――――その後。私の実家……いや、あそこは実家ではない。私の実家はいつまでもお母さんと暮らした質素な長屋である。
いつしか連れていかれて幽閉されたあの屋敷……鶫の家は没落した。
土地も屋敷も家財も売りに出され、返しきれない鬼の長への借金を一族で背負うことになったらしい。
鬼が優位に立つこの世界で、鬼の長の不興を買った彼らを庇うものはいないし監視の目も厳しい。当主だけではなく未成年以外の大人はほぼ無賃の住み込みで借金返済にあたる。
まぁ漆鬼から妻の家への支援、融資として出していたお金で本家の一族だけではなく分家もいい思いをしていたのだから無理もない。
さらには当の妻として迎える娘を虐待し、ろくに食べ物も出さず着るものも粗末、風呂にもいれずに座敷牢に閉じ込めた。その事実が鬼の社会に広まれば、鶫たちは鬼たちから一斉に非難を浴びた。誰も彼らに慈悲など与えない。私のために出したお金を私利私欲に流用し、私を虐げたとしてその金の返済を強いられている。さらには私が嫁いだ後も、融資は出ていたが鶫が私を陥れて漆鬼を寝取ろうとしていた事実も明らかになった。
そのため私が嫁いでからの融資も無効となり、返済を強いられている。
そりゃぁ当然だ。今まで妻を育てた生家への礼として払われていた金である。それを受け取っておきながら鬼の長の妻を引きずり落とそうとしたわけである。
そもそもあそこは私の生家ではない。そこをそもそもあの家が鬼を騙したとして徹底的な報復を受けたのだ。
それに関しては私には慈悲をかける理由もない。結局あの後も父親と継母は私に会わせろとしつこかったようだが、全て漆鬼が対応して追い返してくれたらしい。
さらに鶫は相変わらず鬼に色目を使ったが、今まで鶫が優しくしてもらえたのは私の妹として……である。みな私のために鶫に優しくしていたので、私が鶫にされてきたことを知り、鶫が私の妹にはあたいしないと分かった以上は構うこともない。優しくすることもなく、鶫が恐い恐いと啜り泣く鬼の覇気すらも全開にすることがあるんだとか。もう泣き真似など通用しない。本当に脅えたとしても構わない。
鬼の見目麗しい見た目にしか興味をもたず、その内面を知ろうともしないのだから。
そう言った点では、紅だけは唯一鶫のために優しくしていたのである。そんな彼も、鶫が鬼を【化け物】と呼んだことでしらけてしまった。
鶫の家の全てを売り払い、一族に借金を返すための住み込み業務を手配した後は漆鬼より後始末終了の御達しが出た。あとは鬼たちの監視のもと、日々仕事に励んでもらうだけだものね。
そして紅は私に謝罪したあと、自ら辺境行きを希望して漆鬼に受理された。今は辺境で補佐官の職務に就いているらしい。それはそれで、彼なりのケジメだったのでしょうね。
――――一方で私はと言うと、毎日漆鬼と共に夫婦としての階段を一歩一歩登っているところである。食事を一緒に取るのはもちろん、寝室は当たり前のように一緒だし、この間は漆鬼と共に観劇に行ってきた。私はそう言うのを見るのは初めてだったし、男のひとと……夫と出掛けるのも初めてだったから緊張したけれど。
漆鬼が常に手を握ってくれていて、何だか嬉しくなってしまった。
さらに、今日はとても賑やかだ。本日は祝言の時以来の本邸である。それも執政が行われる区画ではなく、宴会場である。そこには多くの鬼が集まっている。私は鬼の長の家に伝わる紋の入った着物を着せてもらっており、漆鬼も今日は紋付き袴である。
「今日は結婚式のやり直しだ」
「やり直し……」
「祝言は残念ながらやり直すことはできないが……鶸が鬼の一族の一員となるための、歓迎の儀だ」
本来鬼の披露宴とはそう言うものなのだろうか。ただ花嫁を御披露目するだけではなく、一族の中に迎えるための儀。思えば最初の結婚式の時は、私は鬼を見ようともしなかった。ただ漆鬼に愛されることを渇望していた。
でも今は……鬼の一族の中に受け入れてもらえるよう、みなの顔をしっかりと見たい。
宴の主役の席に新婚夫婦が腰掛ければ、宴が大々的に始まった。
こんなにも、賑やかな催しだったのか。
「改めて、おめでとう。父さん、鶸さん」
第一に祝いの言葉を届けてくれたのは夜鬼くんだった。
「あぁ……色々と済まんな」
「その、ありがとう。夜鬼くんのお陰よ」
夫婦としてやり直せたのも、それから観劇に行ってみたらと誘ってくれたのも。
「不器用な父親だからね。それに鶸さんが父さんの永遠の妻になってくれるのなら、息子としても嬉しいよ」
そう言うと夜鬼くんが苦笑する。息子からもズバリ不器用と言われた漆鬼は……何だか恥ずかしそうに顔をそらしていた。
「……あと、ぼくは妹や弟も歓迎するから、楽しみにしているね」
夜鬼くんのその言葉の意味を悟りハッとする。それってつまり……!?思えば跡継ぎは夜鬼くんのひとりだけ……夜鬼くんは一人っ子だ。もしかしたら夜鬼くんも弟妹がほしかったのか。だが……それはつまり漆鬼と子作り……と言うことでは!?
