その後、嵐は最近の学校での出来事や、流行っているものなどを教えてくれた。
 俺は隣で嵐が喋っているのを作業用BGMにして、ゲームをしているとあっという間に時間が過ぎていた。

 そんな時、部屋に母ちゃんが入ってきて一言。
「嵐ちゃん、もう夜遅いし今日金曜だから泊まってけば?」
「え? いいんですか? じゃあお母さんに連絡しないと!」
嵐は満面の笑みでそう言うと、すぐに電話をかけていた。

 俺は母ちゃんを睨んだが、キメ顔で親指を立てていた。
 この人はどうやら何か勘違いをしているらしい。俺はすぐに抵抗は無駄だと分かりゲームの世界に戻った。

「嵐ちゃん、ご飯まだでしょ? カレー好き?」
母親との電話が終わった嵐を夕飯に誘う母ちゃん。
「大好きです!」
「じゃあ一緒に食べよ! 降りてきて!」
「はーい!」
「あんたも! 一緒に洗い物しちゃいたいから早く降りてこないと飯抜きにするよ!」
嵐に向ける声のトーンより1オクターブ低い声で言う。

 母ちゃんは嵐と話している時はいつも楽しそうだ。親父は単身赴任で県外にいて、俺はひとりっ子だし寂しい思いもしているのかもしれない。
 そういえば昔、女の子が欲しかったと言っていたのを聞いた事がある。
 一方の嵐は現在では裕福な里親のもとで幸せに暮らしているが、物心つく前に本当の両親に捨てられ、幼い頃は施設で育った過去を持っている。
 お人好しの母ちゃんには、何か思うところがあるんだろうとか考えながら夕飯のカレーを3人で囲んだ。

「このカレーすっごく美味しいです! 今度作り方教えてください!」
「よかったわぁ。佐野家特製カレーの隠し味はね……」
母ちゃんがそう言いながら嵐に手招きする。耳打ちで何かを言われた嵐は顔を赤らめた。
「なんだよ隠し味って」
気になったので聞いてみたが、母ちゃんはしたり顔でこちらを見るだけで答えなかった。
すると嵐が照れくさそうに口を開く。
「今度はわたしが悠悟に作ってあげる……」
「ん? おう……さんきゅう」
よく分からなかったので適当に返事をしておいたが、この時の面白いものを見たような母親の顔を一生忘れる事はないだろう。

 



 夕飯のカレーを食べ終わると母ちゃんが風呂に入り、嵐とリビングで2人きりになった。食後のデザートにアイスを食べていると、思い出したように嵐が言う。

「そう言えば昨日の演技はもう飽きちゃったの?」
「演技? なんの話だ?」
悠悟は突然の理解できない質問に尋ね返す。
「昨日学校帰りに寄った時に少しだけ話したじゃん。自分の事を『僕』なんて言って、あれはなんのアニメのキャラクターの真似してたの?」
「ちょっと待て、昨日お前来てたっけ?」
覚えがなく戸惑う悠悟。

「え? 忘れちゃったの? 課外学習が雨で中止になって午前で学校が終わったから、昼に少し寄ったじゃん!」
と、嵐の様子からも嘘ではなさそうだ。
「何時頃だ?」
「13時頃だったと思うけど……ちょっと冗談ならやめてよねー」
「きっと寝ぼけてたのかもな……」
悠悟は咄嗟に話を合わせてみる。

「ちゃんと規則正しい生活しなよ〜?」
「ちなみに俺、何か変な事言ってなかったか?」
「自分のこと『僕』って呼んでて、いつもより丁寧な言葉遣いだったよ。それにタブレット触ってたけどゲームするでもアニメを見るでもなく、絵を描いてたから珍しいなぁとは思ったけど」

「たまには芸術にも触れてみたくなったんだよ。どんな絵だったか覚えてるか?」
「すごく上手だったよね。あれどこの風景なの? 悠悟って芸術の才能もあるんだって感心したもん」
「ま、まぁな……。恥ずかしいからその事は忘れてくれよ」
一気に背筋が寒くなった悠悟は、食べていたアイスを半分残して部屋に戻った。

 もちろん毎日昼頃は絶賛眠りについている彼にそんな記憶はないし、もしこの話が本当なら考えられる仮説が幾つか頭に浮かんだ。
 だが、それを証明する為にはどうすれば良いのかまでは分からなかった為、その夜はタブレットの中や部屋中を捜索してみるも、これといったものは見つからなかった。


 するとそこに部屋の外から嵐の声が聞こえた。
「悠悟、まだ起きてるの?」
「あぁ、ちょっと探し物してた。悪い、うるさかったか?」
悠悟と嵐はドア越しに会話をする。
「ううん、トイレに目が覚めちゃって……」
「なんかその言い方、トイレが覚醒したみたいに聞こえるな」と、うすら笑いを浮かべながら返す悠悟。
「なにそれ? それもアニメの話?」
嵐は部屋のドアに背をかけ、その場に座るとこう続けた。
「目が覚めちゃったから、このまま少しお話ししようよ」

「いつもみたいにノックもせずに入ってこないんだな」
「だって今、すっぴんだもん……」
体育座りで口元を隠しながら、恥ずかしそうに答える嵐。
「お前のスッピンなんて中学ん時に何度も見てるじゃねぇか」
「はぁ……悠悟は本当に女心が分かってないね」
「男なんだから、そんなもん分かんねぇよ」
「今はそういう事に気付ける男の人がモテるんだよ?」
「3次元になんてモテなくていいんだよ。俺には2次元のヒロイン達がいるんだからな!」
 
「またそんな嘘で誤魔化すの……?」
「嘘じゃねぇよ、最近では王国の女騎士様も悠悟の嫁候補にランクインしたところだ」
「もう、そうやっていっつもアニメの話ばっかり……」
そして悠悟には聞こえないように小さな声で「そろそろわたしのことちゃんと見てよバカ……」と続けた。

