入学式の日の夜。

「明日から早速、授業だ。教科書、ノート、筆記用具。うん、準備はバッチリ」

 明日の準備をしっかりと確認した僕が、少し早いけど明日に備えてもう寝ようかと思っていると、

 コンコン。

「アキトくーん、入るよ~」
 ノックとほぼ同時に部屋のドアが開いて、パジャマ姿のひまりちゃんが入ってきた。

 お気に入りのジェラピケの春秋用もこもこパジャマを着たひまりちゃんは、女神のように可愛らしい。

 このパジャマは、ひまりちゃんがテレビで見て可愛いと言っていたのを聞いて、お店のお手伝いを頑張ってお小遣いを貯めて、誕生日プレゼントで買ってあげたんだけど。
 これだけ気に入ってくれたら、僕も頑張った甲斐があったと言うものだった。

 あと、毎日のようにパジャマ姿のひまりちゃんを見られるのは、お兄ちゃんの特権だよなぁ。

「こんな時間にどうしたんだ? もうそろそろ寝る時間だろ? ちゃんと明日の準備はしてる?」

「もち、ちゃんとしてるよー。お月様が綺麗だから、アキトくんと一緒に見ようと思ったの――って、もう雨戸を閉めちゃってるじゃん」

 ひまりちゃんはそう言うと、部屋の電気を消してから、ベッド脇の窓の雨戸をガラガラっと開けた。
 真っ暗になった部屋に、優しい月明かりが差し込んでくる。

 ベッドに上って窓ガラス越しに空を見上げると、雲一つない夜空に、満月ではなかったけど、大きなお月様が悠然と浮かんでいた。

「ほんとだ。綺麗なお月様が浮かんでる」
「でしょでしょ?」

 ベッドから月を見上げる僕に、ひまりちゃんが身体を寄せてくると、キュッとひっついてきた。

「どうしたんだ?」
「新生活が始まって、いろいろ緊張とかもして疲れたから、甘えたい気分なのー」

「まったく。大きくなっても、ひまりちゃんは甘えん坊だなぁ」
「アキトくんにはつい、甘えたくなっちゃうんだよね。えへへ」

 ひまりちゃんは今でも僕を頼ってくれる。
 その期待は裏切りたくない。

「そっか」

 そっけなく答えた僕に、にへらーと笑ったひまりちゃんがさらにギュッとくっついてきて、そこで会話がプツリと途切れる。

 月明かりの差し込む薄暗い部屋で、もこもこパジャマごしにひまりちゃんの体温をじんわりと感じる。
 きっとひまりちゃんも僕の体温を感じているだろう。

 しばらく兄妹で肩を寄せ合って月を見上げていると、
「今日は一緒に寝たいな? だめ?」
 ひまりちゃんが耳元でささやくように呟いた。

 くすぐったくて、僕は思わず肩をビクリと震わせる。

「もう高校生になったんだから、一人で寝ないと」
「今日だけだから、ね? だめかな?」

「今日だけって、ひまりちゃんはいつもそう言うよね?」
「えへへー、そうだっけ?」

「そしていつも笑って誤魔化すんだ。ま、今日だけな?」
「やった♪」

 本当ならここはビシっと厳しく指導しなければならないのだろうけど、甘えてくるひまりちゃんは本当に可愛くて。
 だから僕はいつもこうやって、ひまりちゃんを甘やかしてしまうのだった。

 ひまりちゃんが自分の部屋に枕を取りに行っているあいだに、再び雨戸を閉める。
 ひまりちゃんが戻ってきて、真っ暗になった部屋で、僕たちは1つのベッドで肩を並べて横になった。

 すぐにひまりちゃんが僕の左腕を抱きかかえてくる。
 これも昔からずっと繰り返されてきたことなので、今さらそれについては言及はしない。

 ただ、ひまりちゃんの女の子な部分が年々、柔らかさと大きさを増していくことだけは、僕の心の平穏という観点で問題ではあったけれど。

「アキトくん、今日はすごくカッコよかったよ。おかげで雪希ちゃんとも仲良くなれたし」

「高校に入ってすぐに友達ができたのは良かったよな」
 僕は前半部分はスルーして、後半部分にだけ答える。

「優しそうな人だし、高校生活も楽しくなりそう♪ 改めて高校でもよろしくね、アキトくん」

「こちらこそよろしくね、ひまりちゃん」

 それからベッドの中で他愛もない話を少しだけしてから、僕たちは眠りについた。

 こうして少しだけ頑張った高校生活初日は、ひまりちゃんのぬくもりを感じながら、静かに幕を閉じたのだった。