「試食も若様の役に立てること……やんな」
 自分で自分に言い聞かせながら、りんは庭に戻った。まだ干しかけの洗濯物がある。
 だけどこれを干している間にも、あの真っ赤なものの料理が着々と出来上がっていく。そう思うと、なんだか気が重かった。
「試食……せなあかんのかな」
――そんなことして、何になるんや?
 また、見えない誰かが囁きかけた。りんの心を見抜いているかのような言葉に苛立つと共に、どこかホッとしていた。同意してしまいたくなる。
「あかんあかん。うちは女中(おなごし)として来てるんやから。若様の言わはることに従わなあかんのや」
――ホンマに?
「当然ですやろ。そうやないと、うちは、もうどこにも行く宛てがないんやから……」
 りんが、ぐっと拳を握りしめると、どこかでクツクツ笑う声が聞こえた。
 やはり、この見えない誰かにからかわれている。いや侮られている。
「もう、話しかけんといて。なんにもなれへんわ、こないな話」
 空になった籠を持って庭から去ろうとした、その時だった。
 何かが、行く手を遮った。
 それは形のない(もや)のような見た目をしていた。ここに来た日に取り憑かれたあやかしと同じような気配だ。
(やっぱり、あの声やったんや……! しかもあの日取り憑いたあやかしと同じ、悪い方の……)
 だが、あのあやかしとは大きく違う。
 だってこのあやかしは、ずっと笑っている。りんが苛立っている様子を見て、楽しんでいる。
 今まで取り憑いたあやかしは皆、大なり小なり苦しんでいた。こんな風に、誰かの苦しみや苛立ちを喜ぶことなんて、なかったのだ。
「もしかして……お客さんですか? それやったら表のお店の方に来たらよろしいのに……」
――あんなけったい(・・・・)な飯はいらん
「た、食べてみはったらよろしいのに。美味しいですよ?」
――そんなもん食わんでいい。ただ、あんたが代わりに食うてくれるんやったら、客になったってもええで
「うちが?」
 思わずうわずった声を出してしまうと、あやかしは再びくつくつと笑った。
――そうしたら、あの男も喜ぶんとちゃうか?
「なんで若様が、それくらいで……」
――身軽(・・)になるやろ。自分がせっせと封じとるあやかしが体から出て行っ
てくれたらなぁ
「今、なんて?」
 あやかしが、愉快そうにしているのがわかった。動揺するのは、このあやかしの思うつぼなのだとわかる。だけど、それでも問い返さずにいられなかった。
「若様が封じてはるあやかしいうのが……」
――そう、このわしや。ようやっと、他の(もん)と話ができたわ
 この、黒い(もや)が……このあやかしが、千秋が封じ、そして千秋の霊力を封じ込めている。千秋が本家から放逐される原因になったあやかしだと、そう言った。