雪ノ宮帝国には、周辺諸国とは雰囲気の違う文化が受け継がれている。例えば着物と呼ばれる衣服だったり、下駄や草履といった履物だったり、花札という遊びだったり。髷という古い髪型は日常では用いられなくなったが、特別な時には髷にしたり、髷を基本の髪型とする職業があったりする。
 長らく他国との交流を拒んでいた雪ノ宮も、今では元々の景色と外来の景色が混ざり合っている。つい先ほど清原呉服店の前を通り過ぎた若者二人組は、下駄を履いた者とブーツを履いた者だった。

「燈華はもう起きて大丈夫なのか」

 朝食の席に現れた燈華を見て父が言う。
 運河に落ちた翌日、燈華は熱を出した。やはり妹に拭いてもらうべきだったと思いながら、三日寝込んだ。

「うん、もう元気」

 今朝の状態は父と妹が人間で、母と弟と燈華が鼬である。そんな清原家の面々の前には、どちらの姿になっているかに関係なく同じ食事が並べられていた。異なるのは一部の食器の形だ。

「いただきます」

 箸と椀を手に取る父と妹。後の三人はふかふかの前足を平皿に添えて顔を突っ込む。毎日、毎食、燈華だけが鼻先を汚すことにならないように、誰かが鼬のままで食事をすることになっていた。これは家族で作った決まりというわけではなく、自然とそうなったものである。
 屋外で獲物を食べるのならば鼬の姿で豪快に食らった方が良いし、屋内で料理を食べるのならば人間の姿で食器を使った方が良い。当初、燈華は家族に対して申し訳ないような気持ちを持っていた。そんな彼女に向かって、両親は「崇高なる鼬の姿が本来のものなのだから何もおかしいことはない」と言った。今はもう、わざわざ気にすることのないいつもの習慣になっている。
 熱はすっかり下がって、食欲もあった。もう元気いっぱいである。そのはずだった。
 客が来たり来なかったりする代り映えのない午前中。人間の姿で接客している母の後ろ姿を見ながら、燈華は弟の遊び相手になってやっていた。まだ幼い弟はぱたぱたと尻尾を揺らしてやればそれにじゃれつく。

「お姉ちゃん、まだお熱ある?」

 燈華の尻尾を甘噛みしながら弟が問う。

「ないよ。どうして」
「ぼーっとしてるから」
「え?」

 考え事はしていた。燈華はあの日出会った青年のことを思い返していたのだ。

「お熱はないよ、大丈夫」
「そっかー」

 ふと気が付くとあの青年のことを考えていた。化けるのが上手だったなとか、綺麗な人だったなとか。助けてもらったお礼を改めてちゃんとしたいな、とも思っていた。