 嵐は聞こえていないだろうと思っていたが、佐野家のドアは嵐が思っているより薄く、悠悟には全て聞こえていた。
 いや、そんな言葉が聞こえてなどいなくても、悠悟は嵐の気持ちにはとっくの昔に気付いていた。
 でもそれを知った上で、その気持ちには応えられないというのが悠悟の答えだった。だが告白もされていないのに、悠悟は嵐にそんなこと言えるはずもない。

 それに外界を全てシャットアウトしている悠悟にとって、現在唯一の外との繋がりである嵐は、恋愛対象とは違うが余計な詮索のされない適度な話し相手として、居心地の悪くない存在だったのだ。

 だからそれを失うのが怖く、嵐の気持ちにいつまでも気付かないフリを続けている。そんな自分の弱さとズルさに、ますます自分の事が嫌いになる。

「悠悟が本当の意味でここから出られるようになるまで、わたしはここで待ってるからね……」
健気に自分を想い続けてくれる相手の気持ちに応えられない事に胸を締めつけられたような悠悟は、Tシャツの襟元をぎゅっと握りしめながら心の中で「ごめん」と叫ぶ。
 
「冷えてきたからそろそろ部屋に戻るね。お休みなさい」
「あぁ、お休み」
頭の中の感情を処理しきれない内に朝がやってくると、いつも通り悠悟は眠りについたのだった。


***


「坊ちゃま、朝食のご用意が出来ました」
夢の世界で目覚めると異世界の執事セバスが呼びに来た。
「なぁセバス、記憶を失う前の俺ってどんな話し方だったか覚えてる?」
それとなくセバスに探りを入れてみる。

「坊ちゃまは今も昔も心お優しい事に変わりありませんが、強いて言うなら以前はもう少し口調が柔らかかったかと存じます」
「自分のこと『僕』って呼んで、絵が好きだったか?」
「まさか! ご記憶が戻られたのですか?」
セバスが勢いよく振り向く。
「いや、なんとなくそう思っただけだよ。まだ全然思い出せない」
「そ、そうでございますか……取り乱してしまい申し訳ございません」

 そして朝食の席で悠悟は王様へ質問した。
「俺は絵を描くのが好きだったんですか?」
「き、記憶を、思い出したのかっ」
王様は慌ただしく尋ねる。
「いえ、まだ。なんとなくそんな気がして」

 悠悟がそう答えると王様は少し残念そうに遠くを見つめながら話した。
「そうだ。部屋に飾ってある絵画も、お前が自分で描いたものだよ」
「俺はどんな絵を描いていたんですか?」
「風景画が得意でね。この国の今の風景や、未来の姿を想像して描いたりするとも言っていたよ」
「いつも俺はどこで絵を描いていたんですか?」
そう尋ねると、この世界の俺はいつも屋敷の裏庭で絵を描いていたそうだ。今日は絵を描いてみたいと伝えると、王様はすぐに画材道具などを手配してくれた。

 朝食を済ませ、いざ裏庭でキャンバスに向かうも、やはり何も思う所はない。そこら辺の風景をデッサンしてみるが、部屋の絵とは比べ物にならないくらいの酷い出来だ。

「あちゃー、こりゃ小学生の方がマシな絵描くかもな……」
あまりの下手さに思わず独り言を漏らす。

 そこに突然ラージュが顔を出した。
「どういう風の吹き回し? もしかして昨日、私が変な事言ったのと関係ある?」

 悠悟は気まずい相手に話しかけられた事に少し驚いたが、咄嗟に平静を装った。
「こうすれば何か思い出せるかと思ってやってみたけど、やっぱり何も思い出せなかったよ」
「そう……」
ラージュは小さく呟くとベンチに腰掛ける。

 しばしの沈黙の後、悠悟が口を開く。
「なぁ、『フレア』ってラージュの家族だったのか?」
その言葉を聞いたラージュはハッとした顔で悠悟を見るが、すぐに俯き気味になりこう返す。
「血は繋がってないけど、姉妹みたいに育ったわ……」
「って事は……俺ともそうだった訳か……」

「そうよ。小さい頃はいつも3人一緒だった。でもフレアは私なんかより、ずっと強い騎士だった。もし今も生きていたら、あの子が副団長になっていた」
「おい、いつもの自信はどこにいったんだよ」
「貴方にとっても、あの子は特別なのよ。貴方の、王の剣になり得るのはフレアしかいなかった……」

「俺、そいつの事好きだったのか」
「たぶん……お互いにね」
「……」
それを聞いて押し黙る悠悟。
「貴方たちは、よく2人で未来のこの国の話をしていた。争いのない国を作るにはどうするべきか、そんな事ばかりを語り合っていたわ。あなたの描く絵は、いつもその話から生まれたこの国の理想の未来の姿がモチーフだった……。私も貴方達の創る平和な世界の住人になれることを心待ちにしていたわ」

「昔の俺は頭が良かったんだな……今はそんな難しい事ちんぷんかんぷんだよ」
「あら、随分と絵までヘタクソになっちゃったのね」
立ち上がったラージュがキャンバスを覗き込む。
「おい! 見るなよ! まだ途中なんだ!」
「こんな未来がきたら、お先真っ暗ね」
「これからカラフルに色を塗っていくんだよ!」
「こんなの色塗るくらいじゃどうにもならないわよ」

 それからしばらくの間、俺たちは裏庭でゆったりとした時間を過ごした。その中でフレアとの思い出や、彼女は何故命を落としてしまったのか、ラージュはそれを話してくれた。そして気付けば自然と仲直り出来ている事に気がついた。

「あの子が死んだのは、決して貴方のせいじゃない。フレアもきっと、貴方がこれから創っていく平和な世界を待ち望んでいるはずよ」
「結局何も思い出せなかったけど、昔の俺とフレアが作りたかった世界に少しでも近づけないとな」
「私はフレアの分も、貴方を守る剣になるわ」
 
