とある日の朝。
 ヴァルツが学園へ出発する前のお話。

 一人の少女が、廊下を掃除しながら悶々(もんもん)としている。

「……」

 そわそわ。 

「…………」

 うろうろ。
 しかし、どうやら身は入っていないよう。

「わーーー!!!」

 そうして限界がきたのか、いきなり声を上げた。

 彼女はメイリィ。
 ヴァルツを一番に慕うメイドであり、唯一「坊ちゃま」呼びを許された者である。

「はぁ、不安です」

 メイリィが不安がるのは『付き添い』についてだ。
 どうやら学園では、一人の生徒につき一人まで『付き添い』の者を選ぶことができるよう。

 それを最近知った彼女は、日々そのことについて悩んでいた。

「私は選ばれるのでしょうか……」

 ヴァルツに自分を選んでほしい。
 自分がヴァルツを一番慕っている自信があるからだ。

 だけど同時に、彼女は自分がドジであることも自覚していた。
 それゆえに選ばれる確信を持てない。

「でしたら!」

 何が何でも、ヴァルツの中の「評価」を上げなくてはならない。
 『付き添い』に自分を選んでもらえるように。

「がんばれ、私!」

 そうと決まれば、メイリィは早速行動に移す。
 彼女は前向きなのだ。




「坊ちゃま!」
「お前か」

 ノックの後、勢いよくヴァルツの部屋を開けるメイリィ。
 
「何かお仕事はございませんか!」
「は?」
「何でもいいので坊ちゃまの為になりたく思いまして!」

 ヴァルツは心の中で思う。

(そんなことしなくても。メイリィはいつも一生懸命働いてくれているからなあ)

 そんな優しさから、ヴァルツは首を横に振った。

「無い。去れ」(特にないよ)
「え」
「なんだ?」

 今は本当に仕事が見つからない。
 それは中のヴァルツも同様に思っている。
 だが、今日のメイリィは引かない。

「そんな! 本当に()(さい)ことでも良いので!」
「……」(うーん……)

(あ、そうだ!)

 ならば、とヴァルツは思い付く。
 普段頑張っているメイリィだからこその提案だ。
 すっと立ち上がったヴァルツは言い放った。

「今日はもう何もするな」(今日はゆっくり休んで!)
「……!」

 ヴァルツは(ねぎら)いの気持ちを伝えたかったのだ。

(相変わらず口が悪い。でも、いつもの彼女なら意図が伝わるだろう)

 しかし、今日のメイリィは冷静ではなかった。
 そのままヴァルツに駆け寄り、訴えかける。

「なんでも良いのです! 何かお仕事を!」
「何を言っている?」(どうしたの?)

 とにかくヴァルツの役に立ちたいメイリィ。
 だが一方で、普段の頑張りから彼女に休んでほしいヴァルツ。

 両者の思惑は見事にかみ合わない。

「ですから、何かお仕事を──きゃっ!」
「!」

 そんな時、メイリィは近くにあった(たな)に足をぶつける。
 バランスを崩し、棚の上の()(びん)が落ちかけた。

「ヴァ、ヴァルツ様……!」
「ったく」
 
 しかし、危機一髪。
 ヴァルツが花瓶をキャッチし、態勢を崩したメイリィも腕で受け止めた。

「早く立て」(大丈夫?)
「は、はい……」

 そして、ヴァルツは再度告げた。

「二度も言わせるな。今日も何もしなくていい」
(疲れているならゆっくり休んだ方がいいよ)

