「わしに憑いてたあのあやかしを、取り憑かせたて……なんちゅうアホなことを……!」
 千秋に運ばれて床に入り、かろうじて意識のもつうちにと、りんはいきさつを語った。案の定、お叱りを受けてしまったのだが、千秋の具合はどこも悪くないようなので、内心ではホッとしていた。
「若様……これで、呪いは解けましたか? もう、あやかし祓いは、できますやろか?」
「残念やけど、まだやな。だいぶ体が軽うなった気はするけんど」
「まだなんですか? やっぱりあのあやかし、嘘言うてたんやろか……」
――人聞きの悪い。わしは嘘はつかん
 そんな声が、部屋に響き渡った。今度は千秋にも聞こえているようで、眉をひそめて周囲を見回している。
九重(ここのえ)、貴様か。出てこんかい」
 千秋の叫びに呼応するように、黒い靄がりんの体から噴き出て、そして形を成した。
 そこに立つのは、先ほどの黒い靄ではなく、人だった。
 黒い髪に黒い瞳、黒い御召に羽織を纏った、男の姿をしている。その容貌は、女と見まがうほど美しい。
 思わず息を呑むりんに対して、千秋はその男を、きつく睨みつけた。
「九重、何故(なにゆえ)りんに憑いた。貴様はわしの体を好んどったんと違うのか」
 千秋の視線を受けても、黒いあやかし……九重は、眉一つ動かさず、薄い笑みを浮かべている。美しく、妖艶で、そしてとてつもなく不気味だった。
「千秋……そない睨まれても困るなぁ。その(おなご)が、取り憑いてもええて言うたから取り憑いた……それだけや」
「何をあほなことを……貴様が(そその)したんやろうに」
「唆すやなんて……わしは、ちょっと賭けに誘っただけや。危険な賭けやけど、そのことも全部話した上で、賭けに乗るかどうか選ばせたったんやないか。乗る、言うたんは他でもないこの(おなご)やで」
「それを唆す、いうんや! やはりあの時、わしの身体ごと消滅させたら良かった。こんな不憫な娘を、貴様のせいで二度も危険に晒すやなんて……わしはもう、この子の父御(ててご)母御(ははご)に申し開きのしようもない」
 千秋は、拳を握り、畳に叩きつけた。衝撃も音も、畳によって和らぐが、九重に向ける千秋の視線は鋭さを失わない。
 そんな視線すら、九重は心地よさそうに見つめている。
「申し開きなんぞするつもりでおったんか? そんな資格、あの時にとうに(うしの)うとるやろうに」
「やかましい……! これ以上、まだこの娘を傷つけるか……!」
 どうして、千秋はこんなにも怒っているのか。自分のせいでりんが倒れたからだろうか。それにしても、怒りが凄まじい。
 ぼんやりとする頭で考えるうち、先ほどの言葉が、ふと甦った。
「ちょっと……待ってください。うちを、二度も危険に晒すて……何のことです?」
 先ほど、千秋は確かにそう言った。だがりんは、九重を見たのはこの店に来てからのはず。
 では、一度目とは、いつのことなのか。
 しかも、りんの父と母に申し開きができないと……そう言った。
「なんで……若様がうちの親に申し開きをするんですか? うちは、この……九重と会うたことがあるんですか? 若様とも? どこで、いつ?」
 矢継ぎ早に問うりんから、千秋は視線を逸らせた。しまった、と言いたげな顔だ。
 聞かない方がいいのかもしれない。だが、聞かずにはいられない。
 まだ千秋に迫ろうとするりんを見て、九重が代わって口を開いた。
「教えたったらええやないか。子どもの頃、故郷の村の人間を全員喰うたんはわしで、助けに来ようとしたけんども間に合わずに、みなしごにさせてしもたんは千秋……お前やってな」