「じゃあ約束だ」
そう言って悠悟は小指を差し出す。
「これはなに?」
ラージュはキョトンとしている。
(この世界には指切りは存在しないらしい……)
「えーと、おまじないみたいなもんだよ。ラージュも小指だして」
ラージュが見よう見まねで差し出した小指を結び、「破んじゃねーぞ」と念を押した。

 その時、訓練の時間だと呼びに来た兵士に「今行く」と返事をしたラージュは、去り際に悠悟へ声をかける。
「ねぇ、この絵私にくれない?」
「いいけど……自分で言うのもなんだけどこんなヘタクソな絵、どこに飾るんだよ」
「私には……これが丁度いいわ」
「まぁ気に入ったんなら、その絵も報われるな」

 そのお世辞にも上手いとは呼べない絵には、裏庭の木々の風景の真ん中にポツンと寂しげに置かれた白いベンチが描かれていた。
「ねぇ、この絵にタイトルはないの?」
ラージュは絵を手に取り、眺めながら尋ねる。
「そうだなぁ。じゃあ『約束』ってタイトルにしよう」
「とても素敵ね……」



***



 同日、現実世界で目が覚めた悠悟は、ある人に向けて手紙を書いた。長い文章などほとんど書いたことのない悠悟だが、何度も何度も書き直し、誠意が伝わるように自分の言葉で真っ直ぐな気持ちを綴った。
 結局朝までかけて書き上げた手紙を封筒に詰め、ポストに出すわけでもなく机の上に置きっぱなしにして眠りについた。

 だが、その手紙はしっかりと宛先へ届く事になる。


 


 時刻は午前7時8分、現実世界の6畳間で手紙を読みながら大粒の涙を流すユーゴ。

 この涙を流す悠悟と瓜二つの彼こそが、『佐野悠悟』が夢だと思っていた異世界の王子様『ユーゴ・ペンドラゴ・ノーサー』本人なのである。

 彼は異世界で王子として生まれ、家族のように育った2人の幼馴染と共に成長してきた。武術に秀でた2人の幼馴染とは違い、他人を傷つける事に抵抗のあった心優しいユーゴ少年は芸術の才能を開花させた。

 幼馴染の1人であるフレアは、ユーゴの描く未来の風景が大好きだった。2人は成長と共に、異性としてお互いに惹かれ合うようになる。そしてまだ子供だった2人はこんな約束をするのである。

「貴方は王様で、私は王を守る剣になって、いつか一緒にこの争いのない未来の風景を実現させましょう」

 2人の夢が共通のものとなってからは、幾度となく理想の未来について語り合い、その為には何が必要かを考え毎日を懸命に生きてきた。
 その努力の結果、フレアは若くして正式に騎士となり、ユーゴは数多くの知識を学び、自身の18歳の誕生日に戴冠する許可を王から得たのだ。
 そしてユーゴは戴冠式の日にフレアへ、この気持ちを伝えようと心に決めていた。
 だが、戴冠式が来年に迫ったとある日、事件は起こる。

 王の暗殺を狙ったソウネス帝国の刺客が屋敷内で捕えられたのだ。案の定王の命に別状はなく、暗殺は未然に防がれたのだが、床に押さえつけられた刺客は隠し持っていたナイフで兵士を切りつけ逃走すると、裏庭で絵を描いていたユーゴ王子に狙いを定めナイフを突き立てる。

 ユーゴは咄嗟に目を瞑ると、すぐに生暖かい液体が降ってきたことを不思議に思い、恐る恐る目を開ける。
 そこにはおびただしい量の血を流して倒れているフレアと大勢の兵士に押さえつけられている男の姿があった。
 すぐにフレアに寄り添うと、フレアは最期の力を振り絞りユーゴの頬に手を当て声をかける。

「あなたのキャンバス……汚しちゃって、ごめんね……」
そう言って彼女はゆっくりと目を閉じた。

 後ろを振り返ったユーゴが目にしたのは、最愛の人の血で滲んだ真っ赤なキャンバスだった。それ以来、彼は裏庭に行くことも、筆を持つことすら出来なくなってしまった。更には段々と部屋から出ることも億劫になり、引きこもりになったのだった。
 こうして夢や希望、生きる目的を失った彼は別の世界に行きたいと考えるようになる。

 数週間前ユーゴが初めて日本に来た時、何が起こったのか分からず、部屋の隅で縮こまり震えていた。そして「助けて、セバス」と呟いたことから、彼の異世界生活が始まったのだ。

 人工知能AIであるセバスはユーゴに語りかけ、色んなことを教えてくれた。この国の名前や、この世界での自分の名前、異世界転生という考え方、それに付随した参考文献など――。それを受けたユーゴは、どうやら本当に違う世界に来たのだと理解する。

 そしてこの世界には魔法はなく、科学というものによって様々な機械が動いているのだという事に興味を持つ。
 悠悟が異世界に行く事で、長所である運動能力が更に向上したのと同じく、ユーゴの場合は情報処理能力や、理解力が格段に上がっていたのである。

 彼はセバスの助言を受けながらも、現代の最新機器であるパソコンやゲーム機を悠悟以上に使いこなすまで、それほど時間はかからなかった。

 不思議な経験が数日続いた頃、彼はある疑問を抱く。
 それはこちらの世界の悠悟と自分は別人で、朝の7時から19時の間だけ入れ替わっているのではないか――というものだった。それを確かめる為に、自分の世界に戻ったユーゴは夜中に執事のセバスの部屋に忍び込み、日記を読む事でそれを確信に変えた。

 そこに書かれている悠悟のあまりの破天荒さに驚くも、この生活を続けたい一心でそっとしておこうと決めた。悠悟の動きを知る為にも、その日からユーゴはセバスの日記を読む事が日課となったのだった。

