――そしてひまりちゃんは教師になった。

 つまりは僕の家庭教師である。

 中学と比べて格段に難易度の上がった高校の授業。

 着いていっているつもりではいるけど、始めて迎えるテストに少なくない不安を覚えていた僕に、任せなさいと言わんばかりに家庭教師を買って出てくれたのだ。

 中学3年生の時に全力で受験勉強を頑張った結果、僕はなんとか地区で一番のこの高校に入学できた。

 しかしそれは裏を返せば、この高校において僕の勉強レベルは限りなくドベに近いと言うことだ。

 毎日の予習・復習を欠かしてはいなかったものの、どれだけ下駄を履かせても、せいぜい学内の平均学力に届くか届かないかくらいだろう。

 成績優秀なひまりちゃん──小テストは今のところ全教科100点だ──にご指導をいただけるのは、とてもありがたいことだった。

 一緒に住んでいるので、勉強を見てもらうのは簡単だしね。


 というわけで。
 テストまで10日を切った休日の午前。

「それでは今から『中間テスト対策勉強会』を行います」
 ひまりちゃんが(おごそ)かに宣言した。

「その前に、ちょっといいかな? ひまりちゃんのその格好――」

 僕はひまりちゃんが部屋に来てから、ずっと気になっていたことを質問しようとした。
 しかし、それを遮るようにひまりちゃんが言った。

「先生です」
「え?」

「ひまり先生と呼びなさいアキトくん」
「先生と呼ばせたいなら、そこは神崎兄か神崎くんが妥当のような?」

 昔から先生は僕のことを、概ねそう呼んでくる。

「先生に口答えする気ですか? 罰を与えますよ?」
「罰って、なんかキャラ変わってない?」

「だってアキトくんと久しぶりの先生ごっこがしたいんだも~ん!」

 厳かな顔から一転、お子さまフェイスになったひまりちゃんがだだっ子甘えんぼを始めたので、僕は小さく苦笑した。

「はいはい、了解しました。ひまりちゃん──ひまり先生」

「うん、よろしい! それでアキトくんの質問って?」

「ああうん、ひまり先生はそんな服、持ってたっけなーって思ってさ」

 ひまりちゃんは紺色のタイトスカートに白無地のブラウス、スカートと同じ紺色のジャケットを着ていた。

 さらには眼鏡。

 トレードマークのポニーテールもいつもよりかなり低い位置、首の辺りで結んで左肩から前に垂らしていて、なんとも言えない大人っぽさを感じさせる。

 まるで社会人のようないで立ちだ。

「ああこれ? お母さんから借りたんだー。体格も似てるし、結構いい感じでしょ? ちょっと胸がきついけど」

「眼鏡はどうしたの? ひまりちゃんは視力が両目とも2.0だから、眼鏡なんて持っていないよね?」

「もちろん伊達メガネだよー。この前、前平さんから貰ったんだ。サンプル品を処分するから、良かったらどう、って。似合ってるでしょ?」

 前平さんとはうちの昔からの常連さんで、何十年もメガネ屋を営んでいる元気なお婆ちゃんだ。

「すごく似合ってるね。今日の格好と相まって、本当に先生みたいだよ、ひまり先生」
「えへへ、やった♪」

 ひまりちゃんが嬉しそうに抱きついてくる。

 それ自体は甘えんぼなひまりちゃんにはよくあることなんだけど、社会人のお姉さんに抱きつかれたみたいで、なんだかいつもとは違う気恥ずかしさを感じてしまう僕だった。

 なるほど、これがコスプレか。
 すごいな。
 効果は抜群だ!

 しばらく抱きつかれたままでいたんだけど、「えへへー♪ へへへー♪」といつまで経っても甘えんぼなひまりちゃんは離してくれないので、僕の方から切り出した。

「じゃあそろそろ勉強を始めようか」