近くまで行けば分かると巡査は言っていた。分かった。燈華は駆け足で巨大な深水邸に向かう。落とし物のお届けは無事に完了しそうである。
ところが、問題は到着してから起こった。
「人を呼んだ方がいいのかな……」
門の前まで来て、家が放つ威圧感に押されてしまったのだ。獣の本能が危険な気配に恐れをなしていた。この家はあまりにも強すぎる。半歩後退して、門を見上げる。ごめんくださいと声をかける勇気が出ない。とはいえ、無造作に落とし物を置いて行くわけにもいかない。どうしたものかとうろうろしていると、通りすがりの上品な身形の紳士に不審者を見る目で見られた。
「そうだ」
郵便受けに入れればいい。燈華は風呂敷包みを地面に下ろし、結び目を解く。そして妹に書いてもらった『落とし物です』というメモと一緒に懐中時計を前足で掬い上げた。後ろ足で立ち上がり、郵便受けの口まであともう少し。
「おい、そこの妖怪」
「えっ」
「何をしている」
後ろから投げかけられた声に燈華は振り返った。聞いたことのある声だった。ここ数日忘れられない声だった。
郵便受けを覗き込んでいた不審な鼬のことを見下ろしていたのは、着物姿の青年だった。あの日、運河から燈華を拾い上げてくれた青年その人である。予想もしなかった場所での再会に燈華は驚きを隠せない。
「君は、あの時の! ここで何をしているんだ」
「あ……。ち、違うんです。怪しい者じゃなくて、落とし物を届けに」
燈華が懐中時計を見せると、青年は目を丸くした。
「それ、千冬の。……そうか、昨日は妹が世話になったようだな」
「妹……?」
「妖怪のお姉さんが泥棒をやっつけてくれたと言っていた」
「え。じゃあ、貴方はここの」
青年は燈華の前足から優しく懐中時計を取り上げる。「そうだ」と答える彼の目は、微かに震えていた。何かに怯えているのか、何かに怒っているのか、その心は燈華には分かりかねる。
「貴方、でも」
「俺は――」
「誰かいるんで……ゆ、雪成様!」
話し声が聞こえていたのだろう。門が開いて、使用人らしき男性が顔を出した。男性は青年のことを見て酷く慌てた様子である。
「ど、どうして。いけません。ど、どうしよう」
「……少し、外の空気を吸いたくなったんだ。もう戻るところだ」
「そうなんですか? あ! 妖怪がいる! どこから迷い込んだんだ、怪異課を呼ぶぞ」
「えぇっ!」
「これは……。……これは、俺の客人だ。秘密の客だから、誰にも言わないでくれ」
青年は燈華のことをひょいと抱え上げ、びっくり仰天している男性の前を過ぎて門を潜った。足早に庭を進み、状況を飲み込めない燈華を連れて母屋に……入らなかった。外壁沿いに進み、やがて、小さな離れに辿り着く。
ところが、問題は到着してから起こった。
「人を呼んだ方がいいのかな……」
門の前まで来て、家が放つ威圧感に押されてしまったのだ。獣の本能が危険な気配に恐れをなしていた。この家はあまりにも強すぎる。半歩後退して、門を見上げる。ごめんくださいと声をかける勇気が出ない。とはいえ、無造作に落とし物を置いて行くわけにもいかない。どうしたものかとうろうろしていると、通りすがりの上品な身形の紳士に不審者を見る目で見られた。
「そうだ」
郵便受けに入れればいい。燈華は風呂敷包みを地面に下ろし、結び目を解く。そして妹に書いてもらった『落とし物です』というメモと一緒に懐中時計を前足で掬い上げた。後ろ足で立ち上がり、郵便受けの口まであともう少し。
「おい、そこの妖怪」
「えっ」
「何をしている」
後ろから投げかけられた声に燈華は振り返った。聞いたことのある声だった。ここ数日忘れられない声だった。
郵便受けを覗き込んでいた不審な鼬のことを見下ろしていたのは、着物姿の青年だった。あの日、運河から燈華を拾い上げてくれた青年その人である。予想もしなかった場所での再会に燈華は驚きを隠せない。
「君は、あの時の! ここで何をしているんだ」
「あ……。ち、違うんです。怪しい者じゃなくて、落とし物を届けに」
燈華が懐中時計を見せると、青年は目を丸くした。
「それ、千冬の。……そうか、昨日は妹が世話になったようだな」
「妹……?」
「妖怪のお姉さんが泥棒をやっつけてくれたと言っていた」
「え。じゃあ、貴方はここの」
青年は燈華の前足から優しく懐中時計を取り上げる。「そうだ」と答える彼の目は、微かに震えていた。何かに怯えているのか、何かに怒っているのか、その心は燈華には分かりかねる。
「貴方、でも」
「俺は――」
「誰かいるんで……ゆ、雪成様!」
話し声が聞こえていたのだろう。門が開いて、使用人らしき男性が顔を出した。男性は青年のことを見て酷く慌てた様子である。
「ど、どうして。いけません。ど、どうしよう」
「……少し、外の空気を吸いたくなったんだ。もう戻るところだ」
「そうなんですか? あ! 妖怪がいる! どこから迷い込んだんだ、怪異課を呼ぶぞ」
「えぇっ!」
「これは……。……これは、俺の客人だ。秘密の客だから、誰にも言わないでくれ」
青年は燈華のことをひょいと抱え上げ、びっくり仰天している男性の前を過ぎて門を潜った。足早に庭を進み、状況を飲み込めない燈華を連れて母屋に……入らなかった。外壁沿いに進み、やがて、小さな離れに辿り着く。

