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今朝も過ごした部屋が懐かしく感じる。朔都に助けられてそのまま帰宅した私は、今はベッドに座らせられている。
「ごめんなさい、迷惑をかけて」
語尾になるにつれて声が小さくなる。勝手に宴会の部屋を出て、勝手に捕らえられた私。私が行方不明になってから、みんな大忙しだったらしい。
「迷惑ではない。心配したんだ」
隣に腰を下ろし私を抱きしめる朔都。彼のこんなに弱々しい姿は初めて見た。こんな騒ぎを起こした私を、彼はこんなに心配してくれていた。
「好き……」
不意に口から出た言葉に驚く。彼は顔を上げてこちらを見つめる。
「今、なんて?」
「好きです。きっと何百年も昔から」
一度言ってしまえば二度も変わらない。私の放った言葉に、彼は目を丸くする。
「思い出したのか?」
「やっぱり……何となくだけど夢で見たの。ねえ、あれが何なのか教えてくれない?私のせいで起きた全てのこと」
「瑠莉のせいではない。全て思い出すと辛いことも思い出すことになるんだぞ」
「それでもいいの。私は貴方を、朔都さんを忘れたくない」
私の強い意思を汲んで、彼はぽつりぽつりと語りだす。
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何百年も昔、瑠莉という少女がいた。幼くして親を亡くした哀れなその少女は、家に幸運をもたらす特別な少女だった。
本来、少女は大切にされるべき存在だ。しかし人間は、その存在を気味悪がり都合よく使っていた。
少女を引き取った、町では大きな家。そこで少女は手を上げられ、普通の生活は送れなかった。そんな少女の心の救いは、そこに仕える五つほど年上の娘だった。助けることはできないが、いつも少女のそばで声をかけてくれた。
瑠莉が十七歳のころ、朔都と出会った。
家での扱いは変わらなくても、たまに家から逃げ出すことはできた。逃げ出してた彼女が行くのは、小さな神社の奥の山。誰もいないところに逃げ出したくて見つけた息ができる場所。
そこで出会った二人は、何度も会っていくうちに互いに恋心を抱いた。
彼が鬼だということを明かしても変わらない彼女。「貴方より家の者の方が何倍も恐ろしい」と悲しく笑った。
彼女の事情を知り、共に隠り世に住もうと言うようになった彼。彼は大きな力を持っているから、彼女が隠り世で安全に暮らせるようにできるのだと話した。しかし、彼女が首を縦に振ることはなかった。幼い頃から心の救いだった娘をおいてはいけないと。
二人が出会って一年が経ったころ、日本は千年に一度の天災に見舞われた。もうじき日本は消滅する、その前に隠り世に移り住もうと彼が言っても、彼女は変わらず受け入れない。彼女を見殺しなどできない彼は、力を持つあやかしに協力を求めた。
現し世がどうなろうと関係ないが、救うことでこの先利益を得られるかもしれないと力を合わせた。徐々に雨は止み、雷はおさまった。
消滅する寸前の日本を救ったあやかしたちは、人間に称えられた。人間にあやかしが受け入れられ、共存する道を選んだ。
それからは二人、堂々と会えるようになった。家での彼女への対応は、彼の存在によって改善された。長い時間を共にする二人。春が過ぎ、夏過ぎ、秋が来た。
秋のある日、事件が起きた。
彼女の心の支えだと聞いていた娘が、彼女に刃物を向け走ってきたのだ。彼が庇い彼女は無事だったが、彼の腹部には刃物が刺さっていた。己の力で傷を治せる彼にとっては大したことではなかったが、彼女にとってはそうではなかった。
自分を庇い彼が傷を負ったこと、信じていた娘に裏切られたことの二つが彼女を絶望させた。気にするなと言ってもどうしようもない、自分を追い詰めて弱っていく彼女を見ていられなかった。
だから、消したのだ、彼女の記憶を――
人の記憶をいじることは容易ではない。あやかしでできる者は彼だけで、その彼にすらかなり難しい。力を使えば代償があるだろうが、彼はそんなことどうでもよかった。幸せに生きていけるよう願って、彼女から彼と娘の記憶を消した。それから二人は他人になった。