 日本での生活は本当に楽しかった。機械を操作するだけで楽しめる様々な娯楽や、この世界の歴史や法律など、ユーゴにとって興味深いものが沢山あったからだ。
 自分が目指す戦争のない国を実現させているこの日本に来た事は、どこか運命のような気がしていた。学べる事を全て学ぼうと彼は勉強を始め、まだ筆は持てないが、空いた時間にタブレットでデジタルアートを作成して絵のリハビリもした。

 そんな日々を続けている所に届いた手紙だった。

 手紙の内容は、謝罪から始まっていた。そして佐野悠悟という人間は何を思って今まで生きてきたのか。夢はなんだったのか。何故引きこもりになったのか。思いつく限りの彼の人生の全てが、その手紙には綴られていた。

 文法も文脈もくしゃくしゃで所々読めない文字もあるけれど、彼の気持ちは痛いほどユーゴに伝わった。そして手紙の最後には彼からの提案が書かれていた。

「もし、お前がまだこの異世界生活を続けたいと思っているのなら、もうしばらくお互いのフリをしてみないか? 俺はまだ外にはでられないから……お前が代わりに学校やバイト先に行ったり、佐野悠悟を演じてみてほしい。そしたら少しは母ちゃんや嵐も安心すると思うんだ。その分俺は、お前の代わりに立派な王子様を演じてみせるからよ!」

 その提案はユーゴにとって、願ってもないものだった。内気なユーゴはこの日本に来てからもずっと部屋に閉じこもり、ネット内でしかこの世界を見られていなかった。
 それもこの世界の悠悟に迷惑をかけてはいけないと気を使ってのことだったが、今日初めて外に出る決意をした。

 手紙には、もし外に出るときはバイト先の近所のラーメン屋に寄って欲しいと書かれていた。ご丁寧に地図と、挨拶して欲しい人の名前と似顔絵まである。それでももし困ったことがあれば、『嵐』という友達を頼ってくれと締めくくられていた。この『嵐』という女性には一度会ったことがある。いきなり部屋に入ってこられた時は驚いたが、バレないようにあまり多くは語らなかった。

 勇気を出して外に出てみると、電柱やコンクリートで塗り固められた道路、動く自動車など、実際に目で見ると科学というものは素晴らしいと実感した。

 しばらく散歩をして時刻は夕方になった頃、悠悟の頼み通りラーメン屋とやらに着いた。悠悟が引きこもりになるまで働いていたというお店は、この世界の言葉で表すなら昔ながらの雰囲気が漂う外観であった。

 ガラガラと音の鳴る扉を開けると、「いらっしゃいませー!!」と大きな声がし、ビクッと驚いてしまう。
するとユーゴの姿を見た1人の男性が店の奥からものすごい剣幕で駆け寄ってきた。
「悠悟!! お前、出てこられたのか! よかった、ホントによかったなぁ……」
その男性は両手でユーゴの肩を掴んでそう言うと、目からは涙が溢れていた。
この人が手紙に書いてあった店主の『おっちゃん』に違いない。悠悟が昔からお世話になっていて、憧れの人物だと書いてあった。

「おっちゃん、心配かけてごめんなさい」
「もう大丈夫なのか?」
「今日なんとなく外に出てみようと思って挑戦してみた」
「そうかぁ、お祝いにラーメン食ってけ! な!」
そう言っておっちゃんが出してくれたラーメンを他のお客さんの真似をしながらゆっくりと頬張る。
ラーメンを初めて食べたユーゴはそのあまりの美味しさと、手紙に書かれていた、この世界の悠悟の体験談が頭をよぎり顔は笑っていながらも目からは涙が溢れてきた。
その様子を見ていたおっちゃんも釣られて泣きそうになるが、すぐに後ろを向いてそれを隠した。

 ラーメンを食べ終わり、ユーゴが口を開く。
「おっちゃん、また……バイトさせてくれないかな」
「当たり前だよ馬鹿野郎。お前の気分が乗った時はいつでも出勤してこい」
「ありがとう」
手紙に書いてあった通りの人だと、ユーゴは思った。

 店を出た帰り道のこと、突然後ろから大きな声で呼び止められる。
「悠悟!!」
 振り返るとそこには目をうるうるとさせた『嵐』がいた。嵐はすぐに走り出しユーゴに飛びついた。
「ちょ、ちょっと、あらしさん?」
運動音痴のユーゴは女の子1人支えきれず、その場に2人で倒れ込んでしまうが、嵐は一向に離そうとはせず「よかった、よかったぁ」と泣き続けた。

 ようやく泣き止んだ嵐とユーゴは近くの公園のベンチに移動した。
「学校は……まだ無理だよね」
「うん……」
「バイト先には挨拶したの?」
「さっき行ってきたよ。その帰りだったんだ」
「復帰……するの?」
「おっちゃんがいつでも戻ってきてもいいって」
「そう、よかったね」
「嵐にも沢山心配かけてごめん」
「そんな言い方、悠悟らしくないよ」
「そ、そうかな……」
「そうだよ。いつも通り上から目線の生意気な感じでいいんだよ」

「僕、いつもそんな感じなんだ」
「あ! また僕っ子キャラ?」
焦ったユーゴは苦しい言い訳をする。
「外に出るの久しぶりだから、キャラクター演じないと緊張しちゃうんだよね」
「そっか……大丈夫だよ。私が悠悟を支えるから」
そう言ってユーゴの手をとり握りしめる嵐。
「ありがとう。今日は疲れたから、そろそろ帰るよ」
「うん。また連絡してね?」

 家に帰りいつも通りの時間に休もうとすると、くるはずの強烈な睡魔が襲ってきていないことに気がついた。ふと時計を見ると時刻は19時5分だったのだ。
「なんで……いつもならこの時間には向こうで目が覚める頃なのに……」
結局その日から数日経っても元の世界に戻ることのない日々が続いたのであった。



 


