どのくらいの時間が経っただろうか。私は何かに操られたかのようにスマホを操作して、もう一度SNSを開いた。

 友人の兄の投稿は、数十分の間に削除されていた。おそらく、私の目に留まることを恐れたコウ君が、何等かのもっともらしい理由をつけて、削除を依頼したのだろう。

 見つけなければ良かった、と思った。そうすれば、私はずっと幸せな女でいることができたのだろう。少なくとも、このままコウ君と自然消滅したならば、これ以上心を抉られることはなかったはずだ。

 けれど同時に、もし何も知らずにいたならばどんな結末を迎えたのだろうかと、全身に悪寒が走る心地もする。

 訳のわからない混沌とした思考の中、私は先ほどの投稿が幻だったのではないかと考え始めていた。結婚式の気配が、忽然と消えたのだ。ネット上のデータなどというものは、少なくとも私たち素人の目からみると、ボタン一つで簡単に消滅してしまう、それこそ幻覚のようなもの。

 日が暮れて真っ暗になった部屋の中、KOHの投稿を隅から隅まで調べ上げる。不自然なほど、他人の写真ばかりだった。

 最もたくさん映っているのは、活発そうな、垢抜けた髪色をした女性の姿。添えられた文章から推察すれば、きっと恋人なのだろう。名前は(めぐみ)。自分の写真を一枚も投稿しないこのアカウントの主は、つい先日()と結婚したらしい。香苗(かなえ)ではなく、恵と。

 私はさらなる情報を求め、別種類のSNSを探る。共通の知人のアカウントを渡り歩き、カレンダーと睨めっこをしながら、私が知り得る限りのコウ君の行動履歴と照らし合わせ、それらしいアカウントを見つけ出す。

 暗闇の中、唯一の光が四角い画面から発せられている。その中に浮かび上がる悪夢のような言葉が、私の心を打ち砕く。

 ——ちょっとそれらしいことを言ったらすぐに落ちたんだけど、マジで単純すぎて笑える。純粋ってレベルを超えてんだよな。むしろ馬鹿?
 ——誕生日もクリスマスも当日に会えない時点で普通察するだろ。

 ぞわり、全身の毛が逆立った。投稿には友人らしき人たちからのコメントがついている。

 ——性格悪いな、おまえw まあ騙される方が馬鹿だよな。良い年して。
 ——何々、Kちゃんの話?
 ——いつバレるのかねえ?

 どれもこれも、単純馬鹿なKという女を揶揄するような調子だった。なんてひどい。Kなんて、どこの誰だか知らないけれど。

 ……いや、嘘だ。私は知っている。 K とは、私のことだ。

 お腹の奥底からどす黒い感情が湧き上がる。その闇が四肢の隅々にまで満ちていく。

 だめだだめだ、こんな私、コウ君に相応しくない。

 私は心が綺麗な良い子でなくてはならないのだから、何をされてもちゃんと許してあげないと。コウ君は優秀で誰からも頼りにされるから他の人よりも多忙で。きっとストレスが溜まっていて、八つ当たりでもしたかっただけだ。

 けれど、コウ君は何と言っていただろうか。

 ——純粋ってレベルを超えてんだよな。むしろ馬鹿?

 ぴき、と胸の奥で何かに罅が入る音がした。

 純粋って、突き詰めると馬鹿になるの? それではこれまでの私の努力はいったい何だったのだろう。

 コウ君が褒めてくれるから、素直で純粋な女になろうとした。彼はそんな私の努力を見ながら、実は鼻で笑っていたのだ。

 ガラス細工の心が、盛大な音を立てて粉々に砕け散った。

 大好きだったのは私の方だけで、結局私は、コウ君にとって都合の良いだけの女だったらしい。

 素直で純粋な女ならば、利用しやすい。誕生日もクリスマスも、どんなイベント事だって一緒に過ごせなくても、「忙しいのだから無理しないで」と笑ってくれる、第二の女。

 それが私だったのだ。

 ふらりと立ち上がり、冷蔵庫の前へと向かう。喉がカラカラに乾いていた。

 扉を開くと、真っ白な光が目を刺した。中段に、缶ビールが六本入っている。

 コウ君が来た時に飲むからと、いつだって常備していた。私はお酒が苦手なので、普段は飲まないにもかかわらず。

 もう二度と、これを美味しく飲む彼を見ることはないのだろう。虚しさと同時に涙が溢れてきて、自暴自棄な気分になった。

 忘れたい。全て忘れて楽になりたい。泥酔すれば、今この瞬間だけでも現実逃避ができるはず。

 私は、缶ビールを一本取り出しプルタブを引く。軽やかな開栓音が鳴り止まないうちに口をつけ、一気に飲み干した。それからもう一本取り出して同様にする。

 急に大量の水を受け入れた胃が、悲鳴を上げている。けれど私はお構いなしで、さらにもう一本を空にした。

 さすがに気持ち悪くなり嘔吐する。ぐにゃり、と視界が揺れている。

 意識が朦朧としてきた。おかしなことだけれど、とても満ち足りた気分だ。

 これで、コウ君のことを考えないで済む。

 ずっと、私にはコウ君しかいないと思っていた。それなのに、彼にとって私は少なくとも二番目以下の女であり、運命の人に掠りもしなかったのだ。

 私はこれほどまでに好きだったのに、愛していたのに。なぜ伝わらないの。どうして同じように思ってくれないの?

 振り切れた愛情は憎悪へと変わり、私の全身を焼き尽くす。

 許さない。私が愛したコウ君は、幻だったのか……。

 そのまま前のめりに倒れ、私は意識を手放した。