落雷地点は街外れの空き地だった。雨で水たまりが多くできたその土地の中心に、大きさが馬ほどもある狐に似た大きな獣がたたずんでいる。
雷獣。雲の上に棲み、雷と共に現れる妖怪。それは明らかに気が立っているらしく、金色の毛並みを逆立てながら唸っていた。その毛はぱちぱちと帯電し、再び雷を起こそうとしているようだった。
雷獣に対峙するのは、清吾と、彼を連れていった陰陽師の二人だけ。おつとめに入る時間にはまだ早いからか、安倍家の陰陽師たちも用意ができていなかったのだろう。応援を呼んではいるだろうが、この悪天候では時間がかかりそうだ。
「キィイイイッ!!」
雷獣が甲高い叫びを上げた。その身体から雷光が発生し、清吾に向かって走っていく。
彼は間一髪で避けたものの、右腕をかすめてしまったらしい。服が焦げ付き、その下の皮膚は赤くただれていた。痛みに顔を歪ませながら、地面に崩れ落ちる。
「清吾っ!」
依道は迷わず彼の前に躍り出た。彼ともう一人の陰陽師は、驚いたように目を見張る。
「依道、なんで来たんだ!」
「来たいから来たのよ。私だって、いつまでもおとなしくしてる女じゃないの」
「っ、駄目だ、今すぐ帰って! ここにいたら怪我するかも……!」
「そんなの、傷だらけのあなたに言われたくない!」
依道は後ろの清吾へ目を向ける。先ほど攻撃を受けた腕からは血が流れ、雨と一緒に地面へ川を作っていた。けれどもし、先ほどの攻撃が直撃していれば、この程度では済まなかっただろう。起こらなかったもしもを想像し、依道は顔を暗くする。
「別にいいわよ、それくらい。私の怪我であなたの命が救われるなら、安いものだわ」
「依道……?」
「おいてめぇら、おしゃべりしてる時間はねぇみたいだぜ!」
清吾の声を遮って、依道の首元にいるもみじが威嚇の声をあげる。前を見据えると雷獣が毛を逆立てて、再び雷を呼ぼうとしているところだった。
その眼光は、依道をまっすぐ射貫いている。新たに乱入してきた依道を、完全に驚異と定めたのだろう。
「その方が好都合だわ」
狙われているのが自分だけなら、清吾たちをかばいながら戦う必要はなくなる。
「とにかく、暴れてる原因を探らないと。もみじ、できるかしら?」
「あったりめーだ!」
ぽぽぽんっと軽い音がして、周囲にもみじの分身が十数匹ほど現れた。分身たちは散り散りになり、雷獣の方に飛んでいく。
「シャァアアッ!」
雷獣は唸りを上げて、四方へ雷光を閃かせた。分身が一匹、また一匹と攻撃によって減らされていく。
「っ、依道! 前!」
背後で清吾が叫ぶ。放たれた雷光の一本が、依道の眼前に迫っていた。
しかしその光が依道に当たることはない。
「傷つけさせるわけねぇだろうが。俺がいるんだからよ」
雷獣の雷は、もみじの狐火によって打ち消されていた。清吾は大きく目を見張る。
「ただの管狐が、そこまでできるなんて……」
「あぁ? てめぇ、ずっと依道と喧嘩しまくってたくせに、今更かよ?」
もみじは依道の首元から清吾を見下ろしながら言葉を続ける。
「芦屋と契約してる妖怪は、術者から力を分けてもらえんだ。つまり俺の強さは、そのままこいつの強さってことだよ」
「……っ」
「目ん玉見開いてよく見とけ。てめぇの嫁は守られなきゃなんねぇような、お姫様じゃねぇんだよ」
清吾に向かって言い切ったもみじに、依道は心の中で感謝した。ずっと一緒にいてくれた相棒がそう言ってくれるなら、少しは自信が出るというものだ。
「……もみじ、雷獣の様子は」
「おう、ばっちり見といたぜ。あいつ、左の後ろ足に大きい噛み傷を負ってやがる。大方空の上で雷獣同士の縄張り争いに負けたんだろうな。暴れてるのもそれが原因だ」
ならば傷が治れば、雷獣もおとなしくなるだろう。問題はその傷をどうやって治すかだ。
「妖怪に効く薬なんて持ってないし、それにどうやって近づくかも……あっ」
