隣で崩れ落ちた清吾の背中を慌てて支える。術の反動で傷が開いたのか、右腕からは再び血が流れ始めていた。
「っ、あーあ……結局こうなっちゃって。一人でもいけると思ったのになぁ」
清吾は苦々しげに笑っていた。その笑顔に、彼が無事だった喜びと、言いようのない怒りがわき上がってくる。
「馬鹿……!」
声を上げると、抑えていた感情と共に涙が溢れ出した。堰を切ったかのように、次から次へと零れていく。
「どうして一人で行ったのよ、危ないって言ったのに。いつも私をおつとめに出さず、役立たずみたいに家に置いておいて……そのくせ重要なところで、こんな怪我しないでよ!」
ぼろぼろと涙をこぼす依道に、清吾は何故か戸惑うような顔をした。
「ええっと……依道? なんでそんなに泣いてるの? まるで僕のことが心配だったみたいに……」
「心配したに決まってるでしょ!」
「えっ」
清吾は思いがけないことでも言われたかのように、大きく目を見開いた。その反応に余計に腹が立ってきて、依道は唇をとがらせる。
「当たり前じゃない。あなたは私の旦那なんだから! それよりいい加減話してくれる? 私を連れて行かなかった理由を」
「……それは、言ったでしょ。怪我するからだよ」
「はっきり言ったらどうなの。役立たずと思ってたって」
しかし清吾は首を振り、居心地の悪そうに目線を逸らしながら言葉を続けた。
「違う、本当に怪我をするからだよ。君に、傷ついてほしく、なかったんだ……」
徐々に語尾を小さくしながら話す清吾に、依道は目を瞬かせた。一拍おいて言葉の意味を理解し、脳内が一気に混乱する。
まるで清吾が、依道を守っていたような口ぶりだ。
清吾は口をもごもごさせながらも、固まってしまった依道に告げる。
「君の実力は、ちゃんと分かってた。一緒に戦ったことも何度かあるし。でも……それでも、危ない目には遭ってほしくなかったんだ。君の強さは関係なく……僕個人の、感情で」
「そっ、それは……」
依道の頭は更に混乱する。清吾の言葉は、予想外の連発だった。
だって清吾個人の感情なんて――まるで、彼が自分のことを好きみたいだ。
「まるで、じゃなくて。本当に好きなんだよ、君のこと」
「うっ、嘘ぉ!?」
「本当だって……」
清吾は大きなため息をつき「あー、言っちゃった……」と諦めたように呟いた。その耳は夜の闇でも分かるほどに赤い。
「でっ、でも! 寝るときに布団を衝立で仕切ってるじゃない!」
「あれは僕の理性が飛ばないようにしてるだけ」
「もみじにいつも意地悪するし!」
「……あの狐に妬いてたんだよ。君と契約して一心同体なんてうらやましすぎる」
「わ、私にキツいことばっかり言ってるし」
「それはごめん。君と言い合いするのが楽しくて……」
なんということだろう。つまり自分が今まで壁と感じていたものは、全て彼の思いの裏返しだったのか。あまりにすれ違いすぎていて、呆然としてしまう。
「一体いつから……」
「気づいたら、だよ」
少なくとも結婚が決まる時には既に自覚していた、と彼は語る。
「僕は安倍家の跡継ぎとして、小さい頃から周りから距離を置かれたり、お世辞を言われたりすることが多かった。それに昔は、本当に嫌気が差していてね。君と出会ったのはちょうどその頃だった」
きっと初めて清吾に会い、助けられたあのときだ。
「初めは君も、僕のことを安倍の次期当主として接してくるのだろうと思っていたけど……君は距離を置くんじゃなくて、僕に近づこうと訓練してたよね。しかもだんだん宿敵と認識してきて、お世辞どころかなんでもズバズバ遠慮なく言うようになって」
「う……」
依道は気まずさに目を背ける。おそらくは安倍と芦屋の関係を知った頃のことだろう。特に初めの頃は宿敵らしくしなければと、変に気合いが入っていた記憶がある。
「心配しないで。僕はむしろ、それが嬉しかったんだ。君と言い合いしている時だけは、『安倍家の次期当主』じゃなくて『安倍清吾』として過ごせた気がするから。そうしてるうち、気づけばいつの間にか君のことが好きになってた」
