可能性が僅かでもあるのは、確かだ。ここで見逃すと、千秋はまた霊力をなくしたまま、本家に戻ることができない。
 本家を嫌っている風ではあるけれど、千秋が本家で期待されているのは、確かだ。戻れば、きっと活躍を見せるに違いない。
 だから、千秋は戻るべきだと、りんは思う。
 そのために、今、少しでもできることがあるならば……
「わかりました。うちに取り憑いてください。若様のご飯で、追い払ってあげますさかい」
――ええ根性や
 ニタリ、とあやかしは笑った。
 そして次の瞬間、立ち塞がっていた靄が大きく膨れ上がった。
 りんの身の丈よりもずっと大きく、家の屋根をも覆い尽くすほどに大きくなったそれは、今度は一気にりんに向けて降り注ぐ。
 真っ黒な水に落ちたような感覚だった。息もできないほどに全身を黒い靄が包み込み、もみくちゃにされ、やがて無理矢理にこじ開けられたようだった。そして、胸の内をドロドロとしたものが侵食していく。
 目眩に、頭痛に、悪寒に、吐き気――ありとあらゆる感覚が狂っていく。
 やはり、取り憑かせてはいけないものだったと確信したが、もう遅い。体の自由を、力を、見る見る間に奪われていく。
「おーい、どないした? なんや大声出してへんかったか?」
 その声は、天の助けだと思った。だが同時に、来て欲しくないとも思ってしまった。
「な、なんや? どないした!?」
 千秋が、駆け寄ってくる。履き物を履くことも忘れて庭に下り、うずくまるりんの肩を掴む。
 こんな失態、見せたくはなかった。自業自得ではあるけども、それでも千秋に失望されたくない。
 だがそれでも、千秋に、どうしても言いたいことがあった。まだ、声が出る内にどうにか一言、伝えたい。
「若様……」
「どうした? これは、まさかあやかしが……!」
「お……おなかが、すきました」
 みるみる力を奪われて、もはや空腹どころじゃない胃袋事情になっていたのだ。