夜影の前で泣いてしまったあの日から、明らかに何かが変わってしまった。
夜影とはお互い会話が減って、どことなく気を遣われているような気がしていたたまれないのだ。
静奈はもう夜影のそばにはいられないだろうと思ったが、自分からは邸を出ていく決心がなかなかつかないでいた。
毎晩見る夢によって彼の生い立ちを知り自分はもしかしたら、紅葉の生まれ変わりでは、という考えが浮かんだがそのことを話して彼の気を引いたりはしたくなかった。
なぜ?自分はこんなに頑ななのだろう。
どうしてこんなに不器用にしか生きられないのか。
夢のことを話せば、彼は喜んで愛を注いでくれるだろう。
でもそれは、静奈にではなく紅葉に対してのもの。
静奈は彼の前から永遠に消え失せて、紅葉への恋慕だけが残るに違いない。
それが悲しいと思ってしまう時点で、もう手遅れなほど夜影を必要とし始めているのかもしれない。
だが、夜影と紅葉の強い絆に自分などが入り込む余地は微塵もありはしないと静奈はただ諦めるしかなかった。
そうだ、期待せず諦めるのは楽なこと、いままでいつもそうしてきたのだから今度だってそうすればいい。
「では、行ってくる」
「はい。行ってらっしゃいませ」
「ああ」
ある日の朝、夜影を見送る静奈の顔は暗く沈んでいた。
自分でもどうにもならないほど、笑顔がつくれなかった。
夜影は何か言いたげな顔だが、困ったように言葉を飲み込んだ。
静奈は下を向き視線を逸らせてしまった。
その時背後から声がした。
「夜影様、どうかご武運を。お気をつけて」
振り返ると、雪が深刻な眼差しで佇んでいた。
「案ずるな雪、左門は必ずそなたのもとに帰らせる」
夜影はなんでもないことのようにさらりと言う。
「いえ、私は左門様のことだけを心配しているわけではありません」
「わかった、怒るな雪、そんなに心配しなくても大丈夫だ。
では行ってくる。静奈のことを頼んだぞ」
「はい、かしこまりました。どうぞお任せください」
雪が深々と頭を下げると、夜影はもう一度静奈をちらと見て颯爽と扉からでていく。
その横顔はもう武人の鋭い光彩を放っていた。
「静奈様、あれでよろしいのですか?」
「え」
雪は心配そうに頼りなげな少女を覗きこむ。
「夜影様の連隊は本日より西方の地方都市で大規模な妖魔討伐作戦を開始するのですよ。
いくら夜影様が最強といえど戦場に赴かれれば何があるかわかりません。
出来れば笑顔で見送ってはくださいませんか」
静奈は息を呑んだ。そんな話を彼からは何も聞かされていなかったのだ。
「でも、夜影様は最強ですよね。絶対帰ってこられるのですよね?」
雪は悲しそうに眉を下げて、そっと静奈の肩に触れる。
いつも明るくて優しい雪のこんな顔を見るのは初めてだ。
「絶対、などこの世のどこにもありません。
私の夫は夜影様の次に強い人でした。ですが、5年前の戦いでついに帰ってきませんでした。今回は妖魔の数が尋常ではないそうです。
武人の方のおそばにいる限り、いかなる時も覚悟は必要です」
「そんな……」
知っていたはずだ、何度もギリギリの戦いを夢で見たのだから。
静奈は弾かれたように玄関の階(きざはし)を降り裸足で外へ出た。
「夜影様」
しかし、すでにそこに彼の姿はない。
彼女はただ悄然として立ち尽くすしかなかった。
夜影とはお互い会話が減って、どことなく気を遣われているような気がしていたたまれないのだ。
静奈はもう夜影のそばにはいられないだろうと思ったが、自分からは邸を出ていく決心がなかなかつかないでいた。
毎晩見る夢によって彼の生い立ちを知り自分はもしかしたら、紅葉の生まれ変わりでは、という考えが浮かんだがそのことを話して彼の気を引いたりはしたくなかった。
なぜ?自分はこんなに頑ななのだろう。
どうしてこんなに不器用にしか生きられないのか。
夢のことを話せば、彼は喜んで愛を注いでくれるだろう。
でもそれは、静奈にではなく紅葉に対してのもの。
静奈は彼の前から永遠に消え失せて、紅葉への恋慕だけが残るに違いない。
それが悲しいと思ってしまう時点で、もう手遅れなほど夜影を必要とし始めているのかもしれない。
だが、夜影と紅葉の強い絆に自分などが入り込む余地は微塵もありはしないと静奈はただ諦めるしかなかった。
そうだ、期待せず諦めるのは楽なこと、いままでいつもそうしてきたのだから今度だってそうすればいい。
「では、行ってくる」
「はい。行ってらっしゃいませ」
「ああ」
ある日の朝、夜影を見送る静奈の顔は暗く沈んでいた。
自分でもどうにもならないほど、笑顔がつくれなかった。
夜影は何か言いたげな顔だが、困ったように言葉を飲み込んだ。
静奈は下を向き視線を逸らせてしまった。
その時背後から声がした。
「夜影様、どうかご武運を。お気をつけて」
振り返ると、雪が深刻な眼差しで佇んでいた。
「案ずるな雪、左門は必ずそなたのもとに帰らせる」
夜影はなんでもないことのようにさらりと言う。
「いえ、私は左門様のことだけを心配しているわけではありません」
「わかった、怒るな雪、そんなに心配しなくても大丈夫だ。
では行ってくる。静奈のことを頼んだぞ」
「はい、かしこまりました。どうぞお任せください」
雪が深々と頭を下げると、夜影はもう一度静奈をちらと見て颯爽と扉からでていく。
その横顔はもう武人の鋭い光彩を放っていた。
「静奈様、あれでよろしいのですか?」
「え」
雪は心配そうに頼りなげな少女を覗きこむ。
「夜影様の連隊は本日より西方の地方都市で大規模な妖魔討伐作戦を開始するのですよ。
いくら夜影様が最強といえど戦場に赴かれれば何があるかわかりません。
出来れば笑顔で見送ってはくださいませんか」
静奈は息を呑んだ。そんな話を彼からは何も聞かされていなかったのだ。
「でも、夜影様は最強ですよね。絶対帰ってこられるのですよね?」
雪は悲しそうに眉を下げて、そっと静奈の肩に触れる。
いつも明るくて優しい雪のこんな顔を見るのは初めてだ。
「絶対、などこの世のどこにもありません。
私の夫は夜影様の次に強い人でした。ですが、5年前の戦いでついに帰ってきませんでした。今回は妖魔の数が尋常ではないそうです。
武人の方のおそばにいる限り、いかなる時も覚悟は必要です」
「そんな……」
知っていたはずだ、何度もギリギリの戦いを夢で見たのだから。
静奈は弾かれたように玄関の階(きざはし)を降り裸足で外へ出た。
「夜影様」
しかし、すでにそこに彼の姿はない。
彼女はただ悄然として立ち尽くすしかなかった。


