「あ、暁斗くん? え? いったい何をして……」

 雪希の声を聞いた瞬間、僕は驚きでビクリと大きく肩を跳ねさせながら、動作を止めた。
 声の聞こえた向へとおそるおそる顔を向けると、やはりそこには雪希がいた。

 雪希はリブニットのトップスに、サーキュラースカートを合わせたシンプルな装いの私服で、さらさらの黒髪ロングと合わさってどこぞのお嬢さまが、こっそりお屋敷を抜け出して街に遊びに来たのかと思ってしまうほどだ。

 しかしその顔はというと、見るからにドン引きしていた。
 もちろん僕の行動に対してだろう。

「の、覗き……? け、警察に連絡しなきゃ……!」

 青い顔をしてワナワナと声を震わせながら、バッグからスマホを取り出して、110と危ない数字を打ち込んだ雪希に、

「いやいや違うからね! 中にいるのはひまりちゃんだから!」
 僕は慌てて事情を説明する。

「妹なら覗いていいと仰るのですか!? へ、変態シスコンお兄ちゃんなんですか!? やっぱり!」

 おおっとそう来たか!

 あと「やっぱり!」ってなに?
 僕は雪希からそんな目で見られていたのか?
 いや、今の雪希はかなり興奮気味だから、言葉の綾だと信じたい!

「そういう意味じゃないからね!?」
「じゃあどういう意味なんですか!」

「ひまりちゃんがスポブラを試着して、僕の感想をどうしても聞きたいってお願いしてきたから、感想を言っただけ! 感想を言うには見ないといけないでしょ? 見るためには試着室に顔を入れざるを得ないよね? ただそれだけだから!」

「な、なるほどです。ひまりさんならそういうことを言いそうですから」
「だろ? 納得してくれた?」

「ですが、そもそもその中にいるのは、本当にひまりさんなのでしょうか?」

 雪希は半分くらいは納得しつつも、まだ半分くらいは僕を疑っているようだった。
 まぁ雪希でなくても、ランジェリーショップの試着室に顔を突っ込んでいる男の言葉は、信用できはしないだろう。

 僕が雪希だったとしても信用しない。
 ランジェリーショップの試着室を覗いている男は、誰がどう見たって怪しいから。

「すぐに出てくるから、それですぐ分かるから。だからそこで少しだけ待っててね? 何もせずにね? 110まで押した状態で、いつでも通話できるように身構える必要なんてないんだからね?」

 雪希のスマホは既に110という数字が押されている。
 後は通話ボタンを押すだけで警察に通報されてしまう。
 何もしてないのに警察沙汰になるとか、シャレになってない。

 やけに興奮して普段の冷静さを失っている雪希を、僕がなんとかなだめすかしていると、

「なになに、雪希ちゃんがいるの?」

 ひまりちゃんが、のほほんとした様子で試着室から出てきた。
 手にはさっきまでつけていた試着用のスポブラを持っている。

「あ、ひまりさん」
「雪希ちゃん、ハロハロー♪ こんなところで会うなんて奇遇だねー」

「ひまりさんは買い物ですか?」
「うん。アキトくんと一緒にスポブラを買いに来たの」

「暁斗くんはお兄さんですよね? お兄さんと一緒にブラを買いに来たんですか?」

「うん、そーだよ。アキトくんとはよく一緒に買い物をするんだけど、あれ? 何か変かな?」

「え? あ、いえ……どうでしょう? あの、兄妹って、どこもそんな感じなんでしょうか?」
「だと思うけど? 普通だと思うよ?」

 そんなわけないから、と思ったものの、僕は敢えては言わなかった。
 今はひまりちゃんの過度なブラコンを修正するよりも、雪希の誤解を解く方が先だ。

「本当です。暁斗くんの言った通りでした」
「だろ?」

 これで雪希も納得してくれたのか、ほっとしたような顔になると、スマホをバッグの中にしまった。

 ふぅ、やれやれ。
 事なきを得たよ。

 警察沙汰も回避できたことだし、さっさとお会計をして、この超絶アウェー空間から抜け出そう。

 しかし安心したのも束の間だった。

「ねぇねぇ雪希ちゃん、このスポブラすっごくいいの? 雪希ちゃんも試してみない?」

 ひまりちゃんがそんなことを言い出したのだ――!