人間にとっては少し大きいくらいのシュークリームは、鼬にとっては両前足いっぱいのとても大きなシュークリームだった。一つ食べただけで満足感がとてつもない。クリーム塗れの顔で多幸感に浸っていると、雪成が顔を拭いてくれた。

「お腹いっぱい! こんなに美味しいお菓子を食べられるなんて。貴方がこれを頼んでくれたおかげね」
「まさか本当に買って来るとは思わなかった。尻尾を巻いて退散すると思って八百美堂を指定したのに」
「えっ、そうなの。私、お小遣いたくさん貯めたのよ。貴方に……貴方に、また会いたくて」
「そんなに俺に会いたがる人なんて初めてだ。命の恩人だから礼をしたいというのは分からなくもないけれど……」
「私、貴方のことが知りたくて。気になって仕方がないの。ずっとずっと、貴方のことを考えてるんだから。また会えば、自分のこの変な状態が何なのか分かるかもしれないと思って。それに、さっきのあの姿を見て何も質問しないで帰れって言うの。私の声が聞こえていたはず。慌てて上がって誤魔化してもよかったのに」

 雪成はしばし思案した後、燈華をひょいと抱いて立ち上がった。向かった先はやや奥まったところにある部屋だった。床は土間であり、雪成は草履を履く。
 作業場らしい部屋は庭に面した部屋よりも絵の具の匂いが強く、燈華はくんくんと匂いを嗅いで様子を窺う。部屋には画材やキャンバスが置かれていた。絵は庭の風景や、雑草の花束、夜の街を見下ろしたものなど様々である。しかし、そのどれもが離れの近くや室内を描いたもので、外の景色は夜のものばかりだった。

「これは雪成さんが描いたの」
「そう。いつもこの離れで絵を描いている」
「……昼の外の絵はないのね」
「体が弱いことになっている俺は自由に外出できないから。外の景色は夜の間に人目を盗んで少しずつ描くくらいしかできない。君が入って来たあの穴を通って出てね」

 見せたい絵がある。そう言って、雪成は部屋の奥へ進んだ。
 壁に立てかけられている大きな絵があった。掛けられている布を降ろして現れたそれは雪成が描いた絵とは画風が少し異なる。それは昼の海の絵で、岩場で女の人魚が一休みしている絵だった。一見穏やかな風景だが、筆の跡は乱れていて荒々しい。
 怖い絵だ、と燈華は思った。絵を描いた人物がまるで何か焦燥に駆られていたような、怒りに震えていたような、そんな感じがした。人の感情など分かるものではないが、絵を見ただけで恐ろしいものが伝わってくるくらいの激しい筆の跡だった。

「これは」
「この絵は俺の母親が描いたものだ。自画像らしい」
「お母さん……?」

 腕の中で自分を見上げる燈華のことを、雪成は静かに見下ろす。そして、再び絵に目を向ける。

「俺の母親は、人魚だった」