鬼神崎での暮らしは何もかもが違っていた。
 私が暮らすこととなったそこは大きなお屋敷で、朔都のご両親は住んでいなかった。聞いた話によると、ご両親は本邸と呼ばれる屋敷に住んでいるらしい。
 この屋敷の管理は朔都に任されており、複数の使用人と暮らしていた。そこへ突然やってきた私だが、みんな温かく迎え入れてくれた。

 使用人のほとんどは鬼なのだと朔都は言っていた。それぞれ優れた能力を持ち、各分野で鬼神崎の役に立ってくれているのだと。鬼の中で、あやかしの中で最も力を持っている鬼神崎に仕えられることはとても光栄なことらしい。
 それに比べて私が役に立てることは何なのだろう。将来のためと人一倍勉強をした。学校でも上位の成績をキープしているし、学校で習わないことは自分でも勉強した。周りの高校生より少しだけ勉強ができたところで鬼神崎の、朔都の役には立てない。

「うーん……」
「さっきからずっと唸って、どうしたのよ」
「それがさ――」
 
 授業の合間の休み時間、一人で悩んでいてもどうしようもないので乙葉に話す。彼女にはあの日すぐ、婚約して家を移ることを話した。電話越しでも動揺が伝わる乙葉の声は心配を含んでいた。あれから一か月が経ち、以前より大切にされているからよかったと言ってくれた。

「そうね、まだ高校生の瑠莉にできることは限られているし」
「朔都さんは何もしなくていいって言うけど……」

 朔都と暮らし始め、身の回りのことは使用人がしてくれるようになった。今まで受けたことのない対応に戸惑い、自分でやるというがそれは受け入れられないと言われた。朔都の婚約者という立場はそれほど大切にされるべきだと。
 せめて何かさせてほしいと相談するも、そばにいてくれたらいいと髪を撫でるものだから何も言えなくなった。朔都は私を今までの分だと言ってたんまりと甘やかす。
 噂とは違っていた彼の優しさにいつまでも甘えているわけにはいかない。

「じゃあ、屋敷の管理を教えてもらうとか?」
「それだっ!」

 一般的に屋敷の管理をするのは夫人の仕事らしい。朔都は婚約すらしていなかったため自らやっていたが、今は状況が違うのだ。何も知らない私はまだ役に立てないけれど、今から勉強すればいつかきっと役に立てる。
 授業開始のチャイムが鳴る。早く帰って伝えたい。古典の授業は上の空で、学校が終わるのを待ち望んだ。


***


 まっすぐ家に帰ると、珍しく朔都が先に帰っていた。私の部屋の隣にある彼の部屋をノックすると、ゆっくり扉が開いた。この屋敷では、私と彼の部屋だけ洋室になっている。

「やっぱり瑠莉か。おかえり」
「ただいま。今時間大丈夫?」

 朔都の後ろに見えるデスクの上には書類が重なっている。早く帰ってきたとは言っても、家で仕事の続きをしていたのだろう。

「大丈夫だ。中に入ろう」

 朔都が腰かけたソファーの隣に腰かける。少し離れて座っても詰められる二人の距離に、最初はあたふたしたが今ではかなり慣れてきた。とはいえ、彼が醸し出す甘い空気は未だに慣れない。

「それで、なんの用だ?」
「お願いがあって」

 朔都に体を向け、目を見る。彼は変わらず甘い空気を流している。

「屋敷の管理を学びたいの」
「気にしなくていいと言ったのに」

 想像していたお願いと違ったのか、彼は眉をひそめる。彼は私の願いは何でも叶えてくれると言っていたが、私が何かをするのはあまり望んでいないようだった。
 出会って一か月。婚約者になったからと言って私は信用されていないのだろうか。本人の意思は関係ない婚約だけど、この一か月で良い関係を築けていたと思っていたのは私だけだったのだろうか。

「部外者なんて信用できないよね、ごめんなさい」

 勝手に悲しくなって立ち上がる。この空気に堪えられないからこの部屋を出ていこう。

「勘違いするな」

 手首を掴まれそのまま彼の手の中に収まる。いきなりのことで、自分が彼の膝の上に座ったことに気づくまで時間がかかった。

「えっ、ちょっ」
「信用していないわけがないだろう。瑠莉は勉強だって誰よりも頑張っているのを知ってるから、これ以上無理をしてほしくないんだ」
「えっ」

 予想外の言葉に固まる。私はただ当たり前のことをしているだけなのに、彼はこんな風に心配してくれている。

「あまり寝てもいないんだろう?」
「それは……」

 寝られていないのは勉強のせいではない。眠れないから勉強をしているのだ。

「どうしてもと言うなら、一つ俺の願いを聞いてくれ」
「私にできることなら何でもする!」
「じゃあ、今日から部屋は一緒な」
「え……」

 この家に移った日にも同じ部屋を使おうと言われていた。それをどうにか分けてもらったのはわたしの我儘だ。もう諦めてくれたものだと思っていた。

「何でもするんだろう?」
「でも、それは……」
「一緒の部屋になれば瑠莉が無理しないか見られるし」

 これは譲れないと言う彼の言葉に私は従うしかない。彼の役に立てる人間になるためなのだと自分に言い聞かせる。

「部屋に運びたいものがあったら教えてくれ」

 朔都の部屋は一人部屋だと思えないほど広い。仕事も睡眠も同じ部屋がいいというのが彼の考えだからだ。私が一緒に過ごすようになったとしても広すぎるこの部屋には何でも揃っている。最低限のものを伝えると使用人が運び、あっという間に部屋の移動は済んだ。


***


 あっという間に眠りにつく時間となった。デスクライトの明かりだけ付いている薄暗い部屋。私は広いベッドに入り目を瞑っている。しかし、全く眠れる気配がない。

「眠れないのか?」
「うん」

 朔都の声がこちらに近づいてくる。暗くても迷いなく歩けるのは、彼が鬼だからなのだろうか。そういえば鬼についてあまり聞いたことがないと気づく。

「朔都さん、鬼って特別な能力を持っているんだよね?」

 ベッドに腰かけた朔都に問いかける。

「鬼だけじゃない、あやかしは皆何かしらの能力を持っている」

 その力が強い者もいれば、弱い者もいるのだと続ける。能力だけで言えば、現存するあやかしのなかで最も強いのは朔都なのだと。

「超越した力を持つ者こそ、その使い方には注意が必要なんだ。大きい力には代償が伴うから」

 初めて会った日、苦しんでいたのもそのせいらしい。あの日以来、彼が苦しんでいる姿は目にしていない。彼は何のためにその力を使ったのだろう。

「朔都さんの能力って何なの?」
「こういうこと、とかかな」

 困ったように笑い、私の目に手を被せる。どこか懐かしい感覚に意識は遠のき、私はそのまま眠りについた。