影山家で過ごして1週間程経った頃、祖父が血相を変えて柚月の部屋に飛び込んで来た。

「お祖父様、どうしたのですか」

「柚月、お前神宮寺孝臣(じんぐうじたかおみ)と知り合いなのか」

神宮寺とは鬼の一族の本家。雄一の家が仕えている主であり財政界、経済界にも強い影響力を持つ一家である。孝臣とは神宮寺の現当主の1人息子であり次期当主だ。同じ学園に通う先輩でもある。

「神宮寺…2学上の先輩ですけど話したことはありません」

祖父には悪いが小さな嘘を吐いた。孝臣とは6年前、とあるパーティーに参加した際に実は1度だけ話したことがある。両親は美月に付きっきりで柚月は1人でスイーツを食べながらこっそり中庭に出たのだ。同じく抜け出してきた孝臣と偶然顔を合わせ
た。当時の柚月は孝臣の素性を知らず、自分と同じようにパーティーの雰囲気に馴染めなくて抜け出してきたのだと、妙な親近感が湧いたことから他愛もない話をした。たったそれだけだが柚月にとっては大切な思い出であり、前の人生の死の間際思い出したのも孝臣だった。柚月の初恋だったが、分不相応な相手だと知りすぐさま自分の気持ちに蓋をしたのだ。

そんな彼の名前が出たことで少し驚いた柚月だが、自分以上に動揺している祖父は気づかなかった。祖父は恐る恐る、といった様子でこう切り出した。

「…実はな…神宮寺孝臣との婚約の打診が来たんじゃ。当主から直々に」

「…はい?」

柚月は祖父が何を言ってるか分からず聞き返してしまった。神宮寺孝臣はあやかしの頂点に立つ鬼、その本家跡取り。そして本家のあやかしは基本的に同種族同士で婚姻を繰り替えし、その血を濃くしてきたのだ。血統主義甚だしいため所謂異類婚姻という、女子の憧れるシチュエーションが起こり得ないのでそういう上昇志向のある者は分家のものに狙いを定めているが。

「何かの間違いでは?神宮寺は本家ですよね。神宮寺孝臣様はその跡取り。普通分家の方から婚約者を選ぶのでは?」

「じゃが今の当主は人間の女性を伴侶に迎えておるからな。ないとも言い切れん」

柚月も知っている。だから彼は一族の者から「半妖」「半端者」と侮られていたがその卓越した頭脳と能力を周囲に示し続け、味方を増やし次期跡取りとしたの立場を盤石なものにしてきたのだ。

(前の人生では婚約者は居なかったはず)

女嫌いと囁かれていた彼は地位や見た目に惹かれた女性達にはとても冷淡だと有名だった。そんな彼が柚月に婚約を申し込む。訳が分からない。

「…冗談では?」

「当主にしか使えない印章を使っとる。これは当主及び一族の総意という意味じゃ。冗談で使われるものではない。それでだ、明日当主と孝臣様がうちに挨拶に来る。東雲ではなくうちということは柚月の置かれた環境をご存知なのだろうな」

展開が早すぎて着いていくのがやっとだ。

「挨拶って、私承諾して…断れるわけありませんね」

「…すまん」

祖父が申し訳なさそうに謝った。神宮寺から送られた手紙は見てないが、送られた時点でこちらに断る術はないのだろう。相手はあやかしの頂点たる鬼だ。逆らえば影山は潰されてしまう。12歳にして柚月の将来が決まってしまったようだ。

(東雲との縁が得たいのなら美月を選ぶはず。私では役に立たない)

当主及び孝臣の思惑が全く分からず柚月は不安に駆られる。正直なところ東雲も影山も名家とはいえ神宮寺は勿論、あやかしの血を引く一族には劣り政略的な意味で旨みはあまりない。そもそも孝臣と柚月は接点が無い。昔1度話しただけで、柚月は覚えていても向こうはすっかり忘れているはず。

(けど、こちらから断ることは出来ない。直接会えば神宮寺様の考えが分かるかしら)

柚月は初恋の相手に会える、と浮足立つこともなく、ただただ冷静に考えていた。