 その数日間でユーゴは学校に復帰し、更にはおっちゃんのラーメン屋でバイトをさせてもらっていた。

 彼はアルバイトを平日は放課後の16時から18時までの2時間、土日は朝から夕方まで1日も休まずに精一杯働いた。王族として生まれた彼は、この世界に来なければ一生こんな仕事をすることはなかっただろう。

 飲食店で働く事は楽しくて、この経験はきっと自分の財産になると確信していた。仕事が終わり、店の外で一休みしている時のこと。
「悠悟、こんなに毎日手伝ってくれなくても良いんだぞ」
おっちゃんが缶コーヒーを手渡しながら言う。
「いえ、やりたいんです。もし迷惑なら給料もいらないから」
「お前の夢がラーメン屋になる事なのは知ってるけどよ、子供のうちにしかできない事もあるもんだ」
「おっちゃんはなんでラーメン屋になろうと思ったの?」

 おっちゃんは得意げな顔で語り出した。
「俺のラーメンでみんなを笑顔にしてやりてぇと思ったからだよ。本当にうまいもん食った時、どんなに辛いことがあったとしても、人はみんな笑顔になれるのさ」
「じゃあもし、ラーメン作ってるおっちゃんに辛いことがあったら、それでも笑顔でラーメン作り続けられる?」
 
「そうだな。たしかに俺にも気分がのらねぇ日もある。でもそういう時は、今までに言ってもらった『ありがとう』と『美味しかった』の数を数えるんだ。そうすると不思議と力が湧いてくる。お金を貰っている側がこんなに沢山の『ありがとう』を言ってもらえる仕事なんてそうそうないんだぜ?」

 その時、ユーゴの頭には自分の絵を見せると毎回嬉しそうに褒めてくれたフレアの顔が浮かんだ。彼が描いてきた何百、何千の作品のそのほとんどに彼女との思い出が詰まっていた。

 ユーゴは涙を流しながら質問を続ける。
「じゃあもし、1番食べて欲しい人がいなくなっちゃったとしたら……おっちゃんはどうするの?」
「そんなもん、いつか店の評判がそいつに届くくらい、美味いラーメンを作り続けるしかねぇだろう」
この言葉を聞いた時、王子ユーゴは人間として一歩前に進めたような気がした。そしていつもより少しだけ明るい気持ちで帰路についていると電話が鳴った。

「嵐だけど、今日もバイトだったの?」
「うん。なるべく毎日働いて、この仕事の事もっと知りたいんだ」
「なんだか今の方が、悠悟が遠くなっちゃった気がする」
「学校で毎日会ってるじゃないか」
「そうなんだけど、なんか他人行儀っていうか……」
「そんな事ないよ。嵐にはいつも感謝してる」
「それが違うのよ! 悠悟はそんな事言わない! いつまでも変なキャラやめてよ!」
「ごめん……」
「だから……それが違うんだよ……」
そう言って電話は切られた。

 次の日ラーメン屋に出勤すると、窓ガラスは割れ、扉は壊され、壁には落書きがされているなど、店が悲惨な状況になっていた。

 すぐにおっちゃんが店から出てきた。
「おう、悠悟か。まったくひでぇ有様だよな」
「なんでこんな事になったの?」
「警察の話だとここらへんの不良少年達の仕業らしい。昨夜の防犯カメラに映ってたって話だ」
「こんなの酷すぎる! ここはみんなが笑顔になれる、とても素敵な場所なのに!」
珍しく感情的になるユーゴ。

「まぁ、こんなの直せばすぐにまた営業できるさ。それまでしばし休業だな」
おっちゃんはユーゴの前ではいつも通りを装ってはいたが、彼の体は小刻みに震えていた。

 それを見たユーゴが口を開く。
「僕が犯人を捕まえる」
「おいおい、そんな事警察に任せとけば良いんだよ」
「この店は、おっちゃんの国なんだ! 国を奪われる事は、命と尊厳を奪われる事と同義だ」
「一体どうしちまったんだ悠悟……」
「未来の多くの笑顔の為に、僕はこの戦いから逃げちゃいけない」


***


 時を同じくして異世界の悠悟は、戦場にいた。彼はユーゴに手紙を残したその日、王に自ら志願してラージュと共に前線の戦場へと入ったのである。

  長きに渡るソウネス帝国との戦争を終わらせる事。それが超人的な力を手に入れた自分に出来る最善の手だと考えたのだ。自分と同じような境遇のユーゴの為に、彼なりに出来る事はないか考えた上での結論だった。

 だが、この数日間の戦況は芳しくなかった。どうにもこちらの情報が漏れているようなのだ。常に相手に後出しジャンケンをされているような戦局に、軍師たちも頭を悩ませた。

「この中にスパイがいるって言いたいのかよ!」
「殿下、落ち着いて下さい」
「お前は仲間を疑うのかよ!」
「可能性の話をしておるのです」
「そんな可能性知るかっ!」
「ですが我々の作戦はこの本陣にいる7人で合議し、各戦場へと伝えられております。それがこれほどまで早く向こうに伝わっているという事はこの7人の中に裏切者がいると考えるのが妥当なのです」

 軍師が必死に説明しようとするが悠悟は受け入れようとはしなかった。
「仲間を疑うくらいなら、俺があいつらまとめて全員ぶっ飛ばしてやるよ! それで解決だろ?」
「殿下、戦争とは言ってもむやみやたらに相手を攻撃する事だけが戦いではないのです。我らが王と私たちはなるべく血を流さず、流させずに勝つ方法を日々模索しておるのです」
「ちっ……めんどくせぇなぁ」

 思うように戦局が進まない事に日々の苛立ちが募っていた悠悟はしばらく外の空気を吸う事にした。
「随分気が立ってるわね。まぁこれじゃ無理もないか……」
その様子をみかねたラージュが声をかける。
「初陣でもっとバシッと決めたかったんだけどな」
「個人戦とは違うのよ。戦争は――」
「まぁ確かに野球にも色んな作戦があったりするけど……そうか! 今はまさにサインが盗まれたって事なんだな」
「何の話をしてるの?」
「それで今は、俺が監督って事なんだよな……」
「だから、あなたは何を言っているの?」
ラージュの問いに答える事なく悠悟は皆を集めるように指示を出した。

