「…ん」

目を覚ますと視界には見慣れた自室の天井が広がる。柚月はパチパチ、と目を瞬かせると勢いよく起き上がった。

(…何?私、死んだんじゃ…)

悪夢でも見たとかと思ったが柚月には地面に叩きつけられた時の激しい痛みの記憶がしっかりと残っている。そして、その選択を取るに至った忌まわしい記憶も全て残っていた。夢を見たのだと、全て笑い飛ばすには難しい状況だった。

(けど、ありえない。死んだと思ったらベッドで寝ていたなんて)

柚月は枕元に置いたスマホを手に取り、「え…」と困惑の声を上げた。スマホが柚月が死ぬまで使ってた最新機種ではなく、かなり古い型…柚月が中学生の時買ったものだったからだ。今はこの型は中古でも売ってないはずだ。柚月はスマホのロックを外し、中を調べると…信じられない事実が浮き彫りになった。

(2014年、10年前⁉︎何どういうこと)

柚月は驚愕の表情のまま、部屋を見渡した。記憶にある柚月の部屋とはやはり違う気がした。勉強机も高校卒業時に処分したものだし、本棚も昔使ってた小さいもので高校生の時に買い替えて処分したのだ。

(…私、10年前に戻ってる?)

柚月は頬を力一杯引っ張ると痛みが走る。夢ではないようだ。しかし、ありえない。非現実すぎる。だって柚月は死んだのだから。

すると襖をノックする音が聞こえ、失礼します、と人が入ってくる。柚月は目を見張った。入って来たのは栞だが、明らかに若い姿だったのだ。彼女は30近かったはずだが、今の彼女は20代前半に見えた。

「柚月様、おはようございます。朝食の準備が出来ておりますが部屋にお運びしても?」

「…おはよう栞。ねぇ、今って西暦何年か教えてくれない?」

「え…?2014年ですよ…柚月様大丈夫ですか?」

突然おかしなことを尋ねた柚月に怪訝な顔をしつつも栞は答えてくれる。冗談を言ってるようには見えなかった。柚月は顔が引き攣りそうになるのを何とか堪えて「ううん、ちょっと変な夢見ちゃっただけ」と適当に誤魔化すと、一応納得したらしい栞は朝食の準備をするために出て行った。

柚月はベッドから抜け出すと部屋にある鏡の前に立つ。そこに写っていたのは22の柚月よりもずっと幼い少女だ。もう疑いようがない。柚月は死んで、10年前に戻ったのだ。

何故こんな奇跡のようなことが起こったのか。若い命を散らした柚月を憐れんだ神がもう一度人生をやり直させてくれているのだろうか。柚月はあり得ない、と笑い飛ばせなかった。

この世界には人間の他にあやかしが存在し、そして共存している。いつからなのか詳しい記録は残ってないが、平安時代辺りからあやかしが人間社会に溶け込むようになり、人間もまた人地を超えた力を持つあやかしを頼りにすると共に、畏怖の念を抱いてきたらしい。

あやかしは人間よりも頭脳、身体能力、見た目の全てにおいて上回り妖術と呼ばれる不思議な術を使う。とはいえ、あやかしが人間社会で生きるにあたり様々な制限を課せられており状況によっては、人間を妖術で害すると処罰の対象となるという。

最も、あやかしが人間に力で負けるなどあり得ないため妖術を使うことはほぼ無い。姿は人間と変わらないあやかしもいれば、耳や尻尾が生えている人、中には身体全体を変えられる者もいる。そういった者が存在する世界、時を戻す術があったとしても不思議では無いのだが…。

(誰が時を戻したの…雄一…な訳ないわよね。そもそも彼は血が薄いしそんな強力な術は使えないはず)

柚月の婚約者だった高峰雄一(たかみねゆういち)は鬼の血を引く一族、その分家の跡取りで柚月はいずれ嫁ぐはずだった。高校に入る前に親同士の話し合いで決まった関係だったが、柚月は2つ年上の彼を兄の様に慕い、その感情が恋愛感情に変わるまで時間はかからなかった。雄一は柚月をそういう風に見てないことは分かっていたが、まさか妹の美月と思い合い、妊娠までさせてしまうなんて思いもよらなかった。

美月はいつも柚月が欲しいものを何でもない顔をして、さらっと奪っていくのだ。向こうには奪った自覚はない。周囲が勝手に彼女に惹きつけられるのだ。柚月と美月、同じ父親の血を引いているのに何故こうも違うのか。

(…2014年なら私は初等部で来年には中等部、雄一との婚約が決まるのは15の時だったはず)

同じ人生をやり直しているのなら、雄一との婚約を回避しなければならない。かつて本当に好きだった相手だが、流石に実の妹と浮気をしたと知ると100年の恋も覚める。今にして思えば、雄一と美月に裏切られたからといって死を選ぶべきではなかった。当てつけで死んだとしても何にもならないのに。