これまで契約した妖怪の中に、一匹だけそれができそうな相手がいた。依道はその姿を思い浮かべながら、強く念じる。
「鎌鼬、来なさい」
「はいはぁい。お呼びですかぁ」
一陣の風が吹き、目の前に二本の尾を持ち、両腕に鎌を生やしたイタチの妖怪が現れた。初めてのおつとめの時、清吾と共に戦って契約した、あの鎌鼬である。
「姐さん久しぶりですねぇ。なんか大きくなりました?」
「八年も経ってちゃ大きくもなるわ。それよりあなたに頼みたいことがあるの」
「へぇ、なんでしょ――うわぁっ!?」
鎌鼬が慌ててその場から飛び退いた。直後に雷光が鎌鼬のいた地面を焦がす。
「ららら、雷獣じゃないですかぁ! まさか姐さん、あっしにあれの相手をしろと!?」
「戦えって言うわけじゃないわ。ただ左後ろ足の怪我の痛みを止めてあげるだけでいいの」
鎌鼬なら傷薬で痛みを消せるだろう。素早さも十分あるし、彼なら雷獣を鎮めることができるはずだ。
しかし鎌鼬はぶんぶんと首を横に振る。
「いやいやいや、無理ですって! あっしみたいな弱い妖怪じゃ、あの雷にやられて終わりですよぉ!」
「大丈夫、私が力を分けてあげてるんだから。あなたは普通の鎌鼬より、何百倍も強いはずよ」
「で、でもぉ……」
「なら僕が手伝うよ」
渋る鎌鼬に返事をしたのは、倒れていたはずの清吾だった。怪我をした右腕を押さえ、荒い息を吐きながらも依道の隣に立っている。鎌鼬は昔を思い出したのか、身体をぶるりと震わせた。
「ひぃ、安倍の兄さん!?」
「僕が少しの間、あの雷獣の動きを止める。その間に奴の痛みを止めるんだ。それならできるよね?」
「はっ、はいぃ! 兄さんが手伝ってくれるなら百人力でぇ!」
鎌鼬は激しく頭を縦に振った。しかし依道は認められない。
「駄目よ、無茶はしないで」
「もう血は止まってるよ。それにこれくらい、どうってことない」
確かに彼の腕から新たな血は流れていない。けれど眉間にしわを寄せたその表情から、苦痛を耐えているのは明らかだった。
胸の不安が拭えない。そんな依道の思いを感じたのか、清吾は唇に笑みを乗せ、懐から呪符を取り出した。
「一緒にやるよ。妻が頑張ってるのに夫が倒れたままじゃ、格好がつかないでしょ?」
「……っ」
妻と、夫。
これまで何度も清吾の口から聞いたはずのその肩書きに、依道の胸は熱くなる。まるで、初めて本当の意味でその肩書きを呼ばれたようだった。
顔が火照っているのを感じ、依道はふいと顔を逸らす。
「……仕方ないわね。途中で倒れないでよ、私の旦那様」
「そっちこそ怪我しないでね、僕の奥さん」
それを合図にするかのように、依道と清吾は構えを取る。
「天つ神よ、彼の者を縛り封じ給え。急急如律令!」
清吾の放った四枚の呪符が、雷獣の周囲を取り囲む。光の縄が現れて、雷獣の身体を縛り付けた。
「っ、今だ!」
「了解。鎌鼬!」
「はいな」
依道の指示で、鎌鼬は言葉通り風となって雷獣に向かう。
「キィイイッ!」
拘束された雷獣は唸りを上げるも、清吾の術の影響か雷を生み出せない。そのままじたばたと手足を動かしもがいていたが――不意に、ピタリとその動きが止まる。
雨がさあっと止んでいった。雲に覆われ真っ黒だった空には、月の光が輝いている。
清吾は大きく息を吐きながら、雷獣にかけた術を解いた。それでも雷獣が再び襲いかかってくることはなかった。逆立っていた毛も今は落ち着いており、瞳から怒りは消えている。鎌鼬が雷獣の痛みを消すのに成功したのだろう。
「キィッ!」
雷獣は一声上げると、大地を蹴って空に帰って行った。ようやく、戦いが終わったのだ。
「んじゃ、あっしもこれで」
続けて鎌鼬も風と共に消えていった。昔殺されかけた相手に助けて貰うなんて、つくづく芦屋の術は不思議な縁を作るものだと依道は思う。