「作戦の判断を全て現場に任せるのですか?」
悠悟の話を聞いた軍師たちは皆目を丸くした。
「あぁ! サインが盗まれてるならいっそのことノーサインにしちまえば良いんだよ!」
「ですが、それはあまりにも危険かもしれませんぞ」
「じゃあこのまま、もしかして裏切り者がいるかもしれないって疑心暗鬼になる奴らが増えて同士討ちなんて結末になってもいいのかよ」
「そ、それは……」
「こんな時だからこそ、俺は仲間を信じたい。監督が先陣きってみんなを信用するって言ってるんだ。これは選手にとって嬉しいことなんじゃねぇのか?」

 こうして、現場に判断を委ねた『ノーサイン作戦』は見事にハマったのである。王子に信頼されその場を任された現場の兵士達の士気は最高潮にまで上がり、劣勢だった戦況をみるみるうちに覆していったのだった。

 その夜、ラージュと悠悟はささやかな祝杯をあげた。
「まさか、あなたにこんな才能まであったなんてね」
「スポーツは全世界に通じるってことだな」
「この様子だとしばらく本陣(ここ)は安全だろうから、明日からは東軍の援軍に向かおうと思うのだけれど良いかしら?」
「俺も行こうか?」
「あなたは大将なんだからここに居て」
「まぁそうだな」
「ねぇ、あの時の約束覚えてる?」
「そりゃ忘れねぇよ」
「フレアの目指した世界、創ってよね……」
「もっかい指切りしとくか?」
「神様に強欲だと思われちゃいそうだから辞めとくわ」
そう言って笑ったラージュは翌朝ハイウェ東軍の戦地へと出発した。

 同日夕刻、本陣に急報が入った。

「急報ー! 東軍戦地に帝国騎士ガイルが現れました!」
「なんだと!!」
軍師たちが慌てふためく。
「それで東軍の様子は?」
「分かりません……。その後の伝令が到着しておりませんので最悪の事態も考えられるかと……」
「こんな時に殿下はどこに行っておられるのだ……」
「そういえば今朝から姿が見えませんな」
「仕方ない! 殿下抜きで急ぎ軍議に入るぞ」


――ハイウェ東軍の戦場――
 そこには2人の人物が立っていた。

 その内の1人、帝国最強の騎士ガイルが言う。
「話が違うのである。ここに王子が居るのではないのか?」
「すみません、誘導する事が出来ませんでした……」
そしてもう1人、ラージュが俯きながら返す。

「そうであるか。貴様の妹達もさぞ悲しむことであろうな」
「お願いします! 私はどうなっても構いません! だからどうか、妹達だけはお許し下さい」
「貴様は何も分かっておらんな。帝王様の命令に従えない者も、その家族も皆反逆者なのである」
「そうですか。ではここであなたを止めるしか無いようですね……」

「貴様の国を滅ぼしたのが誰か忘れたか。命知らずなガキである」
「あなたに国を落とされ、2人の妹を人質にハイウェ王国へスパイとして潜入させられてからのこの12年間。頭の中で何度あなたを殺したか数えきれない!」
 
「そう考えると、せっかく王城にまで潜り込めたというのに貴様は失敗ばかりであるな。先の王の暗殺も結局護衛を1人やっただけと聞いた。つくづく使えぬ女である」

「この前のドラゴンもあなたたちの仕業ね?」
「勘が良いではないか。貴様のそのペンダントにおびき寄せられたのである」
「これは妹達が私の為に作ってくれたものだと言っていたじゃない……」
「嘘に決まっているのである」
ガイルは笑いながら平然と言ってのける。

「このクズめっ!」
ラージュは剣を振りかぶり向かっていくが、ガイルが「『遁風(とんぷう)』」と言って剣をゆっくりと横に振ると、地面を抉り取る勢いの衝撃波が起こり吹き飛ばされた。

 ラージュは起き上がり再度向かっていくが、今度は胴を蹴られてもう一度倒れ込んでしまう。その時に落としてしまった剣を取ろうと這いつくばって移動するが、ガイルに足を刺され悲鳴を上げる。

「ぎゃぁああ……」
「貴様も騎士の端くれならばこの程度で情けない声を上げるのではない」
足から剣が抜かれるとすぐに立とうと仰向けになり、肘を立てたが、ガイルの剣の切先が喉元に突きつけられた。

「貴様が我に敵う訳が無いのである。地獄で妹達と再会するが良い」
ガイルが剣を振り上げる。
「くそっ! このクソ野郎がぁー!」
ラージュは悔しくて悔しくて堪らずに泣き叫んだ。

 その直後大きな金属音が轟くと、ラージュへ向けられた剣は、間一髪で地面に刺しこまれた剣により防がれていた。片膝をつきながらその剣の柄を握っている悠悟がラージュの目を見て声をかける。
「あーあ。せっかくの美人が台無しじゃんか。それに、あんまり女がクソクソ言うもんじゃねぇな」
ラージュの涙を優しく左手で拭う悠悟。

「なんで来たのよ……これじゃ、せっかく勇気出した意味ないじゃない……」
「俺がこいつを倒せば、全部丸く治まるんじゃねーの?」
「相手が誰だか分かってるの?」
「黒いおっさん」
「ふざけるのもいい加減にして! お願いだから早く逃げてよ!」
「ふざけてるのはお前だ! 王の剣ってのはそんな簡単に何度も入れ替わるのか? フレアを失ったユーゴが、お前まで失ったらどれだけ辛いか考えた事あんのか!」

