清吾と出会ったのは八年前、月の綺麗な夜だった。
「――あぁっ!?」
「おい、依道! 大丈夫か!?」
もみじの悲鳴が隣で響く。目の前では力を暴走させて我を失った妖怪・鎌鼬が腕の鎌を振り上げて威嚇していた。
十二になったばかりの夜。初めての一人のおつとめで、依道は大苦戦を強いられていた。不意打ちで後ろから攻撃され、傷の痛みで動けないところをさらに追撃。あっという間に身体を切り刻まれ、着物はズタズタになっていた。もみじも対処してくれたもの、術者である自分の力が安定していないからか上手く攻撃を繰り出せないようだった。
「おいそこの陰陽師! 力を貸してくれ! このままじゃ依道が死んじまう!」
もみじは通りがかった陰陽師たちに助けを求めてくれる。しかし彼らはこちらを見るなり顔をしかめた。
「あれ、芦屋の陰陽師じゃないか」
「やだやだ。助けたなんてことがバレたら笑いものにされる」
彼らは汚いものでも見たような様子で、足早にその場を去って行った。
「あいつら……!」
もみじが威嚇するように牙をむき出しにする。
芦屋家は陰陽師の中でも嫌われ者。頭ではそれを分かっていても、いざ実際目にすると衝撃は大きい。しかも今の依道は瀕死の状態。なのに手を貸してもくれないなんて、まるで面と向かって死ねと言われたような気分だった。
絶望の中、鎌鼬は次なる攻撃を仕掛けようと鎌を振り上げた。
一陣の風となり、依道の命を刈り取りにやってくる。
死を覚悟して、依道はぎゅっと目を瞑った。
しかし、痛みは訪れない。
「そこの君、大丈夫?」
一人の少年が、守るように自分の前へ立っていた。それが、十六歳の清吾だったのだ。月の光を受けて立つ姿は、まるで神様のようにも思えた。
「天つ神よ、彼の者を縛り封じ給え。急急如律令」
清吾が呪符を飛ばすと、鎌鼬の身体が光の縄に絡め取られた。彼はすぐさま追加の呪符を投げて攻撃に移行する。依道より四年ほど早くおつとめを始めていた彼は、当時の自分に比べて経験豊富だった。次第に鎌鼬は制圧され、こちらが優勢になっていく。
たった一人で軽々と妖怪を圧倒してしまうその背中に、依道は強い憧れを抱いた。けれど守られてばかりでもいられないと立ち上がる。
「私も手伝う」
「無茶しないで。怪我をしてるんだから」
「もみじに指示を出すだけだから、大したことないわよ」
「そう、ならいくよ!」
清吾は呪符を飛ばし、依道はもみじに指示を出し、鎌鼬を追い込んでいく。最後は芦屋の術で依道と主従関係を結び、なんとか鎌鼬は正気を取り戻した。
「迷惑かけてすみません、姐さん……。これ、詫びにもならないかもしれませんが」
鎌鼬は申し訳なさそうな顔をして、手のひらに乗るほどの小瓶を差し出してくる。
「あっしの作った傷薬です。塗れば痛みもすぐに収まるはずですから」
鎌鼬は本来、人に傷を付けて血を抜き去る妖怪だ。そしてその一連の行為が人間にバレてしまわないよう、怪我の痛みを消す薬を持っている。彼の差し出してきたのは、おそらくそれだろう。
「ありがとう。使わせて貰うわ」
依道は小瓶を受け取ると、試しに腕の傷へ塗り込んだ。途端に出血が止まり、痛みがすっと引いていく。
「何かあったら、またお呼びくだせぇ。迷惑かけた分、働かせてもらいます」
「ええ、そうしてもらうつもりよ。名前を呼んだら、来てちょうだいね」
「はいな。じゃあ、そのときまで」
鎌鼬は一陣の風邪と共に姿を消した。全てが終わったのだと思うと、全身の力がふっと抜け落ちる。思わず地面に座り込んでしまった依道の肩に、藍色の羽織が掛けられた。菫の香りがふわりと漂う。
「お疲れ様」
「あ、ありがとう……」
恥ずかしいやら情けないやらでしどろもどろになる依道の頭を、彼は優しく撫でてくれた。その手のひらの暖かさに、思わず安心してしまう。
「僕は安倍清吾。君は……術を見るに芦屋の子、だよね?」
「あ、安部家の……? ええと、私は芦屋依道よ」
「ああ、君が。噂には聞いてたよ。今日が初のおつとめだったんだってね」
依道は軽く頷いて、顔をうつむける。
「ごめんなさい、清吾さん。芦屋なんて助けたら、何を言われるか……」
「そんなの気にしなくていいよ。僕は次期当主だから、文句を言ってくる人はいないもの」
清吾は微笑みながら手を差し伸べてくる。その手を取って、依道は立ち上がった。
「もしまた何かあったら、僕を頼るといいよ。羽織はそのときまで取っておいて」
彼はひらひらと手を振りながら、夜の闇へと消えていく。その後ろ姿を見ながら、私は胸を高揚させた。自分も彼のように、誰かを助けられるくらいに強く優しい陰陽師になりたい。その願いの元、依道はそれから一層修行に励んだ。
清吾を追いかけ続け、気づけばその背中に恋をして。ようやく隣に並んで戦えるほどまで成長した頃には、安倍と芦屋の因縁が依道の身体を絡め取っていた。故に恋心を表に出すことなどできず、おつとめで清吾と顔を合わせるたびに本当の気持ちをひた隠し、売り言葉に買い言葉で接した結果、今の関係ができあがる。
けれど、それでもよかった。恋心が叶わなくても、一緒に戦うことができれば十分幸せだった。
だからこそ、おつとめに参加させて貰えない今の状況は――失恋よりも強い痛みを感じていた。