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誰かが私の名前を呼んだ。振り返ると一人の男性が立っているが、その顔は陰になっていて見えない。そばに駆け寄ると、彼は私の頬に手を添え顔をしかめた。
あぁ、そうだ。顔に怪我しているんだった
傷のある顔を見られたくなくて顔を伏せる私を、彼は優しく抱きしめた。
「もういいだろう?一緒に行こう」
私を抱きしめる手に力がこもったのを感じる。
「でも、私を助けてくれる彼女がいる限り、私はここを離れられないわ」
「助けられていないじゃないか!」
会うたびにできている新しい傷。治ったところで傷は増えていくばかりだ。いつもは体にばかりできる傷が今は顔にできている。
「仕方のないことなの」
「そんなことはない。君は誰よりも幸せに生きていいんだ」
「幸せだよ、貴方に出会えて――」
耐え切れず流れる涙。彼は黙って、その涙を拭うしかなかった。
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頬に感じる暖かさで目が覚める。
「大丈夫か?」
脳が覚醒し、そのぬくもりは朔都の手によるものなのだと気づく。勢い良く体を起こすと彼は困ったように笑った。
「そんなに警戒しないでくれよ」
「いや、そういうんじゃなくて……」
彼と部屋を一緒にしてから二週間が過ぎた。この二週間、私は信じられないほどぐっすりと眠れるようになった。前より顔色が良くなったと乙葉が言うほどに。
これも彼のお陰様だ。初めて力を使われた翌日、何が起きたのか尋ねると話してくれた。説明をするのは難しいが、簡単にいうと安心感を与えただけだと。代償はないのか聞くと、彼の持つ能力ではかなり小さな力だから何も影響はないと言っていた。
それからは彼に甘え、ほぼ毎日その力をもらっていた。いつかその力を使わなくても安心させてみせるという彼に、私は曖昧に笑ってみせた。
よく眠れるようになってからは、夢を見ることも増えた。その内容は何となくしか覚えていない。
「怖い夢でも見たのか?」
その問いかけに、自分が泣いていたのだと気づかされる。
「分からない。分からないけど怖くはなかった気がする」
ゴシゴシと涙を拭う手を止められ、朔都によって優しく拭われる。ぼんやりとした記憶しかないのに、その夢が自分のことのように感じる。
考えたって答えが出るわけないのだ。ベッドから起き上がり身支度を整える。仕事へ向かう朔都を見送り、部屋へ戻る。
昨日から学校は夏休みに突入した。この家で過ごす初めての夏休みはだらけている暇などない。
あの日許可された屋敷の管理を教えてくれるのは、鬼神崎家に仕える分家の者らしい。文哉という彼は、分家の中でも特に優れており朔都からの信頼も厚い。
私は彼に屋敷の管理だけでなく、あやかし社会のことなども教わっている。鬼神崎の人間になる自覚があるのだと文哉は喜んだが、私はただ朔都のことをもっと知りたいと思っていた。
彼の授業はスパルタで、今まで何も知らなかった自分が情けなくなる。それでも朔都の役に立ちたい一心で頑張った。


