深水邸を訪れてから三週間が経過した。街はすっかり秋の色である。紅葉した街路樹を指差して、子供が「綺麗だね」と母親に言う。清原呉服店に顔を出した先生はおしゃれなストールを巻いていた。
 午前中の店番を終えて昼食を済ませると、燈華は街へ流行調査に出かけた。そして人々の装いを観察するのもほどほどに、お小遣いがたっぷり入ったがま口をぶら下げて悠々と菓子店を訪れる。八百美堂の店内にはきらきらとした菓子が並んでおり、つい目移りしてしまいそうになる。

「シュークリームをください」

 小さな妹の千冬も欲しがる可能性がある。シュークリームは二個購入した。箱を包んだ風呂敷包みを背中に背負い、路面電車と人力車を使って坂の上の高級住宅街へ向かう。
 この日が来るのが待ち遠しかった。再び雪成に見えることができる。燈華の足取りは軽く、弾むようだった。単純にまた会いたかった。それに、会えば自分の気持ちが一体何なのか分かるような気がした。茉莉が言うように恋なのかもしれないし、もしかしたら助けてもらった感謝から来るだけの一時の気持ちだったのかもしれない。
 体に対してちょっぴり大きな風呂敷包みを背負った鼬が高級住宅街を進む。
 やがて、あの日と同じ深水邸に辿り着く。用があるなら裏から、と雪成は言っていた。燈華は立派な塀沿いに少し歩く。すると板が塀に立てかけてあるのが見えて来た。

「あっ。穴が開いてる」

 立てかけられている板の影になっている部分の塀が大きく破損していた。大人の人間が通るには這いつくばらなければならないが、鼬にとっては十分大きい。荷物を持っていても楽々通れそうである。
 お邪魔しますと一応言ってから、燈華は穴を潜って屋敷の中に入った。すぐ目の前に離れの庭の生垣が見える。

「ごめんください。ごめんください、雪成さんはいらっしゃいますか」

 生垣の下を潜り抜け、向こう側に顔を出す。

「こんにち……は……」
「……何か変な動物が迷い込んで来たのかと思ったら、君か」

 現れた燈華のことを出迎えてくれたのは雪成だった。その姿を見て燈華は挨拶で開けた口を閉じられなくなる。
 それは最初に見た時の彼の姿だった。
 石で囲まれた池の水に浸かっている雪成は、青みがかった長い髪を掻き上げて赤い瞳で燈華を見る。腕には鱗があり、指の間には水かきがあった。そして、びしょ濡れの着物の裾から出ているのは足ではない。あの日、はっきりと見ることができなかった下半身。きらきらと光を散らす鱗で覆われた魚の体がそこにあった。しなやかな尾ひれが水から顔を出して揺れている。
 見間違いかもしれない。燈華は目を擦る。しかし、そこにいる雪成の様子は変わらない。