「…信じてくれるのですか」
「先ほどのお前の表情、あれと同じ人間を儂は何人も見てきた。そいつらは全員どん底まで突き落とされた人間だった。演技であの表情は出来ん。お前が絶望を味わったことがあるのだと分かる」
「私も無駄に長生きはしてきたから人を見る目は確かなつもり。あなたは嘘を言ってないことは分かるわ」
祖母は立ち上がると柚月の隣に移動し、徐に抱きしめる。
「…前の私達はあなたが苦しんでいるのに気づきもせず、今回もあなたが来なければ何もしなかったのでしょう。大事な孫と言ったところで白々しく聞こえるかもしれないけれど、紛れもない本心よ。でもこれだけは言わせてちょうだい…今までよく頑張ったわ。これからは遠慮なく私達を頼って」
柚月は記憶にある限り初めて自分を労る言葉をかけられ、目頭が熱くなり大粒の涙がポロポロと溢れる。裏切りを告げられた時も泣けなかったし、泣くのは美月の常套手段だったからいつしか泣き方を忘れてしまっていた。柚月が泣いたところで煩わしそうな顔をされるだけだったから。けれど、柚月は声を上げて泣いた。祖母の服がびっしょりと濡れてしまうくらいに。祖父は成り行きを見守っていたが暫くすると柚月の隣に移動して、やはり不器用な性質なのか何も喋らずただ寄り添うだけだった。それでも柚月は初めて家族の温かさに触れた気がした。
泣き止んだ柚月は2人とこれからの方針を話し合った。直ぐにでも養子縁組をしたいと言う祖父を柚月は止めた。政略結婚した夫婦の仲が冷え切ってるのは珍しくないし、伴侶が亡くなり元々の恋人と再婚する者は少なくない。柚月のように継母や継父との仲が上手くいってない子供は一定数いる。柚月の境遇は上流階級では珍しくないのである。暴力を受けている、ネグレクトを受けているなら話は別だが衣食住は保証されているし、一応不自由の無い生活を送っている。柚月の置かれた環境を虐待だと糾弾したら、他の家も処罰を受けることになってしまう。
養子縁組は最終手段であり、柚月は祖父母に後ろ盾になってくれるよう求めた。柚月の意にそぐわない縁談を持ち込まない、無関心を貫くのは構わないが都合が良い時だけ「家族」だ「姉」だと責任を押し付けない、そして柚月が東雲家で侮られないよう、祖父母の息のかかった者を数人送り込むことに決まった。話し相手兼教育係だ。柚月は成績が優秀なので家庭教師は付けられてないが、それは表向きの理由だ。勉強嫌いの美月には家庭教師が付けられているので、その理由を察するにあまりある。美月を溺愛する両親は手元に残したいがために彼女を後継者に指名し、東雲の分家の者から見た目が整っていて美月の代わりに東雲を支えていける者を婚約者に選んだ。勝手に決められた柚月と違い、美月が選びに選び抜いた婚約者だったのに彼は裏切られたのだ。
(あの人とはあまり話したことがないけど、美月のことは気に入っていたから裏切りを知った後どうしたんだろう)
ある意味自分と同じ立場になってしまった美月の婚約者のことは気になってしまったが、柚月は死んだ後のことは知る術はない。気にするだけ無駄だと気持ちを切り替える。
「東雲との話し合いが済むまで柚月はここに居なさい。必要なものはうちの奴に取りに行かせる」
「部屋はたくさん余っているから、好きな部屋を使ってちょうだい」
影山家は邸をいくつか所有しており、柚月の叔父に当たる人に会社を任せてからこの別邸で悠々自適に過ごしているらしい。引っ越す際母の私物も全て持ってきたらしいので後で見せてもらう予定だ。
ここの使用人は柚月に普通に接してくれる。すれ違いざまにヒソヒソとこれみよがしに悪口を囁くことも、部屋に紙屑を放り込むこともない。ポロリとこぼしてしまったら祖母がまた笑顔で静かに怒ってしまった。それを宥めることが1番大変だった。慣れてしまったから何とも思わなかったが、やはり柚月の育った環境は普通ではなかった。両親が軽んじている柚月を使用人も軽んじていいと思い込んでいたのだ。誰も自分のことを必要としていないとやや荒んでいた柚月の心は、影山家で過ごしていくうちにゆっくりと癒えていった。