日無(ひなき)村。
 世間から忘れられた山奥にある、小さな村だ。ここでは長らく妖怪と人間が共存し、両者の間でいさかいが起こった時は、調停者と呼ばれる者がその仲介を担ってきた。

 調停者はすなわち日無村の首長でもある。現在の村長を務める小姫の母親は、悲鳴を聞いて部屋に駆け込むと、「あらまあ」と目を丸くした。

「どうしたの、それ」
「どうしたのと言われても……」

 それがわかったら苦労はしない。
 小姫は涙目で助けを求めた。肩から先が煙のように消えるなんて現象、妖怪がらみに決まっている。ここは、専門家に頼るのが最善の方法だと思われた。

 母親は左腕があるはずの場所をじっくり眺めると、おもむろに人差し指をピンと立てた。

「これは……、仕方ないわね。――小姫、結婚しましょう」
「――はあ!?」

 ちょっと待て。
 小姫は右手で母親を捕まえようとしたが、彼女はくるりと身をひるがえしてその手を避けた。

「こんなこともあろうかと、目星はつけておいたのよ。すぐ連れてくるから待ってなさい!」
「つ、連れてくるって、誰を!?」

 彼女は聞いていなかった。何の説明もなく部屋を出ていく母親を、小姫は唖然として見送った。

(普通、母親って、一人娘の腕がなくなったら、もっと心配するもんじゃない……?)

 展開が理解不能すぎてどうしたらいいかわからない。呆然としながら居間に歩いて行くと、ちょうと母親がにこにこしながら誰かを連れて戻ってきたところだった。

 一瞬、日ごろから出入りしている大学生かと思ったが、それにしては見慣れぬ着物姿をしている。身長も彼より高そうだ。くりっとした目を笑みで細くし、扇子で口元を隠しているのが、どこか浮世離れしているように見えた。

乙彦(おとひこ)くんっていう、河童の妖怪なの」
「河っ……童?」

 今度は河童か。
 すでに飽和状態の小姫は、もうそれくらいでは驚かない。

(河童ね……、河童。妖怪の中でも有名な部類よね……)

 そう言われれば、外に広がる髪や、とがった耳が、河童っぽく見えなくもない。
 乙彦はゆるりと口を開くと、

「母上様の娘にしては、ちんちくりんな小砂利(こじゃり)なのです」

と、妙な口調で暴言を吐いた。首を傾けた拍子に、笹の葉の耳飾りがさらりと揺れる。

(え、今、なんて……言った?)

 小姫はぽかんと口を開けて、初対面の男を凝視する。

「まあ、二人並ぶとお似合いね。小姫、素敵な旦那さんでよかったわね」

 のんきに笑う母親を見て、小姫はさっきの言葉を思い出した。

 ――小姫、結婚しましょう。

(――この男と!?)

「こ……、こんな奴と結婚なんて、絶対にやだ!」

 小姫が断固拒否したのは言うまでもない。