舶来品の豪奢なシャンデリア、見たこともない料理の香辛料の香り、高貴な人々のひそやかな笑い声。
その夜のパーティー会場のすべてに静奈は圧倒されて、身の置きどころが無いような暗い気分になっていた。
三日三晩に渡るパーティーも今宵が最後。
鬼の軍人のために帝都中の良家の令嬢達が集められたというのに、いまだになんの収穫もあげられないまま時だけが過ぎている。
藤波男爵の養女、静奈は本来ならばこんな晴れがましい会場に呼ばれるはずもなかった。
彼女の可憐な顔はやつれて血色が悪く、ほっそりした体つきは木の葉のように頼りない。
赤や橙の派手な着物は借り物なのか全く似合っていない。
無論、知り合いもいないため1人呆然と立ち尽くすだけで完全に浮いていた。
「もっと多くの女子を掻き集めてこい。
こうなったら鬼が気にいる娘なら誰でもよい」
雲の上の偉い人達からの命令に貴族達は嬉々として従った。
「娘が鬼に嫁げば我が家の栄達は思うままだ」
「しかし、あの鬼はどうやら気難しく女嫌いらしいぞ。昨日もおとといもほんの少し顔を見せただけですぐに帰ってしまったではないか」
「いやはや、やはり鬼の考えてることなぞ我々にはわからぬな」
「所詮は人とは違う化け物よ」
壁の花と化していた静奈は、老獪な貴族達の嘲笑と侮蔑の入り混じった話をぼんやりしながら聞いていた。
若く美しい令嬢達が会場で気の利いたおしゃべりに興じている。
和装やドレス姿の彼女達は、みな揺るぎない自信と活力に溢れていた。
静奈は自分などがこんなところにいるのは場違いなのではないかと思う。
(強い鬼の軍人1人だけのためにたくさんの女性達が集められたと聞いたけど、私が選ばれるなんて万に一つもあり得ないわ)
彼女は見合い相手にもパーティーにも興味はなかった。自分には無関係な遠い世界の出来事だと思っている。
養父から、おまえも出席しろ、引き立て役くらいにはなるだろうと命令され渋々従ってきたがそんなことよりもずっと気がかりなことがある。
(早く帰りたい。仕事をたくさん残してきているもの。女中頭にまた叱られてしまう)
藤波家に養女に来て以来、心が休まる暇もないほど虐げられる生活。
家では下働きの使用人に混じりこき使われ、女学校ではひとつ下の気性の荒い妹のお守りをさせられる毎日だ。
しかし、静奈は耐えることしかできない。
どんなに反抗しても無駄だと思った。
全てを諦める方が楽だと悟ってしまってからずっと。
「お姉様、こんなところにいらしたの?なによ、またそんな青白い顔をして。
幽霊みたいね。
まったく、お父様ったらどうしてお姉様なんかを連れてきたのかしら。みっともないったらないわ」
藤波蘭子(ふじなみ らんこ)は藤波家を継ぐ正統な一人娘だ。
艶のある美しい黒髪に若々しく血色の良い健康的な肌を持つ彼女は見た目だけなら非の打ち所のない美少女だった。
しかし性格は尊大で自尊心が強い。
姉とは名ばかりの静奈のことなど奴隷のように扱う暴君である。
「ご、ごめんなさい。蘭子さん」
静奈は条件反射のように謝った。何も悪いことなどしていないはずなのに。
もはやこの理不尽な妹の仕打ちに抗う気力などわかない。
おとなしく嵐が過ぎ去るまで耐えていれば、やがては凪のように鎮まるだろうことを知っている。
本当に静奈が恐れるのは義妹ではなく義父だ。
ひとたびわがままな妹の機嫌を損ねれば、静奈は容赦なく養父に鞭で叩かれてしまう。
それが、1番恐ろしいのだ。
理不尽な暴力に抗う気持ちも胆力もいつしか消え失せてしまっていた。
静奈は本当の両親の顔を知らず孤児院で10歳になるまで養育された。
そんな彼女を引き取ったのが藤波男爵なのだが、実際のところ何故養女にされたのかはわからない。
艶福家で知られる男爵の妾にするためか、あるいは嫁がせることを条件にどこぞへ高く売りつけるためか。
そんな醜悪な未来を容易に想像できるくらいに男爵は油断ならない男だった。
(いっそ孤児院から引き取ってくれなければよかったのに)
放っておいてほしかった。貧しくても孤児院での暮らしには幸せもあったのに。
あの頃、血のつながらない弟妹たちの世話をするのは彼女の役割で、優しい彼女はみんなから慕われていた。
だが狡猾な男爵は孤児院への援助と引き換えに彼女を買ったのだ。
もし逃げれば、援助は打ち切られあそこの子供たちは皆飢えてしまうだろう。
であればこそ、彼女は己を殺して耐えなければならない。
もはや彼女は、無理にでもそう自分に言い聞かせていた。
