「ううっ、やっぱり慣れないわ……」
「俺なんて、もう目が開けられねぇよ。ふわぁ……」
目をしょぼつかせながら、依道は照りつける太陽の下を歩いて行く。首元に巻き付いたもみじに至っては、既に目が閉じかけていた。
「しっかりしてよ、依道。君は本来日の下に生きる存在ってこと、忘れないで」
半歩先を行く清吾が、あきれ顔でこちらを向いた。
今日は呉服屋に行くために、普段よりも早く――正午に起きて、清吾と街へ出てきたのだ。けれど毎日夕方に起き朝に眠る生活をしている依道にとって、昼間の太陽は眩しすぎる。おまけに道には人が多く、馬車も次々と行き交っており、だんだんと目が回ってきた。
「昼間に起きる経験がないわけじゃないでしょ? 芦屋の家でも太陽を浴びる習慣はあったんじゃない?」
「ないわよ、そんなの。安倍家と一緒にしないで……」
依道は閉じそうになる目をこすりながら、清吾に返答する。
人は元々太陽がなければ生きられない存在。故に安倍家では定期的に昼間に起きて、太陽の下で活動する習慣があるらしい。けれども芦屋家は妖怪と契約しているからか、特に光を浴びなくても支障はなかった。むしろ、日の光が苦手なところもある。そういう意味でも芦屋は異質と思われているのだろう。
清吾は「ふぅん」と鼻を鳴らすと、首元に巻き付いたもみじを睨んだ。彼に乱暴するつもりなのかと身構えたが、清吾はそのままふいと顔を逸らしてしまう。
「まあ、なんでもいいけど、店に着いたらちゃんとしてよ。君は僕の妻なんだから」
「……そのあたりは心配しなくて結構よ。安倍家の評判を落とすようなことはしないわ」
依道は背筋を伸ばし半歩前に出て、清吾の隣へ並び立った。目配せをすると、彼は促すように視線を前へ向け、そのまま道なりに歩き始める。
大通りには、たくさんの商店が集まっていた。髪飾りを売る店、団子を売る店、そばやうどんを食べられる店……そのどれもが人々の賑わいで満ちている。夜を生きてきた依道はずっと知らなかった世界だった。
茶屋の前を通りがかったとき、店先の長椅子に腰掛けた男女の姿が目に入る。彼らは皿にのった練り切りを見ながら、仲睦まじげに微笑んでいた。きっと練り切りの形が綺麗だとか話しているのだろう。
彼らは友人だろうか。恋人だろうか。それとも結婚して夫婦になっているのだろうか。
いずれにせよ、依道にはひどくうらやましい光景だった。自分たちは、どうあがいてもあのように穏やかな関係にはなれないのだから。
いくら夫婦の振りをしても、自分たちは元宿敵同士。おまけに清吾の方に歩み寄る気がないと来れば、縮まる距離も縮まらなかった。
「なに、お菓子でも食べたいの?」
あまりに凝視してしまっていたのか、清吾が声をかけてくる。
「いや、別にそういうわけじゃないけど……」
「別に遠慮しなくていいのに。昼間出歩くことがないなら、茶屋で何かを食べたこともないんじゃない? 時間はあるし、呉服屋の帰りにでも寄れるよ」
遠慮ではないのだが、清吾はそう捉えたらしかった。けれど確かに茶屋に行った経験はないし、お菓子だってどちらかと言えば好きな方だ。
「じゃあ……お願い、します……」
「了解。まあたまには、夫婦らしいことをしてもいいよね」
「…………」
なるほど、急な提案はどうやら夫婦らしさの演出のためか。
頭から一気に氷水をかけられた気分になった。結局のところ彼は、依道の感情より体面を重視するのだ。そんなことをしても、自分たちの不仲説は安倍家の使用人たちからとっくに世間へ広まっているというのに。
悔しくなったが、往来で喧嘩をすればそれこそ清吾に見放されてしまう。依道にできるのは、せいぜい唇を噛むくらいだ。
依道の心を表すように、空は徐々に灰色へ染まっていった。
