しばらくすると、千秋が大荷物を抱えて戻って来た。皿をいくつも抱えているのかと思いきや、卵やら何かの瓶やら、すり鉢やらまな板やら包丁やら、調理道具まで見える。
「若様、ここで作るんですか?」
「こいつと二人だけで待たせるのはあかんと思てな」
 ちらりと九重を見る。九重は先ほどからニヤニヤしてはいるが、不思議と何か害をなす気配はない。だが、警戒は解けない。
 千秋はふとんで横たわるりんと九重の間に座り、まな板を置いた。その上で、先ほどの赤茄子を包丁で切り分けていく。
「生で食べるんですか……?」
「まだ新鮮やから生で食べられるし、美味いで。それに、こうすると……更に美味いんや」
 縦にいくつか切り分けた赤い実に、何やら赤い味噌のようなドロッとしたものをかけた。自分の戦いと啖呵を切ったとは言え、試食と兼ねてのご飯となってしまったことを、ほんの少し後悔したりんであった。
 だが、思い切って一口かじって、そんな思いは吹き飛んだ。
「これ……美味しいです」
「そうやろ?」
 口の中に広がる果肉が、瑞々しく、ほどよい酸味だった。そこに、甘みが覆い被さってくる。赤い味噌のようなものの味だろうか。
 酸っぱい、甘い、酸っぱい、甘い……交互に押し寄せてくる味がなんともくせになり、りんは気付けばすぐにもう一口かじっていた。
「それが赤茄子や。茄子よりも水気が多うて、水菓子(くだもの)みたいやろ」
「はい。毒やなんて言うてしもて……それにこの赤いお味噌みたいなんは……?」
「そっちは食べたことあるやろ。苺や」
「苺? でも、前はもっと大きいて、ぎゅっとした実で……」
「砂糖で煮詰めたもんや。古なったら美味くないさかい、(いた)む前に作ったんや。西洋では、ジャムていうらしいで」
「じゃむ……!」
 感激で目を輝かせるりんをにこにこ見守りながら、千秋は次なる料理に手を着けていた。 まな板の上には、茹でた卵が置いてあった。黄身の部分をくりぬき、白身の部分を細かく刻んでいる。その隣には、皮を剥いた赤茄子が、中身をくりぬいた状態で置かれている。
 千秋はまな板を脇にどけ、すり鉢を手元に寄せた。そこには先ほどの茹でた卵からくりぬいたのであろう固まった黄身がころんと転がっている。
 そこに、別の器に入れていたらしい生の卵の黄身を流し込む。
(た、卵が二つも……! なんて贅沢な……!)
 驚くりんには目もくれず、千秋は更に塩やら胡椒やら辛子やらを入れてかき混ぜていく。手を止めたかと思うと、油と、何か酢のようなものを入れ、更に混ぜ合わせる。混ざったら、また油と酢を入れてかき混ぜる。それを何度か繰り返していると、すり鉢の中が、徐々に白い、どろりとした状態に変わっていった。先ほどの『ジャム』とはまた違う、少しとろみのついた味噌っぽいものだ。
 正体がまったくわからないそれの中に、さきほど刻んだ卵の白身を入れて、混ぜていく。均等に混ざったのを見ると、今度は中をくりぬいた赤茄子の中に、詰めていった。
「できたで。赤茄子(トマト)のシタフエや。どうぞ、おあがり」
 初めて見た時は、なんて奇抜で奇妙なものなんだろうと思っていた。だが、先ほどのジャムを載せた赤茄子(トマト)はえもいわれぬ美味しさだった。
 今は、どんな味なんだろうと、期待してしまっている。
 ごくりと喉を鳴らし、りんは匙でそっと卵の白身を掬った。なんだか酸っぱい匂いだが、嫌な感じはしない。
 迷いなく、ぱくっと一口、頬張る。
 柔らかく、優しい酸味が、口の中に広がっていくのが、わかった。今度は赤茄子も少し切り分けて、卵と一緒に頬張る。
 瑞々しさと合わさると、更に口の中がとろんとしてお菓子のように口の中を甘く染めていく。
「若様、美味しいです……!」
「そうかそうか。そら良かった」
 千秋はホッとしたような笑みを浮かべた。そういえばこれは試食でもあるんだった。それを忘れるほど、美味しくて美味しくて、新たなことを発見した喜びに溢れていた。
「あの、若様……!」
「力、出たか?」
「はい、湧いてくる気がします」
「そうか、ほな……あいつを送り返せるか」
 千秋の視線が、九重に向く。ただ黙って壁際で一人佇む九重は、どうしてか、一言も発しない。
 りんや千秋やを挑発していた時の様子から、様変わりしているようだった。まるで、りんが門を開くのを待っているかのような……。
「待って下さい、若様。うち、あの人を帰すんは、やめにします」
「はぁ?」