「その……っ」
「鶸は……欲しいか?」
照れながらそう問うてくる。
「よ……夜鬼くんも、喜んでくれるなら」
「鶸はどうなんだ?子が欲しいのか」
「……っ、そう、ね……できることなら」
跡継ぎは夜鬼くんだが、しかし夜鬼くんのために弟妹を作ってあげるのもいいと思う。それから私自身も、漆鬼との間に子ができれば……さらに家族として幸せな日々を過ごせそうな気もする。
「分かった。なら、今夜から頑張ろうか」
「へぁっ!?」
だからって何でこんなところで!?
「……んー、言い出しっぺはぼくだから申し訳ないけど、父さん。そう言うのは宴が終わってからね」
夜鬼くんからピシャリと告げられる。
「む……もどかしいな」
「もぅ、主役なんだから」
「鶸もだぞ」
「うん」
夫婦で微笑み合えば『あとは熱いお2人で』と夜鬼くんが手を振って席に戻っていく。それからは鬼たちが代わる代わる挨拶に来てくれる。それから鬼たちの人間の妻の女性も共に。以前は彼女たちには会ったかしら。私はそれすらもちゃんと見ていなかったのよね。
「人間の妻同士、仲良くしてくださいませね」
「先輩として何でも相談に乗りますよ」
彼女たちはみな優しく声をかけてくれる。中には契りを結んだ女性もいるのだと、漆鬼が教えてくれた。
「彼女たちとも、仲良くなれるかしら」
「実は彼女たちの中でも、鶫に迷惑をこうむったものはいるらしい。伴侶の鬼に言い寄られたり、そのために陰口を叩かれたりと言った具合に」
鶫は私以外にもそんなことをしていたのね。鬼たちの真意もはかれずに。
「だからこそ、同じように鶫に苛まれた鶸には共感を得ているものもいるそうだ」
鶫に苛まれた同士と言うのも皮肉だけどね。
けれどこれからは。
「彼女たちとも仲良くしていきたいと思うの」
「……そうだな。鬼の妻同士で茶会などもやっているらしい。鶸が行きたいのなら、止めはしない」
「……う、うん」
最近は茶の稽古もつけているし……参加できるだろうか。
「では喜んで。今度招待状をお送りしますわ」
挨拶に来てくれた鬼とその伴侶の女性にその話をすれば、快く応じてくれた。
「楽しみ……」
「ふふっ、そうだな。でも……俺も鶸に楽しみなことをしてやりたい」
「……そう、ね。そのね、夜鬼くんがこの前、たまには旅行もいいんじゃないって教えてくれて……」
「なら、ふたりで温泉にでも行こうか?」
「けど私……食事が……」
今日の宴会の料理は、豪華な食事にしれっと混ぜてもらった消化の良いもの。私のために特別に用意してもらった料理だ。だが旅先ではそうも行かないだろうか。
「問題ない。鬼の一族の行き付けだ。食事は長の俺に合わせているから、鶸の分は鶸の分で合わせてもらえるよ」
「迷惑じゃない?」
「まさか。むしろ鬼の長夫婦に満足してもらえれば箔がつく。迷惑どころか喜んで応じてくれるさ」
「それなら……」
「なら、決まりだ。仕事の合間を縫って……日取りを調整しようか」
「うん」
また、楽しみなことが増えていく。
盛り上がる宴、長の妻を歓迎するための宴。こうしてみれば、私は決してひとりではなかったのだろう。漆鬼と分かり合えたことで私もそれに気が付くことができた。
そして、漆鬼も。
私たち夫婦は、本当の鬼の結婚式を経て、また一歩ずつ、夫婦として歩んで行くのだ。
【完】