「俺なんて、もう目が開けられねぇよ。ふわぁ……」
目をしょぼつかせながら、依道は照りつける太陽の下を歩いて行く。首元に巻き付いたもみじに至っては、既に目が閉じかけていた。
「しっかりしてよ、依道。君は本来日の下に生きる存在ってこと、忘れないで」
半歩先を行く清吾が、あきれ顔でこちらを向いた。
今日は呉服屋に行くために、普段よりも早く――正午に起きて、清吾と街へ出てきたのだ。けれど毎日夕方に起き朝に眠る生活をしている依道にとって、昼間の太陽は眩しすぎる。おまけに道には人が多く、馬車も次々と行き交っており、だんだんと目が回ってきた。
「昼間に起きる経験がないわけじゃないでしょ? 芦屋の家でも太陽を浴びる習慣はあったんじゃない?」
「ないわよ、そんなの。安倍家と一緒にしないで……」
依道は閉じそうになる目をこすりながら、清吾に返答する。
人は元々太陽がなければ生きられない存在。故に安倍家では定期的に昼間に起きて、太陽の下で活動する習慣があるらしい。けれども芦屋家は妖怪と契約しているからか、特に光を浴びなくても支障はなかった。むしろ、日の光が苦手なところもある。そういう意味でも芦屋は異質と思われているのだろう。
清吾は「ふぅん」と鼻を鳴らすと、首元に巻き付いたもみじを睨んだ。彼に乱暴するつもりなのかと身構えたが、清吾はそのままふいと顔を逸らしてしまう。
「まあ、なんでもいいけど、店に着いたらちゃんとしてよ。君は僕の妻なんだから」
「……そのあたりは心配しなくて結構よ。安倍家の評判を落とすようなことはしないわ」
依道は背筋を伸ばし半歩前に出て、清吾の隣へ並び立った。目配せをすると、彼は促すように視線を前へ向け、そのまま道なりに歩き始める。
大通りには、たくさんの商店が集まっていた。髪飾りを売る店、団子を売る店、そばやうどんを食べられる店……そのどれもが人々の賑わいで満ちている。夜を生きてきた依道はずっと知らなかった世界だった。
茶屋の前を通りがかったとき、店先の長椅子に腰掛けた男女の姿が目に入る。彼らは皿にのった練り切りを見ながら、仲睦まじげに微笑んでいた。きっと練り切りの形が綺麗だとか話しているのだろう。
彼らは友人だろうか。恋人だろうか。それとも結婚して夫婦になっているのだろうか。
いずれにせよ、依道にはひどくうらやましい光景だった。自分たちは、どうあがいてもあのように穏やかな関係にはなれないのだから。
いくら夫婦の振りをしても、自分たちは元宿敵同士。おまけに清吾の方に歩み寄る気がないと来れば、縮まる距離も縮まらなかった。
「なに、お菓子でも食べたいの?」
あまりに凝視してしまっていたのか、清吾が声をかけてくる。
「いや、別にそういうわけじゃないけど……」
「別に遠慮しなくていいのに。昼間出歩くことがないなら、茶屋で何かを食べたこともないんじゃない? 時間はあるし、呉服屋の帰りにでも寄れるよ」
遠慮ではないのだが、清吾はそう捉えたらしかった。けれど確かに茶屋に行った経験はないし、お菓子だってどちらかと言えば好きな方だ。
「じゃあ……お願い、します……」
「了解。まあたまには、夫婦らしいことをしてもいいよね」
「…………」
なるほど、急な提案はどうやら夫婦らしさの演出のためか。
頭から一気に氷水をかけられた気分になった。結局のところ彼は、依道の感情より体面を重視するのだ。そんなことをしても、自分たちの不仲説は安倍家の使用人たちからとっくに世間へ広まっているというのに。
悔しくなったが、往来で喧嘩をすればそれこそ清吾に見放されてしまう。依道にできるのは、せいぜい唇を噛むくらいだ。
依道の心を表すように、空は徐々に灰色へ染まっていった。