「依道、あーん」
「い、いや。自分で食べられるわ」
一口大に切り分けた練り切りを黒文字で差し出され、依道は頬を赤らめながら首を振った。首元ではもみじが砂糖の塊でも口にしたかのような顔をしている。
雷獣と戦った夜から数日後。依道は清吾に誘われて、茶屋にやってきていた。雷獣騒ぎであの日の帰りに寄れなかった埋め合わせと、仲直り記念とのことらしい。
「依道のために切ったんだから。食べてくれないと困るんだけど」
「…………わ、分かったわよ」
唇をとがらせる清吾に負けて、依道は思い切って差し出された練り切りにぱくついた。
清吾は満足げににこにこと笑う。しかし周囲からは、ものすごい視線を感じていた。
「あれ、安倍と芦屋のだろ?」
「あの夫婦って、不仲説がなかったっけ?」
清吾と共に座っているのは茶屋の店先。通行人から何をしているか丸見えの位置だ。
恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしながら、依道は目で清吾に抗議する。しかし彼はどこ吹く風。練り切りをもう一切れ切り取ると、再び食べろと差し出してくる。
仕方なく再び食べてから、依道は火照りの冷めない顔でぼやく。
「あなた、いくら何でも態度が変わりすぎよ」
清吾のこうした振る舞いは、今に限ったことじゃなかった。あの日以降、清吾は憎まれ口を叩いていたのと同じくらい、依道をでろでろに甘やかしてくる。何かと距離が近いし、頭は一日三回撫でてくるし、寝所は衝立が撤廃されたどころか布団が一つになった。もちろん清吾から愛して貰えるのは嬉しいが、さすがに限度というものがあるだろう。
「そうかな。今までの分まで愛するなら、むしろ足りないくらいじゃない?」
「いやでも、外に出てまでこういうことをするのは違うと思うの」
「何を言ってるの。外だからこそするんでしょ? 依道と上手くいってることを世間に広めて、君が傷つかないようにしないといけないからね」
使用人達が囁いていた噂を始め、清吾はやはり周囲で流れている不仲説を知らなかった。使用人たちに悪く言われていたことを話した時、清吾は顔を真っ青にして謝ってくれた。その後使用人は総入れ替えになり、家の中の件は一旦解決している。だから今度は外の噂、ということらしい。
清吾は再び練り切りのかけらを差し出した。どうやらそれが、最後の一切れらしい。
思い切って食べてから、依道はもごもごと口を動かした。
「気持ちは嬉しいけど……でも、その……」
「大丈夫。恥ずかしがってる君も可愛いから」
「――っ!?」
言葉を失う依道の横で、清吾は優雅にお茶を啜って立ち上がる。
「さて、そろそろ時間かな」
気づけば空は茜色に染まっていた。黄昏時。妖怪達が蠢き始める魔の時刻だ。
そして――陰陽師達がおつとめに就く時刻でもある。
清吾は依道を振り返り、おもむろに手を差し出してくる。
「今日もついてきてくれるの、僕の奥さん?」
「もちろんよ。あなたのためならどこでもお供するわ、旦那様」
差し出された手を掴んで、彼の隣に並び立つ。
妻として彼を守り、支えるために。
「そういえば練り切り、結局私が食べちゃったけど良かったの?」
練り切りの入っていた皿を横目に首をかしげると、清吾はくすりと微笑んだ。
「ああ、構わないよ。代わりのものを貰うから」
そのまま彼は依道の頬に手を添える。
ふわりと菫の香りが漂った。直後に、ちゅ、という小さな音が聞こえる。
依道は大きく目を見開き、もみじは首元で毛を逆立てる。
唇を離し、意地悪そうな笑みを浮かべた清吾の顔は、夕日の中で赤く染まっていた。
「それじゃ、改めておつとめに行こうか」
清吾は藍の羽織を翻し、夕焼けの道を歩いて行く。
依道はしばし硬直していたが、はっと正気に戻った後は、抗議の言葉を叫びながら慌てて清吾を追いかけたのだった。
