本当は今夜のうちに宿を襲撃して商家の娘とその両親を殺すつもりだったと言う。凶暴な妖怪に襲われて両親と妹は死んでしまったと言って、本当の娘を知らない令息達を騙し自分自身が娘に成り代わるつもりだったのだと。商家が暮らす街も近くの川の氾濫で流してしまえば完璧のはずだった。まさか一日早くやって来るとは思わなかった。周到に準備して来た計画が全て駄目になってしまった。女は笑いながら泣いた。
自分は人魚だと女は告白した。古の人魚が襲ったという街で人間として生きてやろうと思っていた。人魚を恐れるこの街の人間や妖怪達が、自分のことを人間だと思ってにこにこしている様はきっと滑稽なものに違いないと思った。ちょっとした挑戦だった。でも、失敗した。
令息は怒りと悲しみが同時に込み上げて来た。
でもね、と人魚は目を伏せる。貴方のことを愛した気持ちは本当だったのよ。そう言って、赤ん坊を令息に抱かせた。生まれたばかりの小さな命は宝物のようで、呪物のようだった。愛おしくて、不気味だった。投げ捨ててしまいたいのに、優しく抱いてしまった。
そうして人魚は屋敷を飛び出して行方を眩ませた。
運河に人魚が出現して大騒ぎになったと、三日後の新聞に載った。運河沿いを観光していた人間数人に襲い掛かったとのことで怪異課が出動し捕らえようとしたが、逃がしてしまった。深手を負わせたのでそう長くはないだろうし、例え生きながらえたとしてももう現れることはないだろう。令息は赤ん坊を抱きながら、その記事に目を通した。
しばらくの間、令息は塞ぎ込んだ。商家の娘との縁談も破談になった。
人魚が残した稚魚など捨ててしまえと父親は言ったが、これでも自分の子だからと令息は赤ん坊を抱き締めた。大切な子供だった。そして、忌まわしい子供だった。
大きな人魚の絵の前で、雪成は小さく息を吐く。
「深水家の当主は結婚する予定だった女との間に子供を儲けたが、その女は出産後すぐに亡くなってしまった。その女が産み落とした長男は体が弱く家にしまわれているらしい。……そういうことに、なっている」
燈華を抱いている手が微かに震えていた。雪成の顔色はお世辞にも良いとは言えない状態であり、じっとりとした汗が整った顔に伝っていた。
燈華は雪成と人魚の絵を交互に見る。彼は壮絶な物語の中で産まれたのだ。自分が知りたいと言ったから彼は教えてくれた。こんなに苦しそうな顔をしながら。
「この絵、しまっておいた方がいいんじゃない。貴方、顔色悪いわ。ね、ほら。布、掛けて」
「……聞いて楽しい話じゃなかっただろう。すまない」
「私が貴方を知りたいって言ったから。ごめんなさい。貴方も話したい話じゃなかったでしょ。私なんかが聞いてよかったのかしら」
雪成は大きな人魚の絵に布を掛けて部屋の更に奥に移動させた。燈華を抱いたまま、庭に面した部屋に戻る。
自分は人魚だと女は告白した。古の人魚が襲ったという街で人間として生きてやろうと思っていた。人魚を恐れるこの街の人間や妖怪達が、自分のことを人間だと思ってにこにこしている様はきっと滑稽なものに違いないと思った。ちょっとした挑戦だった。でも、失敗した。
令息は怒りと悲しみが同時に込み上げて来た。
でもね、と人魚は目を伏せる。貴方のことを愛した気持ちは本当だったのよ。そう言って、赤ん坊を令息に抱かせた。生まれたばかりの小さな命は宝物のようで、呪物のようだった。愛おしくて、不気味だった。投げ捨ててしまいたいのに、優しく抱いてしまった。
そうして人魚は屋敷を飛び出して行方を眩ませた。
運河に人魚が出現して大騒ぎになったと、三日後の新聞に載った。運河沿いを観光していた人間数人に襲い掛かったとのことで怪異課が出動し捕らえようとしたが、逃がしてしまった。深手を負わせたのでそう長くはないだろうし、例え生きながらえたとしてももう現れることはないだろう。令息は赤ん坊を抱きながら、その記事に目を通した。
しばらくの間、令息は塞ぎ込んだ。商家の娘との縁談も破談になった。
人魚が残した稚魚など捨ててしまえと父親は言ったが、これでも自分の子だからと令息は赤ん坊を抱き締めた。大切な子供だった。そして、忌まわしい子供だった。
大きな人魚の絵の前で、雪成は小さく息を吐く。
「深水家の当主は結婚する予定だった女との間に子供を儲けたが、その女は出産後すぐに亡くなってしまった。その女が産み落とした長男は体が弱く家にしまわれているらしい。……そういうことに、なっている」
燈華を抱いている手が微かに震えていた。雪成の顔色はお世辞にも良いとは言えない状態であり、じっとりとした汗が整った顔に伝っていた。
燈華は雪成と人魚の絵を交互に見る。彼は壮絶な物語の中で産まれたのだ。自分が知りたいと言ったから彼は教えてくれた。こんなに苦しそうな顔をしながら。
「この絵、しまっておいた方がいいんじゃない。貴方、顔色悪いわ。ね、ほら。布、掛けて」
「……聞いて楽しい話じゃなかっただろう。すまない」
「私が貴方を知りたいって言ったから。ごめんなさい。貴方も話したい話じゃなかったでしょ。私なんかが聞いてよかったのかしら」
雪成は大きな人魚の絵に布を掛けて部屋の更に奥に移動させた。燈華を抱いたまま、庭に面した部屋に戻る。