「だって仕方ないじゃない、こうする他に私には何も思いつかないんだもの……」
「誰かが死ななきゃ手に入らない平和なんて、そんなもんあってたまるか」
悠悟は立ち上がり、ガイルの方を向いた。
「なぁおっさん、個人戦で片つけようや」
「手間が省けたのである」
ガイルは笑いながら悠悟の提案に乗る。

 


 向かい合った両者は互いに剣を構える。

 先に仕掛けたのはガイルだった。
「『黒紫夢想(こくしむそう)』」
ガイルがそう言い放ちながら剣を振ると、黒い雷を纏った斬撃が悠悟へ向かって飛んできた。

 その斬撃を避けた悠悟だったが、持っていた剣に電撃が飛来し感電した。その隙に距離を詰めたガイルは止めの一撃を叩きつける。

「『一騎通貫(いっきつうかん)』」

 ガイル渾身の突き技であったが、悠悟は間一髪の所で得意の氷魔法により防御したことで致命傷は避けられたが、かなり遠くまで吹き飛ばされた。

「流石は竜殺しである」

 悠悟は屈伸をしながら起き上がり、「次はこっちの番だな」と言うと、一瞬で距離を詰めた。そのスピードに驚いたガイルは慌てて後退するが、悠悟の姿が視界から消えている。

 すると上空から影が射し、空を見上げたガイルの頭上に悠悟の剣が勢いよく振り落とされた。その一撃によりガイルの被っていた兜は割れ、片目が斬られ潰れていた。

「きっ、貴様、もう許さんのである!」
逆上したガイルは大きな声を張り上げ、自身最大級の魔法を悠悟へと放った。

「古代魔法『四棺詰(すーかんつ)』」

 ガイルが魔法を発動すると4つの棺が何処からか現れ、悠悟の周りを取り囲み閉じ込めると、それらは1つの十字架の形をした墓標へと姿を変えた。

「うそ……そんな……ガイル! ユーゴを何処へやった!」
ラージュは取り乱しながら問う。
「これはかつて魔王を封印したという禁忌の魔法である。封印された者は2度と戻らぬ故、我も奴がどこにいったのかは知らぬ」

 それを聞いたラージュは、とうとう絶望してしまった。

 彼女は幼い頃、国を焼かれ両親を殺され、残された2人の妹達とソウネス帝国の捕虜となった。その時わずか5歳のラージュに与えられた運命は、妹を助けたければ戦争孤児としてハイウェ王国へ潜入せよという残酷なものだった。

 彼女はそれから出会う心優しいハイウェ王国の人々のおかげで段々と心を取り戻していく。だが同時にこの人達を裏切っているという罪悪感に常に悩まされてきた。何度も死のうと思ったが、妹達の為にもなんとか踏みとどまってきたのだ。そんな彼女にも、心の拠り所があった。

 それは2人の幼馴染が目指す、理想の未来の話である。争いのない、平和で平等な、皆が笑顔でいられる世界。最初は馬鹿らしいとも思ったが、彼らの話を聞いている内に、もしかしたら本当にそんな未来がくるのではないか、そんな未来を自分も一緒に創ってみたい――いつしかそう思うようになっていた。

 そんな矢先に自らが漏らした城の警備状況の情報によって刺客が送り込まれ親友が亡くなり、それによってもう1人の幼馴染も部屋から出られなくなった。
 彼女は今度こそ本当に死のうと思った。だが実際に首に縄をかけた時、ふと考えを改めた。どうせ死ぬのなら、最期に奴らへ一矢報いたい。
 その日から彼女は文字通り死にものぐるいで剣を振り続け、異例の若さで騎士団副団長にまで上り詰めたのだ。
 そして遂にユーゴが部屋から出てきた時、彼女がどれほど嬉しかったのかは想像に容易い。

 だが今、自分の信じた未来の最後の希望が潰えたラージュに、戦意はもう残っていなかった。ゆっくりと近づいてくるガイルに目もくれず、俯き絶望に暮れるラージュ。

「これで終わりである」
そう言って構えたガイルの腕を、背後から現れた悠悟が掴んだ。
「貴様っ、何故だ」
「異空間とか異世界とか、俺の得意ジャンルだからな。色々試してみたら出られたわ」
「ユーゴ!」
再び目に光が宿るラージュ。
「もうこれ以上、俺の大事な人イジメるのやめてくんねぇかな」
ガイルは腕を振り払い、悠悟に向かって技を放つ。
「『一騎通貫(いっきつうかん)』!」
その攻撃と同時に悠悟が剣を振ると、攻撃を相殺させるどころか、ガイルの剣を腕ごと吹き飛ばした。

 片腕を失ったガイルは残った腕で魔法を発動しようとするが、すぐさま腕を凍らされてしまう。
「我は帝国最強の騎士ガイルである!」
そう言って氷漬けになった腕で繰り出してきた拳を軽々と避けると、剣に全魔力を乗せてバットを構えるフォームでカウンターを繰り出す悠悟。

「『一灸入渾(いっきゅうにゅうこん)』!」
思い切り振り切られたその打撃はレフト方向へと綺麗なアーチを描き、ガイルは気を失った。
「俺は最強の引きこもりだこの野郎!」

「ユーゴ、無事で良かった……」
怪我した足を引きずりながら駆け寄るラージュ。
「お前もな。さっ、帰ろうぜ」
「待って……話があるの」
ラージュは、自分の過去と正体を包み隠さず話した。
「だからフレアが死んだのも、もとを辿れば私のせい……あなたに殺されるのなら私は何も思い残す事はないわ」
 
「殺さねぇぞ」
そのユーゴの言葉に驚いた表情のラージュ。
「あなたの愛した人を殺した私が憎くないの?」
「実は俺、ユーゴの替え玉なんだよ」
「はぁ? 何を言ってるの?」
「昔のユーゴと全然違うと思わないか?」
「それは……記憶がないからじゃなかったの?」
「違う。別人だからだ」
「じゃあ本物のユーゴはどこ?」
「きっと俺の世界にいるよ」
「まったく話が飲み込めないのだけど……」

