屈強な体格の部下達を引き連れて現れたのは、物語の世界から飛び出してきたような美青年だった。

黒い軍服をすらりとした長身に纏い、颯爽と歩く姿にその場にいる人達みなが魅了される。

それにも増して人々の注目を集めて止まない特徴が彼にはあった。

右目は燃えるような赤で左目が漆黒。

これこそ彼が鬼と人の半妖であることを、示していた。

誰もが一度見たら忘れられない赤い瞳は人々の想像を掻き立ててやまないようだ。

「あの右目が鬼の力を持つ証らしいわ」

「赤い瞳に見つめられたら恋の雷が落ちてしまうって噂よ。なんてミステリアスなんでしょう」

「ああ、こうして遠くから見ているだけで胸がいっぱい」

鬼の妖しい魅力に囚われた令嬢達は黄色い声をあげ頬を染めてうっとりする。

しかし容易に近づきがたい雰囲気に圧倒されて遠巻に見つめるのがやっとという感じだ。

静奈は彼の姿を瞳に映した瞬間、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けて動けなくなった。

「あ……う……」

呼吸も乱れてうまく声がだせない。

だが、不思議と辛いわけではない。

むしろ、身体中の血液の一滴一滴が、細胞のひとつひとつが喜びに沸き立ち高揚しているのだ。

(ああ、あの方を私は知っている。私が?いいえ、違う。私ではない。だけどあの方がわかる)

彼女の胸に熱いものがこみあげ、懐かしさと切なさで泣きたくなっていた。

そんな彼女の衝撃をよそにパーティー会場の熱気は否応なく上がっていた。

皇夜影という青年には人を寄せ付けない氷のような覇気があった。

前日のパーティーでは勇敢にも声をかけてきた令嬢たちを視線だけで凍り付かせてしまったという。

彼は全ての女性が憎いというわけではないが蜜につけられて育った貴族のわがままな令嬢達が嫌いだった。

「右を向いても左を見ても、色とりどりの花が咲き乱れておりますな。皇隊長」

秀麗な顔を苦々しく曇らせる上官に副官の左門は明るく言った。

「花をつみたければおまえがやれ。俺に遠慮はいらないぞ」

あっさり拒絶されたが左門はさらに食い下がる。

「いやいや、あのお嬢様方はみんな隊長狙いですからね、俺なんぞに目もくれませんよ」

「どうせ、俺を信用していない高官達が仕組んだ茶番だろう。俺はそんなに暇じゃない。いいかげんにして欲しいものだ」

上官がだんだん不機嫌になってきたのを察知した副官は、とぼけたように笑う。

一日目は10分、二日目は20分しか我慢出来ずパーティー会場を去ってしまった上官を今日はせめて30分は足止めせねばならないのだ。

「そんなに綺麗な顔をしておられるのに男女の色ごとに興味がないなんて勿体無いですって」

夜影がギロリと睨むと、左門は肩をすくめた。

左門はこの気難しい上官の扱いが上手い。

というより鬼の赤い目に睨まれ慣れているためもはや感覚が麻痺している。

同じ隊の部下達からも畏怖される強大な霊力を持つ半妖の鬼。

普通の人間ならば傍に近づくのも恐ろしいはずだった。

当代最強の武人と言われる夜影を左門は尊敬し心酔しているのだが、彼の立場や不器用な生き方を危惧していた。

(早く身を固めて、太い後ろ盾を持ち足元を固めればいいものを。このお方は)

