その日は気を取り直し、休日を心から楽しんだ。日付は十二月二十五日の前週だけれど、私たちにとってはこれがクリスマスデート。
優秀なコウ君は、重要な会議があるため、クリスマス前後の時期に出張をする。だから残念だけれど、聖夜を共に過ごすことは叶わない。「その分、前の週にクリスマスらしいことをしよう」と、コウ君は優しく言った。その気持ちだけでも胸いっぱいだし、コウ君は宣言通り、これ以上ないほどに素晴らしいプランを練ってくれた。
日中にお洒落な繁華街をウィンドウショッピングし、有名なカフェで一休み。空が藍色になり始める時刻にイルミネーションスポットへ向かい、プロジェクションマッピングを堪能する。夜はホテルの最上階で特別ディナーに舌鼓を打ち、そのままセミスウィートに宿泊する。
コウ君は「ベタでごめんね」と笑ったけれど、とんでもない。過去交際したどの男性と過ごしたよりも、心地よくて煌びやかで一生の思い出に残る一日だった。
私の心の中で育つコウ君への思いの結晶は、一回りも二回りも大きくなった。
けれどそんな幸福は、翌月曜日に無惨にも打ち砕かれて、私は再び後ろ向きで痛々しい香苗に逆戻りすることになる。
「越智、ちょっと……」
気怠い月曜日の昼過ぎ。支店長室の扉が薄く開き、皺深い手のひらが私を手招きしている。
反射的に、不穏な呼び出しだと察して、全身が凍り付く。パソコンの画面から顔を一ミリも動かさない私に、隣の席の先輩が声をかけた。
「あれ、香苗ちゃん。支店長がお呼びだよ」
当然、気づかない振りはできないし、拒否するなんて以ての外だ。
私は、肋骨を突き破りそうなほどの勢いで大暴れする心臓をシャツの上から押さえつけ、腰を上げて夢遊病患者のような足取りで支店長室へと向かった。
背後でぱたりと扉が閉まる。
重厚な机の向こう側で、高価そうな革の椅子に腰掛けた支店長が、眼鏡の奥から鋭い眼光でこちらを見据えていた。
沈黙の帳が下りる。時間にして、ほんの数秒のことだったのだろう。けれど私には数分にも及ぶ苦行のように感じられた。耳元で、どくどくと脈動の音が反響する。世界がまるで張りぼてのように現実味を欠いて目に映る。極度の緊張に晒された私の顔色は蒼白だろう。その色で確信を深めたのか、支店長は重たい口を開いた。
「越智が、社内恋愛をしているという噂があるのだが」
できるだけ表情を動かさないようにしようと思っていた。けれど無理だった。私は激しく動揺し、呼吸の調子が乱れるのを感じた。カラカラに乾いた口内に僅かに残った唾液を嚥下して、辛うじて声を絞り出す。
「そんなの、悪意のある嘘です」
「私もそう信じたいが、見たという人がいるのだよ」
「誰ですか、そんな出鱈目を言うのは」
支店長は答えずに私の顔色を観察している。回答がなくとも私は知っている。密告者はエリアマネージャー。
「越智、悪いことは言わない。だから正直に認めなさい。今ならまだ何とかしてやれる」
「ただの誹謗中傷です」
「溝沼」
いっこうに認めようとしない私を追い込むように、支店長の声が、嫌に明瞭に響く。
「チームリーダーの溝沼紘一。そうなのだろう?」
呼吸が止まり、意識して息を吸い込んだ拍子に喘ぐような声が漏れた。
「実のところ、これがただの社内恋愛ならば、少しくらい目を瞑ることもできる。だが、ここまで大事になっているのは溝沼が」
「違い、ますっ!」
喉から空気の塊が吐き出された。その途端、ぐにゃりと空間が歪み、支店長の顔がまるで紙に描かれた絵を幾重にも山折りしたかのように捻じれた。
「越智」
次の瞬間、私の視界は暗転した。
優秀なコウ君は、重要な会議があるため、クリスマス前後の時期に出張をする。だから残念だけれど、聖夜を共に過ごすことは叶わない。「その分、前の週にクリスマスらしいことをしよう」と、コウ君は優しく言った。その気持ちだけでも胸いっぱいだし、コウ君は宣言通り、これ以上ないほどに素晴らしいプランを練ってくれた。
日中にお洒落な繁華街をウィンドウショッピングし、有名なカフェで一休み。空が藍色になり始める時刻にイルミネーションスポットへ向かい、プロジェクションマッピングを堪能する。夜はホテルの最上階で特別ディナーに舌鼓を打ち、そのままセミスウィートに宿泊する。
コウ君は「ベタでごめんね」と笑ったけれど、とんでもない。過去交際したどの男性と過ごしたよりも、心地よくて煌びやかで一生の思い出に残る一日だった。
私の心の中で育つコウ君への思いの結晶は、一回りも二回りも大きくなった。
けれどそんな幸福は、翌月曜日に無惨にも打ち砕かれて、私は再び後ろ向きで痛々しい香苗に逆戻りすることになる。
「越智、ちょっと……」
気怠い月曜日の昼過ぎ。支店長室の扉が薄く開き、皺深い手のひらが私を手招きしている。
反射的に、不穏な呼び出しだと察して、全身が凍り付く。パソコンの画面から顔を一ミリも動かさない私に、隣の席の先輩が声をかけた。
「あれ、香苗ちゃん。支店長がお呼びだよ」
当然、気づかない振りはできないし、拒否するなんて以ての外だ。
私は、肋骨を突き破りそうなほどの勢いで大暴れする心臓をシャツの上から押さえつけ、腰を上げて夢遊病患者のような足取りで支店長室へと向かった。
背後でぱたりと扉が閉まる。
重厚な机の向こう側で、高価そうな革の椅子に腰掛けた支店長が、眼鏡の奥から鋭い眼光でこちらを見据えていた。
沈黙の帳が下りる。時間にして、ほんの数秒のことだったのだろう。けれど私には数分にも及ぶ苦行のように感じられた。耳元で、どくどくと脈動の音が反響する。世界がまるで張りぼてのように現実味を欠いて目に映る。極度の緊張に晒された私の顔色は蒼白だろう。その色で確信を深めたのか、支店長は重たい口を開いた。
「越智が、社内恋愛をしているという噂があるのだが」
できるだけ表情を動かさないようにしようと思っていた。けれど無理だった。私は激しく動揺し、呼吸の調子が乱れるのを感じた。カラカラに乾いた口内に僅かに残った唾液を嚥下して、辛うじて声を絞り出す。
「そんなの、悪意のある嘘です」
「私もそう信じたいが、見たという人がいるのだよ」
「誰ですか、そんな出鱈目を言うのは」
支店長は答えずに私の顔色を観察している。回答がなくとも私は知っている。密告者はエリアマネージャー。
「越智、悪いことは言わない。だから正直に認めなさい。今ならまだ何とかしてやれる」
「ただの誹謗中傷です」
「溝沼」
いっこうに認めようとしない私を追い込むように、支店長の声が、嫌に明瞭に響く。
「チームリーダーの溝沼紘一。そうなのだろう?」
呼吸が止まり、意識して息を吸い込んだ拍子に喘ぐような声が漏れた。
「実のところ、これがただの社内恋愛ならば、少しくらい目を瞑ることもできる。だが、ここまで大事になっているのは溝沼が」
「違い、ますっ!」
喉から空気の塊が吐き出された。その途端、ぐにゃりと空間が歪み、支店長の顔がまるで紙に描かれた絵を幾重にも山折りしたかのように捻じれた。
「越智」
次の瞬間、私の視界は暗転した。