(私に生きる価値があるのだとすれば、たぶんそれだけなのだから)
彼女の脳裏に孤児院で過ごした穏やかな暮らしがよぎった時、40代くらいの長身の紳士が彼女たちに近づいてきた。
静奈の養父、藤波男爵である。
熊のような大柄な体型の彼はさして特徴がない顔立ちだが目だけは異様にギラついていた。
静奈の頬に冷たい緊張が走った。
「おやこんなところにいたのかい、二人とも。蘭子、もうすぐ皇様がお越しになられるらしいぞ。今夜こそお前の美貌で彼を落としてしまいなさい」
次女に対して猫撫で声で話しかける男爵。
「まあ、お父様ったら。娘にお世辞なんて使うものじゃ無くってよ」
「お世辞なんかじゃないさ、おまえほど美しく聡明な娘はいないよ。もっと自信を持ちなさい」
「でも、皇(すめらぎ)様がいくら素敵でも鬼だと聞いているしちょっと怖い気もするわ」
「なあに、鬼と言っても人間との半妖だというし我らの見方さ。それに」
男爵はあたりを見回してから声を潜めて語を継いだ。
「皇家には莫大な財産がある。そのうえ彼の軍での出世はこの先も約束されているからね。今のところ帝都一の婿がねだよ」
親子の会話を聞いて静奈はギョッとした。
男爵は半妖の鬼のことを、都合よく人間の見方だと決めつけ愛娘を嫁がせようとしているのだ。
半妖の鬼の軍人について帝都中知らない者はいない。
妖魔と戦う彼のことを英雄とたたえる一方で、鬼である限り本当は人間の敵ではないかと危ぶむ声もあるのだ。
(妖魔と鬼とはどう違うのだろう?いったい、どちらの噂が正しいの?)
そのことをよくよく考えもしないで、ただ己が利益のために愛娘さえ差し出そうとする男爵の横顔こそ、静奈にとっては鬼よりもずっと恐ろしいものに感じた。
だが、ここに集う令嬢達の誰もがそんなことは意に介さないように、楽しげに笑っている。
(半妖の鬼とはどんなお方なのだろう)
だが、静奈が感じた疑問はこの後すぐに解消される。
「皇夜影(すめらぎ よかげ)大佐がご到着されました」
ドア付近にいる衛兵の1人が声を上げて、今宵の主役の訪れを告げた。
「キャー、今夜も素敵ね」
恥じらいも無く囁き合う令嬢達。
「本当に噂通りね。帝都中の役者が束になってかかっても彼には敵わないわ」
「今日でお見合いが最後になるなんて残念ね」
その夜のパーティー会場のすべてに静奈は圧倒されて、身の置きどころが無いような暗い気分になっていた。
三日三晩に渡るパーティーも今宵が最後。
鬼の軍人のために帝都中の良家の令嬢達が集められたというのに、いまだになんの収穫もあげられないまま時だけが過ぎている。
藤波男爵の養女、静奈は本来ならばこんな晴れがましい会場に呼ばれるはずもなかった。
彼女の可憐な顔はやつれて血色が悪く、ほっそりした体つきは木の葉のように頼りない。
赤や橙の派手な着物は借り物なのか全く似合っていない。
無論、知り合いもいないため1人呆然と立ち尽くすだけで完全に浮いていた。
「もっと多くの女子を掻き集めてこい。
こうなったら鬼が気にいる娘なら誰でもよい」
雲の上の偉い人達からの命令に貴族達は嬉々として従った。
「娘が鬼に嫁げば我が家の栄達は思うままだ」
「しかし、あの鬼はどうやら気難しく女嫌いらしいぞ。昨日もおとといもほんの少し顔を見せただけですぐに帰ってしまったではないか」
「いやはや、やはり鬼の考えてることなぞ我々にはわからぬな」
「所詮は人とは違う化け物よ」
壁の花と化していた静奈は、老獪な貴族達の嘲笑と侮蔑の入り混じった話をぼんやりしながら聞いていた。
若く美しい令嬢達が会場で気の利いたおしゃべりに興じている。
和装やドレス姿の彼女達は、みな揺るぎない自信と活力に溢れていた。
静奈は自分などがこんなところにいるのは場違いなのではないかと思う。
(強い鬼の軍人1人だけのためにたくさんの女性達が集められたと聞いたけど、私が選ばれるなんて万に一つもあり得ないわ)
彼女は見合い相手にもパーティーにも興味はなかった。自分には無関係な遠い世界の出来事だと思っている。
養父から、おまえも出席しろ、引き立て役くらいにはなるだろうと命令され渋々従ってきたがそんなことよりもずっと気がかりなことがある。
(早く帰りたい。仕事をたくさん残してきているもの。女中頭にまた叱られてしまう)
藤波家に養女に来て以来、心が休まる暇もないほど虐げられる生活。
家では下働きの使用人に混じりこき使われ、女学校ではひとつ下の気性の荒い妹のお守りをさせられる毎日だ。
