「――お嬢さん! 大丈夫でしたか?」

 学校から帰宅したとたん、小姫は玄関で肩をつかまれた。痛くはなかったが突然のことでびっくりし、しばし声を失った。

「……あ、ああ。青峰(あおみね)さん。帰ってたんですね」

 ほっとして笑顔を作ると、正面の彼も安心したかのように頬を緩ませ、手をほどいた。

 青峰は小姫の家に通いで来ている大学生だ。代々、調停者と村長を兼任してきた日浦(ひうら)家だが、「世襲(せしゅう)制なんて時代錯誤(さくご)」との母親の言により、跡継ぎ見習いとして数年前から出入りしている。割と忙しい母親に代わって食事や掃除などの家事もしてくれる、親切で物腰柔らかな青年だ。

「すみません、私が帰省なんてしている間に……」
「いえ、青峰さんが気にすることじゃないですよ」

 彼は、真面目すぎるきらいがある。「お嬢さん」扱いなんてこそばゆいだけなのだが、何度言っても彼の態度は変わらない。今回のことも、気にするなというだけ無駄だろう。
 気を取り直して母親の居場所を聞くと、今は村の会合で出ているという。

「そっかあ。事故のこと、聞こうと思ったのに……」
「事故のこと?」
「青峰さんは知らないですよね。うちに来たの、そのあとだから」

 乙彦の話を聞いて頭に浮かんだのが、十年前の事故のことだった。

 小学生の時、小姫は交通事故に遭ったらしい。らしい、というのは、彼女に当時の記憶がないからだ。
 事故にまつわる記憶を失った彼女が後で聞いたのは、全身血まみれで車に轢かれた痕跡があること、そして、その際に妖怪を一人助けたということだ。

(乙彦がその妖怪かと思ったんだけど……)

 帰り道でも聞いてみたのだが、彼は何も教えてくれなかった。だから、母親に聞いてみようと思ったのに。

「そのことでしたら、私もうわさ程度なら聞いたことがあります」
「え、そうなの?」

「はい。ただ、私が聞いたのは……。その場にいた妖怪が、何かを食べているように見えた、というものです」
「……何か……?」

 青峰は一度視線を落とし、それから重そうに口を開いた。


 ――道端に倒れている、女の子の腕と足のようだった、と。