「お父さんが仕入れから戻って来たら、お父さんにも訊いてみようかな」
「燈華、先生と何を話していたの」

 片付けをしている母が問う。

「泳ぎの得意な妖怪が上手に人間に化けるのを見たの。ちょっと助けてもらったから改めてお礼を言いたくて。どこの誰なのか気になってて。とても綺麗な人だったな……」
「先生はなんて妖怪だって言っていたの」
「分からないって」
「何の妖怪か分からないなら、人間の姿で探してみたら? もしかしたら、先生みたいに普段は人間の姿で出歩いているのかもしれないわよ」
「なるほど……」

 人間の時はどんな感じだったかな。燈華は尻尾で弟と遊んでやりながら、あの青年のことを思い浮かべる。彼のことを考えると、なんだか気持ちが昂るような気がした。
 午後になって、燈華は街へ出た。同じような年頃で手が使えたり人間に化けられたりする子は学校に通うこともあるが、燈華はペンを握れないので専ら家の手伝いに励んでいる。ぶらぶらと当てもなく散歩に出ることが多いが、街の様子を観察することは彼女の仕事の一つである。流行りの色や流行りの柄などの情報を手に入れることは服飾を扱う店にとっては大事なことだ。
 夏の終わり、秋の始め。行き交う人々は明るい色を纏う者と落ち着いた色を纏う者とが半々である。人間達の足元を縫うようにして歩く。

「怪異課のパトロール、強化するんですって」
「危ない妖怪、怖いわよねぇ。この間の牛鬼、びっくりしたわ」
「私、怪異課苦手だからそっちも怖いわぁ」

 ろくろ首と人間がそんな会話をしていた。
 警察の怪異課には生身で妖怪と激しい戦闘を繰り広げる人間と、敵に回したくない攻撃力を持つ妖怪が多く所属している。人間や他の妖怪を襲う妖怪や、人間と同様の対応では取り締まることの難しい犯罪を働く妖怪を相手にする部署である。平穏に暮らす妖怪にとっては味方ではあるものの、彼らに対して怖いという感情を持つ者は少なくない。隣人と化け物の境目は曖昧だ。
 運河沿いの通りに出た燈華は辺りを見回す。あの青年がいないだろうかときょろきょろするが、簡単には見付からない。適当な人間や妖怪に青年の外見を伝えて訊ねるが、似たような見た目の男はごまんといる。黒髪に茶色い目など、当てになる特徴ではない。水生の妖怪の若い男を見なかったかとも訊ねたが、目撃情報は得られなかった。
 今日は青年のことはもう諦めて、流行調査だけして帰ろうか。燈華は踵を返す。
 その時、獣の耳が音を捉えた。

「待ってー! 待ってください!」

 雑踏の中から子供の声が聞こえる。

「その男の人を捕まえてください! 泥棒なんです!」

 振り向いた燈華の前に躍り出て来たのは柄の悪そうな人間の男だった。大人が持つにしてはかわいらしいデザインの鞄を乱暴に掴んでいる。どうやら、子供から鞄を盗んで逃走するところらしい。