しかし、静奈は耐えることしかできない。
どんなに反抗しても無駄だと思った。
全てを諦める方が楽だと悟ってしまってからずっと。
「お姉様、こんなところにいらしたの?なによ、またそんな青白い顔をして。
幽霊みたいね。
まったく、お父様ったらどうしてお姉様なんかを連れてきたのかしら。みっともないったらないわ」
藤波蘭子(ふじなみ らんこ)は藤波家を継ぐ正統な一人娘だ。
艶のある美しい黒髪に若々しく血色の良い健康的な肌を持つ彼女は見た目だけなら非の打ち所のない美少女だった。
しかし性格は尊大で自尊心が強い。
姉とは名ばかりの静奈のことなど奴隷のように扱う暴君である。
「ご、ごめんなさい。蘭子さん」
静奈は条件反射のように謝った。何も悪いことなどしていないはずなのに。
もはやこの理不尽な妹の仕打ちに抗う気力などわかない。
おとなしく嵐が過ぎ去るまで耐えていれば、やがては凪のように鎮まるだろうことを知っている。
本当に静奈が恐れるのは義妹ではなく義父だ。
ひとたびわがままな妹の機嫌を損ねれば、静奈は容赦なく養父に鞭で叩かれてしまう。
それが、1番恐ろしいのだ。
理不尽な暴力に抗う気持ちも胆力もいつしか消え失せてしまっていた。
静奈は本当の両親の顔を知らず孤児院で10歳になるまで養育された。
そんな彼女を引き取ったのが藤波男爵なのだが、実際のところ何故養女にされたのかはわからない。
艶福家で知られる男爵の妾にするためか、あるいは嫁がせることを条件にどこぞへ高く売りつけるためか。
そんな醜悪な未来を容易に想像できるくらいに男爵は油断ならない男だった。
(いっそ孤児院から引き取ってくれなければよかったのに)
放っておいてほしかった。貧しくても孤児院での暮らしには幸せもあったのに。
あの頃、血のつながらない弟妹たちの世話をするのは彼女の役割で、優しい彼女はみんなから慕われていた。
だが狡猾な男爵は孤児院への援助と引き換えに彼女を買ったのだ。
もし逃げれば、援助は打ち切られあそこの子供たちは皆飢えてしまうだろう。
であればこそ、彼女は己を殺して耐えなければならない。
もはや彼女は、無理にでもそう自分に言い聞かせていた。
(私に生きる価値があるのだとすれば、たぶんそれだけなのだから)
彼女の脳裏に孤児院で過ごした穏やかな暮らしがよぎった時、40代くらいの長身の紳士が彼女たちに近づいてきた。
静奈の養父、藤波男爵である。
熊のような大柄な体型の彼はさして特徴がない顔立ちだが目だけは異様にギラついていた。
静奈の頬に冷たい緊張が走った。
「おやこんなところにいたのかい、二人とも。蘭子、もうすぐ皇様がお越しになられるらしいぞ。今夜こそお前の美貌で彼を落としてしまいなさい」
次女に対して猫撫で声で話しかける男爵。
「まあ、お父様ったら。娘にお世辞なんて使うものじゃ無くってよ」
「お世辞なんかじゃないさ、おまえほど美しく聡明な娘はいないよ。もっと自信を持ちなさい」
「でも、皇(すめらぎ)様がいくら素敵でも鬼だと聞いているしちょっと怖い気もするわ」
「なあに、鬼と言っても人間との半妖だというし我らの見方さ。それに」
男爵はあたりを見回してから声を潜めて語を継いだ。
「皇家には莫大な財産がある。そのうえ彼の軍での出世はこの先も約束されているからね。今のところ帝都一の婿がねだよ」
親子の会話を聞いて静奈はギョッとした。
男爵は半妖の鬼のことを、都合よく人間の見方だと決めつけ愛娘を嫁がせようとしているのだ。
半妖の鬼の軍人について帝都中知らない者はいない。
妖魔と戦う彼のことを英雄とたたえる一方で、鬼である限り本当は人間の敵ではないかと危ぶむ声もあるのだ。
(妖魔と鬼とはどう違うのだろう?いったい、どちらの噂が正しいの?)
そのことをよくよく考えもしないで、ただ己が利益のために愛娘さえ差し出そうとする男爵の横顔こそ、静奈にとっては鬼よりもずっと恐ろしいものに感じた。
だが、ここに集う令嬢達の誰もがそんなことは意に介さないように、楽しげに笑っている。
(半妖の鬼とはどんなお方なのだろう)
だが、静奈が感じた疑問はこの後すぐに解消される。
「皇夜影(すめらぎ よかげ)大佐がご到着されました」
ドア付近にいる衛兵の1人が声を上げて、今宵の主役の訪れを告げた。
「キャー、今夜も素敵ね」
恥じらいも無く囁き合う令嬢達。
「本当に噂通りね。帝都中の役者が束になってかかっても彼には敵わないわ」
「今日でお見合いが最後になるなんて残念ね」