だから結婚が決まったときは内心とても幸せだった、と清吾は微笑む。
「でも君は、僕のことが嫌いでしょ? だからどこまで踏み込んでいいのかが分からなくて。結果中途半端な態度をとって、君を誤解させたみたいで、ごめん」
「ま、待って。なんで私が清吾のことを嫌いって思ったの?」
「僕が何か言うごとに怒ってるから」
「…………」
確かに自分の振る舞いは、そう捉えられてもおかしくない。
つまり自分の態度のせいで清吾は身の振り方を決められず、結果ここまでこじれてしまったのだ。清吾も十分話さなかったのは良くないとは思うが、結局は依道の自業自得なのだと反省する。
「あれ、でも……僕を嫌ってるなら、泣くほど僕のことを心配してたのはどうして?」
「……あなたはどうしてだと思うのよ」
依道の問いかけに、清吾はしばし沈黙した。その後、何かに気づいたように目を見張る。その頬は、だんだんと紅潮していった。
「まさかとは、思うけど……依道も、僕が……好き、とか……?」
「……そうよ」
「嘘ぉ!?」
顔を真っ赤にして驚く清吾に、依道もつられて顔を赤くする。既に夫婦関係だというのに、今の状況はなんだか付き合ったばかりの恋人よりも初々しい気がした。
「嘘じゃないわ。初めて清吾と会った時から……ずっとずっと、好きだったの」
「あはは……まいったな。いくらなんでもこじれすぎだろ、僕たち」
「紛らわしい態度を取って悪かったとは思ってるわよ……」
呆れたように笑う清吾に、なんだか罪悪感が湧き上がってくる。あたかも自分が被害者のように考えていたことが恥ずかしくなってきた。
顔をうつむけていると、頬にそっと清吾の手が触れる。
「それはお互い様、だよ」
顔を上げると、清吾の笑みが目に入った。頬を赤らめ、うっとりとしたような目をしている。今まで見たことのない、恋でもしているかのような表情だった。
依道の胸が大きく高鳴る。何故か無性に清吾から離れたくなった。けれども頬に添えられた手が、それを許してくれない。
すぐそばで、清吾が囁く。
「もう、踏み込んでもいいんだよね?」
「ま、まあそうね。私たちは夫婦なんだし」
しどろもどろになりながら答えた依道に、清吾はくすりと小さく笑う。
そのまま顔が近づいて――
「おいてめぇら。俺たちのこと忘れてねぇか」
「「げほげほげほっ」」
すぐ側で聞こえた第三者の声に、依道と清吾は盛大に咳き込んだ。
「なんか丸く収まってんのはいいけどよ。時と場所を考えろってんだ」
依道と清吾のすぐ横の地面で、あきれ顔のもみじがこちらを見上げていた。
依道は火を噴きそうな程に赤面し、清吾は顔をしかめてもみじを睨め付ける。
「狐……この期に及んで邪魔をするつもり?」
「俺だけじゃなくて、てめぇの部下も目のやり場に困ってんだろ」
もみじは尻尾で後方を差した。見ると清吾と雷獣に応戦していた陰陽師と、助っ人に来たらしき安倍家の陰陽師たちが、そろって気まずそうな顔をしていた。今のやりとりを見られていたのかと思うと、申し訳ないような気持ちになってくる
「それと、だ。依道を悲しませることしかしてこなかった奴が、今更旦那面するんじゃねぇ」
「う………」
正論過ぎる物言いに、清吾は胸を押さえて顔を歪めた。もみじは依道の首に巻き付きながら、そんな清吾へ仕方なさげにため息をつく。
「でもま、依道がてめぇを気に入ってるのは事実だし。今後大事にするって誓うなら許してやるよ」
「それはもちろん。これまでの分も合わせて、めいっぱい依道を愛するから」
誠意のこもった言葉に、依道は照れると同時になんだか目尻が熱くなる。
清吾が自分に「愛する」なんて言う日がくるとは思っていなかった。勘違いに勘違いを重ねてこじれた結果ではあったものの、それでもずっと、清吾と思いを通じ合わせることはできないと思っていたのだから。
突然涙を流し始めた依道に、清吾ともみじは慌て始める。けれどもどんなに頑張っても、涙は次々あふれて止まらなかった。