「だからさ、その話は俺じゃなくて本物のユーゴが帰ってきた時にもう1回してやってくんねぇかな」
「執行猶予みたいなものかしら?」
「俺の目的はこの戦争を終わらせることだけだ。誰かを生かすとか殺すとか、そういう責任重大なのは全部終わってから本物の王様に任せるとするよ――だからさ、終わらせようぜ、この戦争」

「随分と簡単に言うのね」
「さっき黒いおっさんに異空間に飛ばされて、出てくる時に使った魔法を応用すれば瞬間移動的なことが出来る気がするんだ」
「まさか、そんな魔法聞いた事がないわ」
「だから案内してくれよ。こんな戦争を始めたクソッタレのところに」

「ひとつお願いをしてもいい?」
「お前の妹のことだろ? 助けるに決まってる」
「なんで言う前に分かるのよ」
「お前はいつも自分のことより人のことばっかりだもんな」
「私は……ただの嘘つきよ」
「人の為についた嘘なら、きっと神様も許してくれるだろ」
「そういえば、なんであなたはここに来たの?」
「お前の笑った顔が、前から変に嘘くさいと思ってたんだ。昨日それがなんでなのかやっと答えがでた」
「何よ、人の顔に文句つけるつもり? さっきは美人だって言ったじゃない」
「俺の知り合いによく似てた。無理して笑う女の顔だ……」
悠悟は悲しげな表情で答えた。
 

――ソウネス帝国――

 ソウネス帝国3代皇帝『ジグソー・キルジョイ』は昼間から女を囲い、酒を食らっていた。
「皇帝陛下、只今ガイル殿が帰還されました」
「おぉ、ガイルよ。よく戻った。それでハイウェの王子は始末できたか?」

「楽勝だったぜである」

「そうかそうか、所詮温室育ちのボンクラ息子だったというわけか。褒美はいつもの3倍だそう。ご苦労だった。こっちに来て一緒に呑もうではないか」

「分かったである」

 そう言って近付いた黒騎士が皇帝の横に座り、兜をとる。
「ん? 貴様は誰じゃ?」
「どうも! 温室育ちのボンクラ息子です」
悠悟がそう言うと、周りの女達は悲鳴を上げて逃げていった。
「曲者じゃあ、衛兵、衛兵を呼べい!」
ジグソーは立ちあがろうとするが、椅子が凍りつき身動きが取れない。

 そこへラージュが入ってきた。
「残念だけどこの城の衛兵は全て無力化させてもらったわ」
「おっさん、お前の負けだ」
「えぇい、うるさい! ガイルはどこじゃ!」
「しばらく眠ってるよ」
「貴様ら、こんな事をしてタダで済むと思うなよ。貴様らの家族もろとも皆殺しにしてくれるわ!」
「そろそろ自分の状況分かんねぇかな。往生際悪すぎるぜ」

「やっぱり……お前だけは許せない……!」
そう言ってジグソーに剣を向けて走り出すラージュを悠悟が体で止める。
「お前は王の剣だ。勝手に動くな」
「だって、だって……」
目に涙を浮かべながら悠悟を見つめるラージュ。
「ユーゴの命令があれば、その時は王の剣としてコイツを殺せ。でも今怒りのままに殺せば、お前もコイツらとなにも変わらねぇただの人殺しだ」

 こうして悠悟とラージュは、皇帝を生きたまま捕え国へ帰還した。そして王のいなくなったソウネス帝国をハイウェ軍は意図も容易く落とし、この戦争に終止符を打ったのだった。



 裏庭で夕日を見ながら黄昏る悠悟とラージュ。
「これで俺の役目も終わりかぁ……」
「あなた本当にユーゴじゃないのよね?」
「まだ信じてないのかよ」
「だって見れば見るほどそっくりなんだもの」
「性格は聞けば聞くほど違うけどな」
「本当のあなたはどんな人だったの?」
「俺はユーゴみたいなお坊ちゃまじゃなくて、平凡な子供で夢はラーメン屋になることだった」
「ら、ラメーンや?」
「俺の世界の食べ物屋さんだよ」
「へぇ、あなた絵は下手なのに料理は出来るのね」
「おい! 絵は下手は余計だよ!」
「フフフ、冗談よ」

「でも……ラーメン作れなくなっちまった」
「なぜ?」
「ユーゴが絵を描けなくなったのと同じ理由かな」
「そう……」
「お前に偉そうなこといっぱい言ってきたけどさ、俺は現実じゃ本当にどうしようもないダメ男なんだよ」
「でも、あなたはこの世界で沢山の偉業を成し遂げたわ」
「それは異世界の力のおかげでしかない。現実に戻るとこの力はなくなって、無力な男に逆戻りだ」

「そうかしら。本当にダメな人がそんな力を手に入れたら、帝国みたいに私利私欲の為に使っちゃうわよ。でもあなたはその力をずっと人の為に使ったじゃない。そんな人がどこの世界にいたって無力だなんて思えない」

「好きな奴がいたんだ」
「そっか……」
「そいつは見た目は地味なんだけど、昔からいっつも人のことばっか心配してて、自分だって親も居なくて施設暮らしで、辛いこととか沢山あっただろうに……。俺が喧嘩してると毎回泣きながら止めにくるんだよ。そんで喧嘩の相手にまで絆創膏貼ってやがんの」

「優しい人なのね」
「お前さ、そいつに似てたんだよな。顔じゃなくて、性格っていうか心が」
「遠回しな告白かしら?」
「バカやろう、からかうなよ」
そう言った悠悟が顔を背けようとした時、ラージュは悠悟の頬を両手で抑えてキスをした。
「…………」
呆気にとられた悠悟はしばらく固まってしまう。
「勘違いしないでよね。今のはあなたに同情しただけで、他意はないから」
そう言い放ち、早足に去っていくラージュの目には光るものが見えた。