生田神社の参拝を終えた僕らは次なる目的地、神戸北野の異人館へと歩き出す。
 異人館の入り口は生田神社のすぐ北にあって、歩いてわずか5分ほどの距離にある。

「生田神社の横の道を、100メートルほど北上すると異人館ーと」
「山がある方が北というのは、実にわかりやすいですよね」

 平日の午前中ということもあって、自由行動中の僕たち1年生以外は人気(ひとけ)のあまりない繁華街を歩きながら、雪希とひまりちゃんが楽しそうに話している。

「視線を上げたらすぐ『あっち!』ってわかるもんねー」
「逆に神戸の人はよその地域に行くと、方角がわからなくなりそうです」

「それ、ありそう~! 『あれ、山がない!? なんで、どうしよ!?』って」
「ふふっ、ありそうですよね」

 いやいや。
 2人とも、さすがに神戸の人を馬鹿にしすぎではないかい?

 世界有数の先進国日本の、しかも150万近い人口を抱える大都市の住人が、「山がないとどっちが北かわからない」なんて、さすがにそんなことはないでしょ?

 楽しそうな会話に水を差しそうだから言わないけどさ。

「あ、このお店、遠足のしおりを作る時にストリートビューで見たとこだよ」
「ありましたね。わたしも覚えてます」

「始めて来た街なのに、知ってるところがいっぱいあって、なんだか不思議な気分かも」
「ふふっ、実はわたしもなんです。妙な既視感があるんですよね」

「ちょっと事前調査をしすぎたかも?」
「かもですね。ですが、その分だけ良いものができたのは、間違いないと思いますよ」

「さすが雪希ちゃん、いいことゆー♪」

 なんて2人の仲睦まじい会話を、僕も楽しく聞いていると、

「あ、ここじゃない?」

 いかにも異人館の入り口なエリアが道の向かいに見える交差点で、ひまりちゃんが足を止めて、とある場所を指差した。

「ここだね、うん。これもストリートビューで見たのと同じだ」

 そこには1つの時計があった。
 大きな時計だ。
 だけどその時計はもう、時を刻んではいない。

「本当に5時46分で止まってるね」
「この時間に大きな地震があったんですよね」

「らしいね」

 今から30年ほど前に神戸を襲った未曽有の大地震は、6千人を超える死者を出し、市街全域から火の手が上がり、ビルや高速道路があちこちで倒壊するなど、風光明媚だった港町神戸を蹂躙し破壊し尽くしたという。

 この時計はその大地震の時に止まり、こうして保存され、今も当時の記憶を伝えているのだ。

 しかも神戸の各地に、これと同じように5時46分で止まった時計がいくつも保存され、残されているのだという。

 神戸の人たちにとって5時46分という時間は本当に忘れられない、忘れてはいけない時間なのだ。

 僕は時計の前で自然と目をつむり、手を合わせた。

 神戸の人が幸せでいられますように。
 そんな想いが自然と湧き上がってくる。

 しばらくして目を開けると、ひまりちゃんや雪希、高瀬も同じように手を合わせて黙とうをしていた。

 僕ら以外にも、この時計の意味を知る生徒たちが手を合わせていたり、写真を撮ってたりしている。

「アキトくん、これもバッチリ遠足のしおりの効果だね。こんなの知らなかったら絶対に気付かないもん。アキトくんの自己満足のおかげだよ」

「うん、自己満足で行動して良かったって、すごく実感してる」

 過労で倒れたりはしたけれど、やってよかったと改めて思った僕だった。