空に輝く月は、静かでとても温かかった。
「っ、あーあ……結局こうなっちゃって。一人でもいけると思ったのになぁ」
清吾は苦々しげに笑っていた。その笑顔に、彼が無事だった喜びと、言いようのない怒りがわき上がってくる。
「馬鹿……!」
声を上げると、抑えていた感情と共に涙が溢れ出した。堰を切ったかのように、次から次へと零れていく。
「どうして一人で行ったのよ、危ないって言ったのに。いつも私をおつとめに出さず、役立たずみたいに家に置いておいて……そのくせ重要なところで、こんな怪我しないでよ!」
ぼろぼろと涙をこぼす依道に、清吾は何故か戸惑うような顔をした。
「ええっと……依道? なんでそんなに泣いてるの? まるで僕のことが心配だったみたいに……」
「心配したに決まってるでしょ!」
「えっ」
清吾は思いがけないことでも言われたかのように、大きく目を見開いた。その反応に余計に腹が立ってきて、依道は唇をとがらせる。
「当たり前じゃない。あなたは私の旦那なんだから! それよりいい加減話してくれる? 私を連れて行かなかった理由を」
「……それは、言ったでしょ。怪我するからだよ」
「はっきり言ったらどうなの。役立たずと思ってたって」
しかし清吾は首を振り、居心地の悪そうに目線を逸らしながら言葉を続けた。
「違う、本当に怪我をするからだよ。君に、傷ついてほしく、なかったんだ……」
徐々に語尾を小さくしながら話す清吾に、依道は目を瞬かせた。一拍おいて言葉の意味を理解し、脳内が一気に混乱する。
まるで清吾が、依道を守っていたような口ぶりだ。
清吾は口をもごもごさせながらも、固まってしまった依道に告げる。
「君の実力は、ちゃんと分かってた。一緒に戦ったことも何度かあるし。でも……それでも、危ない目には遭ってほしくなかったんだ。君の強さは関係なく……僕個人の、感情で」
「そっ、それは……」
依道の頭は更に混乱する。清吾の言葉は、予想外の連発だった。
だって清吾個人の感情なんて――まるで、彼が自分のことを好きみたいだ。
「まるで、じゃなくて。本当に好きなんだよ、君のこと」
「うっ、嘘ぉ!?」
「本当だって……」
清吾は大きなため息をつき「あー、言っちゃった……」と諦めたように呟いた。その耳は夜の闇でも分かるほどに赤い。
「でっ、でも! 寝るときに布団を衝立で仕切ってるじゃない!」
「あれは僕の理性が飛ばないようにしてるだけ」
「もみじにいつも意地悪するし!」
「……あの狐に妬いてたんだよ。君と契約して一心同体なんてうらやましすぎる」
「わ、私にキツいことばっかり言ってるし」
「それはごめん。君と言い合いするのが楽しくて……」
なんということだろう。つまり自分が今まで壁と感じていたものは、全て彼の思いの裏返しだったのか。あまりにすれ違いすぎていて、呆然としてしまう。
「一体いつから……」
「気づいたら、だよ」
少なくとも結婚が決まる時には既に自覚していた、と彼は語る。
「僕は安倍家の跡継ぎとして、小さい頃から周りから距離を置かれたり、お世辞を言われたりすることが多かった。それに昔は、本当に嫌気が差していてね。君と出会ったのはちょうどその頃だった」
きっと初めて清吾に会い、助けられたあのときだ。
「初めは君も、僕のことを安倍の次期当主として接してくるのだろうと思っていたけど……君は距離を置くんじゃなくて、僕に近づこうと訓練してたよね。しかもだんだん宿敵と認識してきて、お世辞どころかなんでもズバズバ遠慮なく言うようになって」
「う……」
依道は気まずさに目を背ける。おそらくは安倍と芦屋の関係を知った頃のことだろう。特に初めの頃は宿敵らしくしなければと、変に気合いが入っていた記憶がある。
「心配しないで。僕はむしろ、それが嬉しかったんだ。君と言い合いしている時だけは、『安倍家の次期当主』じゃなくて『安倍清吾』として過ごせた気がするから。そうしてるうち、気づけばいつの間にか君のことが好きになってた」
