銀座の街は先日来た時同様に、たくさんの人が行きかっていた。
 袴姿の女子学生が友人同士で談笑しながら歩いていたり、最近流行の洋装をした男女が身を寄せ合うようにして歩いていたり。
 皆おしゃれで、輝いているように見えて、さして美人でもなく、むしろ貧相な自分がこのようなところにいるのが場違いなようで、気後れしてしまう。
 
(早くいらっしゃらないかしら)

 12時に紫呉と待ち合わせなのだが、少し早く着きすぎてしまった。
 待っている間に凛は自分の着物をもう一度見た。

 (変じゃないかしら?)

 淡い薄紅色で大ぶりの牡丹が描かれた華やかな着物は、今まで着たことの上等なもので、自分に似合っているのか自信がない。
 着付けをしてくれたしずは「綺麗です。坊ちゃんも可愛いと仰ると思いますよ」と言って送り出してくれた。
 確かに最近紫呉は口を開けば「可愛い」「素敵」だと臆面もなくとろける様な笑顔で言ってくれる。
 その度に凛の心臓が高速に動き、このまま死んでしまうのではないかと思ってしまう。

 (だけど、勘違いしては駄目よ)

 紫呉の態度が変わったのは、ハンカチの持ち主が凛の父親だと判明してからだ。
 それまでも珍しい物を買ってくれたりと気遣ってくれてはいたが、ハンカチの一件があってから、凛を褒める様な言葉を口にするようになった。
 詳細は分からないが紫呉は凜の父を恩人だと言っていたので、恩を感じて代わりに凛を褒めてくれるようになったのかもしれない。
 
だから決して紫呉に他意があっての事ではないのだ。
 それを頭で理解してはいるものの、褒められれば嬉しいと思ってしまうのが女心というものだ。
 少しだけふわふわした気持ちで紫呉を待っている時だった。

 「あら? 凛じゃないの」

 それは華絵の声だった。
 自分の名前が呼ばれている。振り向かなければならないのに、体が強張って振り返れない。
 今まで浮ついていた気分が一気に沈み、俯くことしかできなかった。
 返事をしない凛にいらついたようで、華絵が凛の前までやって来てしまったので、凛はゆっくりと顔を上げた。
 
 華絵の半歩後ろには白いスーツに身を包んだ良家の男性と、目鼻立ちのはっきりした書生風の男性が立っていた。
 多分、彼らは華絵の取り巻きだろう。

 「ちょっと、返事しなさいよ」
 「も、申し訳ありません」

 凜は小さく震えた声で答えると、華絵は凜を上から下まで眺めて高慢な笑みを浮かべた。

 「ふん、まぁまぁいい着物ね。でも貧相な貴方には不釣り合いだわ。ま、ご老体でも妾にはそれなりの物を与えてないと体裁が悪いですものね」
 「そんな……」
 「まぁ、老いぼれの妾でもあなたには勿体ない生活よね」

 そう言って華絵が鼻で笑う。その笑い声を冷え冷えとした声がかき消した。

 「誰が誰の妾だと?」

 振り返ると冷笑を浮かべた紫呉がやってきて、凜を庇うように華絵の間に立った。
 だがその冷笑でさえ、美しい紫呉の姿に、華絵は釘づけになっている。
 そして我に返ると慌てて弁明をし始めた。

 「こ、この女のことです。この子は時鬼家当主の紫呉様の妾なのです。私は、事実を言っただけですわ」
 「なるほど。何か勘違いをしているようだが、時鬼紫呉は俺だ。そして凛は妾ではない。俺の大切な女性だ」
 「な……」

 紫呉の言葉に華絵が絶句した。
 凛もまた紫呉の言葉に驚くと共に、その言葉の意味を理解するとじわじわと顔が赤くなっていく。

 「凛、行こう。早く行かないとオペラが始まってしまう」

 紫呉はそう言うと、まるで華絵の存在など眼中に入っていないかのように、自然に凜の腰に軽く手を添えて歩き出した。
 表情は先ほどの凍てつくほどの怒りを滲ませたものではなく、それとは対照的に春の日差しのような柔らかな笑みであった。

 「ちょ、ちょっとお待ちくださいませ! そんな貧相な子が、紫呉様の隣に立つなんて、紫呉様の品位が下がってしまいますわ。その子よりも相応しい女性がいますでしょ」

 華絵の口調はまるで自分が紫呉の隣に立つべきだと主張しているような言いぶりだった。
 その態度に取り巻きの男たちも困惑している。
 紫呉は華絵の言葉に対し、鋭い口調で短く答えた。

 「君にとやかく言われる筋合いはない。凛を選んだのは俺だ。望むのは凛だけだ」

 そう言って、紫呉は再び歩き出した。

 華絵は凜が老人の妾になったと思って笑っていたのに、実際には美丈夫に大切にされている様子を見てくしゃりと顔を怒りに歪ませて、去って行く2人を睨んだ。
 「あの子が幸せになるなんて絶対に許さないわ。見てなさい」
 華絵が歯ぎしりしながら言った言葉は、凛の耳に届くことはなかった。