「……か、かしこまりました」

 直属の(あるじ)に何度も同じ事を言わせる、メイリィもそれが失礼にあたると分かっている。
 こくりとうなずき、静かに部屋を出て行った。

 そうして、しばらく歩いた後。
 メイリィは自分のドジさが嫌になる。
 
「こんな頼ってももらえない私なんかじゃ……」

 すっかり落ち込んでしまったみたいだ。
 またそれを引きずってか、その後も立て続けにヴァルツに迷惑をかけてしまう。


 お昼ご飯時。

「あっ! 坊ちゃま!」
「しっかり持て、愚図が」
「も、申し訳ありません!」

 
 修行後にタオルを渡しに行く時。

「おい。濡れているぞ」
「す、すみません! まだ乾ききっていないものを!」
「いいから早く出せ」
「今すぐに!」


 お風呂時。

「邪魔だ、どけ」
「すみません! 私、何か役に立とうと──」
「どけと言っている」
「は、はい!」
 

 そうして気が付けば、すっかり夜になってしまった。

「……はぁ」

 今日一日を振り返り、メイリィは部屋でため息をつく。

「私って本当にダメダメです」

 いつもならミスは多くても一日に二度。
 そのはずが「役に立ちたい」、「ミスを取り返したい」、そんな思いが先行して余計に空回りしてしまった。

「こんな私じゃ、選ばれるはずがありませんよね」

 ついには『付き添い』に選ばれることを諦める。
 こんなメイドでは、学園に行っても迷惑をかけるだけ。
 そう思ってしまったのだ。

「はぁ」

 ため息と共に静まりかえったメイリィの部屋。
 そんな彼女の部屋に──ノックの音がした。

「はーい。どなたでしょうか」
「俺だ。開けろ」
「ぼ、坊ちゃま!?」

 ヴァルツの声に、メイリィは慌てて扉を開ける。

「ど、どうされたのですか!?」
「用があっただけだ」
「呼んでいただければ、私から行きますのに!」

 ヴァルツの部屋には、メイドが駆けつけるための呼び鈴が設置されている。
 そのため、メイリィの部屋に訪れるのはこれが初めてだ。

「それで用というのは……?」
「一度しか言わん。よく聞け」
「は、はい」

 ヴァルツの睨みつけるような目付き(いつも通り)。
 すでに慣れているはずのこの目も、今日ばかりは後ろめたさから合わせることができない。

 下手をすればクビ。
 それほどにまでメイリィは考えていた。

 しかし、ヴァルツが言葉にしたのは──。

「学園にはお前を連れて行く」
「……え?」

 信じられない言葉が耳を通り抜け、メイリィは顔を上げる。

「あの、今なんと?」
「一度しか言わんと言ったはずだ」
「でしたら……本当に私を?」

 ヴァルツは目を逸らしながら、少しうなずく。

「だからそうだと言っている」
「……! あ、ありがとうございます!」

 メイリィの顔が一気に晴れる。
 今の表情は彼女の心を表しているようだ。

「では俺は寝る」
「あ、あのヴァルツ様!」
「なんだ」

 そして、メイリィは部屋を去ろうとするヴァルツの腕を掴んだ。
 失礼かもしれないが、それでも聞かずにはいられなかったのだ。

「どうして私を選んでくださったのですか!」
「……何が言いたい」
「私なんて役立たずで、坊ちゃまに頼ってももらえなくて……」

 たしかに嬉しい事ではあるが、今日の仕事ぶりからはとても考えられない。
 合理的判断を好むヴァルツならなおさらだ。
 対して、ヴァルツは睨みながら一言放つ。

「貴様以外に誰がいる?」
「えっ……!」
「イチイチ言わせるな。お前は黙って付いてくればいい」

 メイリィの腕を振り払い、ヴァルツは戻って行く。
 その後ろ姿に、メイリィは精一杯の感謝を込めて言葉にした。
 
「ありがとうございます! 私、精一杯尽くさせていただきます!」
「ふん、当たり前だ」
「はいっ!」

 それから、メイリィは胸元で両手を合わせた。

「ふふっ!」

 今の彼女はとても幸せそうな顔をしていた。
 こうして、メイリィは晴れてヴァルツの『付き添い』となったのであった。



 ──そして、

「良かったですなあ」
「「「うんうん」」」

 このやり取りを、爺や、そして他のメイド達がこっそり覗いていたのは、二人には内緒だ。