「ふぅ、なんとか片付いて良かった……ううっ……」
「清吾!?」
雷獣。雲の上に棲み、雷と共に現れる妖怪。それは明らかに気が立っているらしく、金色の毛並みを逆立てながら唸っていた。その毛はぱちぱちと帯電し、再び雷を起こそうとしているようだった。
雷獣に対峙するのは、清吾と、彼を連れていった陰陽師の二人だけ。おつとめに入る時間にはまだ早いからか、安倍家の陰陽師たちも用意ができていなかったのだろう。応援を呼んではいるだろうが、この悪天候では時間がかかりそうだ。
「キィイイイッ!!」
雷獣が甲高い叫びを上げた。その身体から雷光が発生し、清吾に向かって走っていく。
彼は間一髪で避けたものの、右腕をかすめてしまったらしい。服が焦げ付き、その下の皮膚は赤くただれていた。痛みに顔を歪ませながら、地面に崩れ落ちる。
「清吾っ!」
依道は迷わず彼の前に躍り出た。彼ともう一人の陰陽師は、驚いたように目を見張る。
「依道、なんで来たんだ!」
「来たいから来たのよ。私だって、いつまでもおとなしくしてる女じゃないの」
「っ、駄目だ、今すぐ帰って! ここにいたら怪我するかも……!」
「そんなの、傷だらけのあなたに言われたくない!」
依道は後ろの清吾へ目を向ける。先ほど攻撃を受けた腕からは血が流れ、雨と一緒に地面へ川を作っていた。けれどもし、先ほどの攻撃が直撃していれば、この程度では済まなかっただろう。起こらなかったもしもを想像し、依道は顔を暗くする。
「別にいいわよ、それくらい。私の怪我であなたの命が救われるなら、安いものだわ」
「依道……?」
「おいてめぇら、おしゃべりしてる時間はねぇみたいだぜ!」
清吾の声を遮って、依道の首元にいるもみじが威嚇の声をあげる。前を見据えると雷獣が毛を逆立てて、再び雷を呼ぼうとしているところだった。
その眼光は、依道をまっすぐ射貫いている。新たに乱入してきた依道を、完全に驚異と定めたのだろう。
「その方が好都合だわ」
狙われているのが自分だけなら、清吾たちをかばいながら戦う必要はなくなる。
「とにかく、暴れてる原因を探らないと。もみじ、できるかしら?」
「あったりめーだ!」
ぽぽぽんっと軽い音がして、周囲にもみじの分身が十数匹ほど現れた。分身たちは散り散りになり、雷獣の方に飛んでいく。
「シャァアアッ!」
雷獣は唸りを上げて、四方へ雷光を閃かせた。分身が一匹、また一匹と攻撃によって減らされていく。
「っ、依道! 前!」
背後で清吾が叫ぶ。放たれた雷光の一本が、依道の眼前に迫っていた。
しかしその光が依道に当たることはない。
「傷つけさせるわけねぇだろうが。俺がいるんだからよ」
雷獣の雷は、もみじの狐火によって打ち消されていた。清吾は大きく目を見張る。
「ただの管狐が、そこまでできるなんて……」
「あぁ? てめぇ、ずっと依道と喧嘩しまくってたくせに、今更かよ?」
もみじは依道の首元から清吾を見下ろしながら言葉を続ける。
「芦屋と契約してる妖怪は、術者から力を分けてもらえんだ。つまり俺の強さは、そのままこいつの強さってことだよ」
「……っ」
「目ん玉見開いてよく見とけ。てめぇの嫁は守られなきゃなんねぇような、お姫様じゃねぇんだよ」
清吾に向かって言い切ったもみじに、依道は心の中で感謝した。ずっと一緒にいてくれた相棒がそう言ってくれるなら、少しは自信が出るというものだ。
「……もみじ、雷獣の様子は」
「おう、ばっちり見といたぜ。あいつ、左の後ろ足に大きい噛み傷を負ってやがる。大方空の上で雷獣同士の縄張り争いに負けたんだろうな。暴れてるのもそれが原因だ」
ならば傷が治れば、雷獣もおとなしくなるだろう。問題はその傷をどうやって治すかだ。
「妖怪に効く薬なんて持ってないし、それにどうやって近づくかも……あっ」