「やはり紅葉様のことを忘れられないのですね」

さきほどとは打って代わり真面目な顔になる左門。

「……」

しかし夜影はこの話題になると重い口をさらに重くする。

「いなくなってしまった恋人をいつまでも思っておられるそのお気持ちは純粋と言うか素晴らしいですが、それはそれとして」

左門の言葉に夜影は嘆息しながら答えた。

「何度も言ってるだろう、紅葉は恋人というわけではない」

「はいはい、そうですか。初恋というものはこじらせると厄介ですからな」

いっこうにとりあわない左門に夜影はなかば諦めたように皮肉な笑みを浮かべる。

「そう思いたければ勝手にしろ。
とにかく俺は嫁を迎える気など毛頭ない」

「はあ、やはり勿体無いですなあ」

この種のやりとりは何百回となく2人の間で交わされているが、いっこうに前進することがないのだ。

頑固な上司に嘆息した左門は、まだ諦めきれないように提案してみる。

「それではせめてもう少し愛想よくしてください。
大臣達もじきにお越しになられます。
それまでにあのお嬢様方と歓談などなさってはいかがですか」

令嬢達の方を流し見て、苦虫を噛み潰した顔をする夜影。

居並ぶ乙女達は彼と目があったと言ってはしゃぎあっている。

「……嫌だ」

「子供ですか」

「面倒だ、おまえがいつものようにその軽い舌で適当にあしらっておけ」

「はあ?ちょっと夜影様、どこへ行くんです?」

夜影は踵を返すと彼のせいで薄桃色の熱気に染まってしまったパーティー会場を後にするため扉の方へ歩き出した。

しかし軍人らしくしなやかで力強い足取りが、ふと止まる。

数メートル先にこちらを見て彫像のように固まっている16、7歳くらいの少女が赤い目に映る。

そしてなぜか、赤と黒の瞳は彼女に釘付けになった。

やたらと血色の悪い白い顔、小柄で痩せている。

とりたてて特徴のない女だ。

強いて言えば、可憐で頼りなげな表情が庇護欲をそそられる男もいるだろう、くらいの。

だが、夜影は別にその種の男では無い。

それなのにどうしてこんなにも彼女に心を奪われてしまうのか。

赤い絨毯に足が縫い止められたようにその場から動けない。

夜影がじっと見つめていると彼女のつぶらな瞳には光るものが見えた。

(泣いているのか?なぜだ?)

彼女の桜色の唇が小さく開く。

「夜さま」

その瞬間、彼の頭の中に電流が走り抜け過去と現在が交差するように駆け巡った。

「……まさか」

(いや間違いない、この気配は)

次の瞬間、体の奥底からの抗しがたい激情に突き動かされて、彼は勢いよく彼女のもとに駆け出していた。

「紅葉」

長い間、彼の心を支えてきた唯一の存在の名を口にした。

か細い腕を掴み引き寄せると、彼女は戸惑ったように後退る。

「あっ、あの」

「来いっ」

「お待ちください」

彼女の頼りなげな声を聞いても、夜影は自分が何をしようとしているかわからない。

ただ、この娘を問いたださなければならないと思った。

考えに余裕がなく、視野が狭くなり周りも見えていない。こんなことは初めてかもしれない。

か弱い娘に対して、どんなに強引なことをしようとしているのか気づいていなかった。

いや、気づいていたとしても止められないのだ。

「皇殿、我が娘をどうされるおつもりでしょうか?」

さっきから少女のそばにいた父親らしき中年の男が横から割って入ってきた。

「邪魔をするな」

冷たく一瞥すると、父親はびくりと大きく肩を震わせたが引き下がらなかった。

それは父としての愛や心配からでは無く打算からだった。

彼はこの好機を逃したくなかったのだ。

「この娘よりも妹の方が器量も良く、才気にも優れております。女学校でも優秀な成績で」

つまりは姉よりも妹の方を売り込みたいということが見え透いていた。

父の隣りで棒立ちになっていた蘭子は渾身の愛想笑いを浮かべて見せた。

だが、夜影は興味なさげに一瞥しただけだ。

「妹はいらない。俺がほしいのは姉の方だけだ」

そう言った彼はまた静奈を自分の方へ引き寄せる。

たくましい胸に抱かれた彼女は顔を真っ赤に染め震える口元に手をやった。

「俺についてこい」

「……」

夜影は彼女がこくりと小さく頷くのを確認すると、小脇に荷物でも抱えるようにして颯爽と歩きだした。

彼の行動は周りからは熱烈な求婚に見えたようだった。

ついに、半妖の鬼は人間の嫁を娶るのかと。

「どうして、お姉様なのよ?これは何かの間違いだわ、そうよ、そうに違いないんだから」

夜影に全く相手にされなかった蘭子はヒステリー寸前の形相である。

「あの鬼め、ええい私の娘を拐かしていきおった。誰か、誰か、捕まえてくれ」

腹立ち紛れにあたりの軍人たちに声を荒げて命令する藤波男爵。

しかし彼の叫びに応じる軍人は1人もいなかった。彼らは鬼の上官以外には決して従わないのだ。

一部始終を見ていた左門は目を丸くする。

「おいおいどうなっているのだ、これは。舌の根も乾かぬうちに嫁を娶るなんて。しかしあんな大胆なやり方をするお方だったとは」

左門は嬉しさ半分戸惑い半分の微妙な視線で上官の背中を見送った。

「一目惚れして持ち帰ってしまうおつもりか。しかしこれは大変な騒ぎになるぞ」

彼が予見した通り、パーティー会場は乙女たちの阿鼻叫喚と大人達の落胆で騒然となりしばらくは収拾がつきそうになかった。