だから結婚が決まったときは内心とても幸せだった、と清吾は微笑む。
「でも君は、僕のことが嫌いでしょ? だからどこまで踏み込んでいいのかが分からなくて。結果中途半端な態度をとって、君を誤解させたみたいで、ごめん」
「ま、待って。なんで私が清吾のことを嫌いって思ったの?」
「僕が何か言うごとに怒ってるから」
「…………」
確かに自分の振る舞いは、そう捉えられてもおかしくない。
つまり自分の態度のせいで清吾は身の振り方を決められず、結果ここまでこじれてしまったのだ。清吾も十分話さなかったのは良くないとは思うが、結局は依道の自業自得なのだと反省する。
「あれ、でも……僕を嫌ってるなら、泣くほど僕のことを心配してたのはどうして?」
「……あなたはどうしてだと思うのよ」
依道の問いかけに、清吾はしばし沈黙した。その後、何かに気づいたように目を見張る。その頬は、だんだんと紅潮していった。
「まさかとは、思うけど……依道も、僕が……好き、とか……?」
「……そうよ」
「嘘ぉ!?」
顔を真っ赤にして驚く清吾に、依道もつられて顔を赤くする。既に夫婦関係だというのに、今の状況はなんだか付き合ったばかりの恋人よりも初々しい気がした。
「嘘じゃないわ。初めて清吾と会った時から……ずっとずっと、好きだったの」
「あはは……まいったな。いくらなんでもこじれすぎだろ、僕たち」
「紛らわしい態度を取って悪かったとは思ってるわよ……」
呆れたように笑う清吾に、なんだか罪悪感が湧き上がってくる。あたかも自分が被害者のように考えていたことが恥ずかしくなってきた。
顔をうつむけていると、頬にそっと清吾の手が触れる。
「それはお互い様、だよ」
顔を上げると、清吾の笑みが目に入った。頬を赤らめ、うっとりとしたような目をしている。今まで見たことのない、恋でもしているかのような表情だった。
依道の胸が大きく高鳴る。何故か無性に清吾から離れたくなった。けれども頬に添えられた手が、それを許してくれない。
すぐそばで、清吾が囁く。
「もう、踏み込んでもいいんだよね?」
「ま、まあそうね。私たちは夫婦なんだし」
しどろもどろになりながら答えた依道に、清吾はくすりと小さく笑う。
そのまま顔が近づいて――
「おいてめぇら。俺たちのこと忘れてねぇか」
「「げほげほげほっ」」
すぐ側で聞こえた第三者の声に、依道と清吾は盛大に咳き込んだ。
「なんか丸く収まってんのはいいけどよ。時と場所を考えろってんだ」
依道と清吾のすぐ横の地面で、あきれ顔のもみじがこちらを見上げていた。
依道は火を噴きそうな程に赤面し、清吾は顔をしかめてもみじを睨め付ける。
「狐……この期に及んで邪魔をするつもり?」
「俺だけじゃなくて、てめぇの部下も目のやり場に困ってんだろ」
もみじは尻尾で後方を差した。見ると清吾と雷獣に応戦していた陰陽師と、助っ人に来たらしき安倍家の陰陽師たちが、そろって気まずそうな顔をしていた。今のやりとりを見られていたのかと思うと、申し訳ないような気持ちになってくる
「それと、だ。依道を悲しませることしかしてこなかった奴が、今更旦那面するんじゃねぇ」
「う………」
正論過ぎる物言いに、清吾は胸を押さえて顔を歪めた。もみじは依道の首に巻き付きながら、そんな清吾へ仕方なさげにため息をつく。
「でもま、依道がてめぇを気に入ってるのは事実だし。今後大事にするって誓うなら許してやるよ」
「それはもちろん。これまでの分も合わせて、めいっぱい依道を愛するから」
誠意のこもった言葉に、依道は照れると同時になんだか目尻が熱くなる。
清吾が自分に「愛する」なんて言う日がくるとは思っていなかった。勘違いに勘違いを重ねてこじれた結果ではあったものの、それでもずっと、清吾と思いを通じ合わせることはできないと思っていたのだから。
突然涙を流し始めた依道に、清吾ともみじは慌て始める。けれどもどんなに頑張っても、涙は次々あふれて止まらなかった。
空に輝く月は、静かでとても温かかった。