鬼の軍人と運命のお見合い結婚を

「君は誰?君も僕を殺しにきたの?」

座敷牢に横たわっていた5歳くらいの少年がゆっくりと起き上がる。

彼の右目は赤、左目は黒だ。しかしその美しい顔に生気はない。

「君は女の子?男の子?」

弱々しい声で尋ねる彼は身体中に包帯を巻いていて痛ましかった。

静奈は夢を見ていることに気がついていた。

だがそれは懐かしくそして悲しい光景。

「大人の男は僕を殺そうとする、でも女の人はたまに助けてくれる。
傷の手当てをしてくれたり、ご飯を運んできてくれたり。
君はどっち?」

「私はどちらでもないわ。だけどあなたの味方だよ」

少女のように甲高い声が元気よく答えた。

「味方ってなに?」

「あなたを助けるわ。ねえ、私にどうして欲しい?ここから出して欲しい?命令して」

「命令、しなきゃいけないの?」

「そうよ、私は式神なの。あなたのして欲しいことをするわ。

「式神って何?」

「式神って言うのは霊的な存在よ。主様が契約をして私を召喚したの。あなたを助けるために使わされたのよ」

「誰が?君を召喚したの?」

もっともな問いかけだったが、式神は教えてくれなかった。

「ごめんね、それは教えてあげられないんだ。そういう契約だから」

「それじゃあ、別に何もしてくれなくていい」

「どうしてよ?何かお願いしてよ」

少女は不服そうに頬を膨らませる。

「母様のところに連れて行って欲しい。僕の願いはそれだけ」

全てを悟り切ってしまったような彼の言葉に式神は呆れたように嘆息する。

「ばかね、そんなの絶対に駄目。あんたのお母さんは死んじゃったんだから」

「……」

「わかったわ、だったら私はやりたいようにやる。
この家の奴らを全員ぶっ飛ばして、それから」

「そんなことはしなくていいよ」

少年は小さく嘆息して頭を振る。

「はあ?あんた悔しくないわけ?もっと戦いなさいよ。知ってるのよ。あんたは子供だけどめちゃくちゃ強大な霊力を持っているってこと」

「いいんだよ。
僕は悪い鬼だから、消えないといけないんだ。みんながそう言うから間違いないんだ。母さまが生きているうちはみんな僕を嫌々ながら受け入れていた。
だけどもう……母さんはいない。
僕はもう、どうなってもいい」

投げやりなことを力無く言う彼を、少女はカッとしたように叱咤する。

「馬鹿っ、あんたはなんにも悪いことしてないじゃない。
どうして消えなきゃいけないのよ。
悪いのはこの家の奴らよ。
こんな小さな子をよってたかって。私は許さないわ」

「……」

だが少年の瞳は暗く何も映していないようだった。

静奈は夢だとわかりつつも、彼の悲嘆を思い、胸が締め付けられた。

「生きて、生きなさい」  

その声に驚いて目が覚める。

今のは夢ではなく自分が実際に声に出していた言葉だったからだ。

「今、私、なぜ?」

すっかり夢に入り込んでしまっていたようだ。

「お願いしたします」
「来いっ」

外から竹刀を打ち合わせるような音と騒がしい怒声が響いたので、急に現実の世界へ引き戻された。

布団から身体を起こしてまだ眠たい目をこする。

(いけない、私昨夜は眠ってしまったんだ)

どうやって布団まで辿り着いたのか全く覚えていないが、着衣は昨日の着物のままだった。

ふと見れば枕元には着替えが置いてある。

薄い桃色の生地に白百合の模様の上等な着物だ。  

手早くそれに着替えて縁側に出ると10数名の兵士たちが広い庭で竹刀を打ち合わせて稽古に励んでいた。

「とりゃー」

「まだまだー、うおー」

静奈は若い兵士達の活気のある声に一瞬ひるみそうになったが、夜影を探す。

彼は兵士達全員に取り囲まれていたので、静奈は心配になる。

1対16の圧倒的な差。

「や、やめてっ」

思わず小さく悲鳴をあげるが誰にも届かない。

(夜様を助けなきゃ。紅葉がお助けします)

頭の中に雷のような声が駆け巡り彼女は一歩踏み出そうとしたがよろけて廊下にぺたりと座り込んでしまう。

だが、次の瞬間信じられない事が起きた。

「でやー」

「遅いっ」

打ち掛かってきた1人の兵士を冷たい声で叱責した夜影は軽々と竹刀をかわす。

「何をしている、まとめてかかってこい」

「うおー」

「とうー」

一斉に襲いかかる兵士達全員を彼はいとも簡単に薙ぎ払い地にふせてしまった。

「え?」

ハラハラしながら見ていた静奈は目を丸くした。

自分が助けるなどと、とんだおこがましいことを考えてしまって恥ずかしくなる。

彼は鬼の軍人であり、連隊の頂点なのだ。

なにも静奈に心配されるような存在であるわけはない。

けれどどうしてだろう、さきほど確かに静奈には別の人格の思念が頭をよぎったのだ。

もしかしたらあんな夢を見たせいかもしれない。

幼い夜影を守ろうとする式神と名乗る少女。

(もしかしたらあの子が紅葉さんなのかな)

