「!」
 そこから先は、声にならなかった。
 サクサクした衣の食感、そしてその熱さに口の中が混乱した。かと思うと、その奥から何やら柔らかなものが入ってきて、その甘みとほのかな酸っぱさが口の中を塗り替えていく。
 これが、あの赤いモノだろうか。
 だけど海老ではない気がする。もっと柔らかで、瑞々しい。魚や山菜の感触とは少し違うだが、それが何なのか、りんには見当がつかなかった。
「美味いか?」
 千秋が勝ち誇ったような顔で、尋ねてくる。りんは必死に頷き、天麩羅を飲み下す。
「美味しいです!」
「そうかそうか。そら良かったわ」
 千秋がニカッと、快活に笑う。それまで抱いていた印象から、ほんの少し幼くなったように見えた。もしかしたら、これが彼の飾らない素の顔なのかもしれない。
「あの……美味しいですけど、これ、何ですのん?」
「それはな……『苺』や」
「『苺』?」
「西洋の水菓子(くだもの)や。手に入れるのに、えらい難儀したわ」
「水菓子……え、水菓子!?」
 いくら天麩羅を食べた経験が少ないりんでも、水菓子が揚げ物に向かないことくらいわかる。だが、千秋は一向に嘘だとは言わない。
「信じられへんみたいやな。そやけど、美味いやろ?」
「は、はい……」
「うん。ほな、全部食べ。全部」
 千秋は朗らかに笑って、そう言った。なんだか嬉しそうだ。りんが再び箸を握ると、今度は朗々と語り出すのだった。
「いや、美味いて言うてもろて良かったわ。弟がようやっといくつか手に入れてくれたんやけど、天麩羅にするて言うたら、どえらい怒るもんでな。誰かにそう言うてもらえるんを待ってたんや」
「お、怒って……?」
「そうや。『あんだけ苦労して手に入れたもんを、こんな奇天烈なもんにしよって!』てな。明王さんより怖い顔やったわ」
 千秋がカラカラ笑ってそう言う横で、りんは身を固くしていた。
(美味しいけど……『美味しい』言うたらあかんかったんとちゃうやろか)
 そう思いつつ、ついつい箸が止まらず、あっという間にぺろりと平らげてしまったのだった。
 皿の上が空になると、りんの体は満たされたように力が充満していく。先ほどまで土に沈んでしまいそうなほど重かった体が、今は羽根のように軽い。
「ごちそうさまでした! ありがとうございます!」
「お粗末さん。体は、もうええみたいやな」
 千秋が、りんの周囲を見回す。
 気付くと、さっきまでのしかかっていた黒い影……あやかしは少しも見えない。
「あれ? どこ行ったんやろ?」
「なんや自覚ないんかいな。全部平らげたあたりで、さっきのあやかしは消えてったで」
「そ、そうなんですか!? 今までご飯食べたかて消えへんかったのに、なんで!?」
「なんや、それ? 今までずーっとあの重たいのん抱えとったんか?」
「い、いえ……どうしても動かれへんようになったら、本家の方が祓ってくれはりました」
「……ほぅ。つまり、こんなことは初めてなんか?」
「初めてです。こんな体が軽くなったんも、こんなに美味しくてお腹いっぱいになったんも!」
 その一言には、千秋は俯いて答えようとしなかった。が、すぐに顔を上げて、まっすぐにりんの顔を見つめた。
「あんた、ここに女中(おなごし)として来たんやったな?」
「はい」
「よっしゃ、わかった……帰ってんか」
「……え!?」
 急に発せられた無体な言葉に、りんは青ざめていく。
「な、なんでです!?」
「わしは、あんたの役に立てることはないからや」
「うちの役に、ですか?」
「なにせわしは、本家で役に立たんようになって追い出された身やからな」