これまで契約した妖怪の中に、一匹だけそれができそうな相手がいた。依道はその姿を思い浮かべながら、強く念じる。
「鎌鼬、来なさい」
「はいはぁい。お呼びですかぁ」
一陣の風が吹き、目の前に二本の尾を持ち、両腕に鎌を生やしたイタチの妖怪が現れた。初めてのおつとめの時、清吾と共に戦って契約した、あの鎌鼬である。
「姐さん久しぶりですねぇ。なんか大きくなりました?」
「八年も経ってちゃ大きくもなるわ。それよりあなたに頼みたいことがあるの」
「へぇ、なんでしょ――うわぁっ!?」
鎌鼬が慌ててその場から飛び退いた。直後に雷光が鎌鼬のいた地面を焦がす。
「ららら、雷獣じゃないですかぁ! まさか姐さん、あっしにあれの相手をしろと!?」
「戦えって言うわけじゃないわ。ただ左後ろ足の怪我の痛みを止めてあげるだけでいいの」
鎌鼬なら傷薬で痛みを消せるだろう。素早さも十分あるし、彼なら雷獣を鎮めることができるはずだ。
しかし鎌鼬はぶんぶんと首を横に振る。
「いやいやいや、無理ですって! あっしみたいな弱い妖怪じゃ、あの雷にやられて終わりですよぉ!」
「大丈夫、私が力を分けてあげてるんだから。あなたは普通の鎌鼬より、何百倍も強いはずよ」
「で、でもぉ……」
「なら僕が手伝うよ」
渋る鎌鼬に返事をしたのは、倒れていたはずの清吾だった。怪我をした右腕を押さえ、荒い息を吐きながらも依道の隣に立っている。鎌鼬は昔を思い出したのか、身体をぶるりと震わせた。
「ひぃ、安倍の兄さん!?」
「僕が少しの間、あの雷獣の動きを止める。その間に奴の痛みを止めるんだ。それならできるよね?」
「はっ、はいぃ! 兄さんが手伝ってくれるなら百人力でぇ!」
鎌鼬は激しく頭を縦に振った。しかし依道は認められない。
「駄目よ、無茶はしないで」
「もう血は止まってるよ。それにこれくらい、どうってことない」
確かに彼の腕から新たな血は流れていない。けれど眉間にしわを寄せたその表情から、苦痛を耐えているのは明らかだった。
胸の不安が拭えない。そんな依道の思いを感じたのか、清吾は唇に笑みを乗せ、懐から呪符を取り出した。
「一緒にやるよ。妻が頑張ってるのに夫が倒れたままじゃ、格好がつかないでしょ?」
「……っ」
妻と、夫。
これまで何度も清吾の口から聞いたはずのその肩書きに、依道の胸は熱くなる。まるで、初めて本当の意味でその肩書きを呼ばれたようだった。
顔が火照っているのを感じ、依道はふいと顔を逸らす。
「……仕方ないわね。途中で倒れないでよ、私の旦那様」
「そっちこそ怪我しないでね、僕の奥さん」
それを合図にするかのように、依道と清吾は構えを取る。
「天つ神よ、彼の者を縛り封じ給え。急急如律令!」
清吾の放った四枚の呪符が、雷獣の周囲を取り囲む。光の縄が現れて、雷獣の身体を縛り付けた。
「っ、今だ!」
「了解。鎌鼬!」
「はいな」
依道の指示で、鎌鼬は言葉通り風となって雷獣に向かう。
「キィイイッ!」
拘束された雷獣は唸りを上げるも、清吾の術の影響か雷を生み出せない。そのままじたばたと手足を動かしもがいていたが――不意に、ピタリとその動きが止まる。
雨がさあっと止んでいった。雲に覆われ真っ黒だった空には、月の光が輝いている。
清吾は大きく息を吐きながら、雷獣にかけた術を解いた。それでも雷獣が再び襲いかかってくることはなかった。逆立っていた毛も今は落ち着いており、瞳から怒りは消えている。鎌鼬が雷獣の痛みを消すのに成功したのだろう。
「キィッ!」
雷獣は一声上げると、大地を蹴って空に帰って行った。ようやく、戦いが終わったのだ。
「んじゃ、あっしもこれで」
続けて鎌鼬も風と共に消えていった。昔殺されかけた相手に助けて貰うなんて、つくづく芦屋の術は不思議な縁を作るものだと依道は思う。
「ふぅ、なんとか片付いて良かった……ううっ……」
「清吾!?」