「い、いや。自分で食べられるわ」
一口大に切り分けた練り切りを黒文字で差し出され、依道は頬を赤らめながら首を振った。首元ではもみじが砂糖の塊でも口にしたかのような顔をしている。
雷獣と戦った夜から数日後。依道は清吾に誘われて、茶屋にやってきていた。雷獣騒ぎであの日の帰りに寄れなかった埋め合わせと、仲直り記念とのことらしい。
「依道のために切ったんだから。食べてくれないと困るんだけど」
「…………わ、分かったわよ」
唇をとがらせる清吾に負けて、依道は思い切って差し出された練り切りにぱくついた。
清吾は満足げににこにこと笑う。しかし周囲からは、ものすごい視線を感じていた。
「あれ、安倍と芦屋のだろ?」
「あの夫婦って、不仲説がなかったっけ?」
清吾と共に座っているのは茶屋の店先。通行人から何をしているか丸見えの位置だ。
恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしながら、依道は目で清吾に抗議する。しかし彼はどこ吹く風。練り切りをもう一切れ切り取ると、再び食べろと差し出してくる。
仕方なく再び食べてから、依道は火照りの冷めない顔でぼやく。
「あなた、いくら何でも態度が変わりすぎよ」
清吾のこうした振る舞いは、今に限ったことじゃなかった。あの日以降、清吾は憎まれ口を叩いていたのと同じくらい、依道をでろでろに甘やかしてくる。何かと距離が近いし、頭は一日三回撫でてくるし、寝所は衝立が撤廃されたどころか布団が一つになった。もちろん清吾から愛して貰えるのは嬉しいが、さすがに限度というものがあるだろう。
「そうかな。今までの分まで愛するなら、むしろ足りないくらいじゃない?」
「いやでも、外に出てまでこういうことをするのは違うと思うの」
「何を言ってるの。外だからこそするんでしょ? 依道と上手くいってることを世間に広めて、君が傷つかないようにしないといけないからね」
使用人達が囁いていた噂を始め、清吾はやはり周囲で流れている不仲説を知らなかった。使用人たちに悪く言われていたことを話した時、清吾は顔を真っ青にして謝ってくれた。その後使用人は総入れ替えになり、家の中の件は一旦解決している。だから今度は外の噂、ということらしい。
清吾は再び練り切りのかけらを差し出した。どうやらそれが、最後の一切れらしい。
思い切って食べてから、依道はもごもごと口を動かした。
「気持ちは嬉しいけど……でも、その……」
「大丈夫。恥ずかしがってる君も可愛いから」
「――っ!?」
言葉を失う依道の横で、清吾は優雅にお茶を啜って立ち上がる。
「さて、そろそろ時間かな」
気づけば空は茜色に染まっていた。黄昏時。妖怪達が蠢き始める魔の時刻だ。
そして――陰陽師達がおつとめに就く時刻でもある。
清吾は依道を振り返り、おもむろに手を差し出してくる。
「今日もついてきてくれるの、僕の奥さん?」
「もちろんよ。あなたのためならどこでもお供するわ、旦那様」
差し出された手を掴んで、彼の隣に並び立つ。
妻として彼を守り、支えるために。
「そういえば練り切り、結局私が食べちゃったけど良かったの?」
練り切りの入っていた皿を横目に首をかしげると、清吾はくすりと微笑んだ。
「ああ、構わないよ。代わりのものを貰うから」
そのまま彼は依道の頬に手を添える。
ふわりと菫の香りが漂った。直後に、ちゅ、という小さな音が聞こえる。
依道は大きく目を見開き、もみじは首元で毛を逆立てる。
唇を離し、意地悪そうな笑みを浮かべた清吾の顔は、夕日の中で赤く染まっていた。
「それじゃ、改めておつとめに行こうか」
清吾は藍の羽織を翻し、夕焼けの道を歩いて行く。
依道はしばし硬直していたが、はっと正気に戻った後は、抗議の言葉を叫びながら慌てて清吾を追いかけたのだった。