静奈は夢のことを夜影に話すべきか迷っていた。

軽々しく話すには内容があまりにも重い気がしてならない。

静奈が縁側で突っ立っていると、廊下の向こう側から声をかけられた。

「おはようございます、花嫁様」

明るく親しみやすい笑顔を向けながら歩み寄る軍服を着た青年。

あっさりとした塩顔の彼は夜影ほどではないが美丈夫と言えなくもない。

静奈にはうっすらと見覚えのある顔だった。

たしか昨夜のパーティーで夜影の隣にいたような気がする。

夜影の副官、左門である。

「昨夜はよく眠れましたか?いきなりこのような場所に連れてこられてさぞ驚いたことでしょうね」

「は、はあ」

「おお、その着物よくお似合いですね。実はうちの姉から借りたものなのですよ。なにぶん急なことでご不便をおかけします」

「そ、そうなんですね。すみません、お借りしております」

静奈は慌ててお辞儀をした。

左門は軽く手を振ってから、彼女の肩にぽんと手をやる。

「いえいえ、必要なものがございましたらなんなりとおっしゃってください。
あちらに朝食の準備ができていますのでご案内しますね」

「あ、ありがとうございます」

左門は軍人には珍しく人あたりがいい。
 
上官があまりにも冷淡で孤高の存在なので、ちょうどよいバランスとも言える。

「あ、あの。皇様は朝食はとられましたか?」

昨夜、彼の食事を奪ってしまったので気にかかった。

「あー、隊長はあまり食事はなされませんからね。今朝も食べてはおりませんな」

「食べなくても平気のようでしたが、それでも食事はとったほうがよいのではないですか?」

彼はおやっと言うように眉を上げて、静奈を興味深そうに見つめる。

「それはそうですが、あの方は僕の言うことなど聞いてくれませんから」

「それは……よくないですね」

「ははは、ですよね。花嫁様からも叱ってやってください」

「はあ、あ、あの」

先ほどから花嫁様と呼ばれているが訂正しておかなくてはいけない気がした。

「私、違うんです。人違いかもしれないのです。私は紅葉さんではなくて」

「そうですな、静奈様ですよね?」

「そうなんです。だから花嫁ではなくて」

「うわっっ」

静奈が誤解を解こうと必死に説明していたその時、左門の身体が前方から風圧を受けたようにのけぞって倒れた。

「左門、いつも言ってるだろ。お前は距離感がおかしいと」

いつのまにか背後に来ていた夜影が不機嫌そうに左門を見下ろしている。

「はっ、申し訳ございません、隊長」

すぐに立ち上がった左門は姿勢も正しく敬礼する。

おそらく何かしらの力で夜影によって床に倒されたというのに、絶対服従といった風情である。

「わかればいい、それにしても今彼女となんの話をしていたのだ?」

「ええっとですね、隊長がメシを食わないのがけしからんって話ですね」

「あ?」

夜影の赤い目が剣呑に光り、左門は背中が冷たくなる。

2人のこんな危ういやり取りに静奈はハラハラした。

また左門が上官の逆鱗に触れるのでないかと思い静奈が割って入る。

「それは私が言ったことなのです。毎日食事をとらなくても生きられるとしても、食事をとらなくても構わないということでは無いと思うのです」

「ん?」

男2人が自分のことをまじまじと見下ろしているので、静奈はいたたまれない気持ちになった。

「あ、あの、私、心配です。皇様は鬼と人間の半妖だと聞いていますが、人間は食事をしなくては生きられません。
ですから、人間でもある皇様はやはり食事をなさった方が良いと思います」

必死で説得を試みる静奈だが、途中から自分でも何が言いたいのかわからなくなり、きちんと説明しきれていない気がした。

「すみません、出過ぎたことを言いました」

夜影はまるで叱られた子供のようにバツが悪そうな顔をして前髪をかきあげる。

「ほらほら、新妻から心配されていますよ。何か言ってあげたらどうです?」

左門はニヤニヤしながら夜影を冷やかした。

「そうだな、これからは出来るだけ食事をとることにしよう」

照れ臭そうに目線をそらす夜影。

静奈はほっと胸を撫でおろした。

「では、今から一緒に朝食をいただきませんか?」

「わかった」

おずおずと静奈が提案すると、彼はかすかに笑って応じた。

その様子を見ていた左門は、息を呑んだ。

まるで怖いものでも見たような気分でこっそり呟いていた。

「夜影様でもあんな緩んだ顔をするのか……」