さらにそれから一週間が経って、柚香は加賀谷家の生活にすっかり馴染んでいた。
 三食しっかりと食べ、毎日風呂にも入っている柚香は、ここに来る前よりも自分の思考が悲観的な方向に流れる頻度が減ったことを実感する。
 そして、すべてがぎりぎりの状態であの二階の物置部屋で暮らしていたころ、他人の幸せを祈りながら雑念を取り払い、甘味にその透き通った想いを込めることができていた自分を思いきり褒めたくなった。

(健康に一歩近づいた今の私なら、きっと作れる)

「フサエさん、甘味を作りたいので、これからお願いするものを用意していただきたいのですが」
 柚香は、加賀谷家に来た最初の日に既に用意されていることを確認していた以外の材料をフサエに伝えた。

 ちいさくてあたらしくてまだ誰にも使われていない台所に柚香は立つ。
 あらゆるものの新品の匂いがして、大きく息を吸い込みその匂いを堪能した。
 火元を確認しようとしたら、かまどはなく、別の調理器具が置かれている。使い方がまったく分からない。
 材料を持ってきてくれたフサエに尋ねる。
「これは何ですか?」
「ガス調理器ですよ。こうやって使います」
 フサエは近くにあったマッチを擦って火を起こした後、ガス調理器の栓をひねってマッチの火を近づけた。
 ボッと音がして円形状に炎が上がる。
「うわあ、すごい。かまどで時間をかけて火を起こさなくてもいいなんて!」
「この家にあるものは最先端の商品ばかりですからね。この火の上に鍋を置いて食べ物に火を入れるのです。
 何かを調理してみますか?」
 フサエに勧められ、柚香は調理器具が並んで収められている棚の中をざっと眺めてから、さつまいもを蒸かすために鍋に水を入れて火にかけた。

 初めての台所で、これまで見たこともなかった調理器具の使い方をフサエに逐一教わって四苦八苦しながら、久しぶりに甘味を完成させた。

(お母さんと一緒によく作ったな。懐かしい)

 この甘味を作るのは十年ぶりだったので、恥ずかしいが味見をしなければいけない。
 口に入れて噛みしめた途端、込めた想いが身体中に広がり、柚香は自分が作ったくせに赤面してしまった。

(よし、大丈夫。必ず伝わる)

 彦仁(ひろひと)の帰りが待ち遠しかった。


 その日、そわそわしながら柚香は彦仁(ひろひと)の帰りを待った。
「ただいま」
 彦仁(ひろひと)が帰ってきた気配を感じ、急いで玄関まで出迎えに行く。
「おかえりなさいませ、彦仁(ひろひと)さま」
「ああ、ただいま、柚香どの」
 心底ほっとした笑顔を向けられ、柚香はこれからのことを考えてどきどきしてしまう。
「柚香どの、どうかしたか?」
 いつもと少し様子が違うことを気にして彦仁(ひろひと)が声をかけると、柚香は彦仁(ひろひと)の手を取って、ぐいぐいと台所へ引っ張って行く。

彦仁(ひろひと)さま、どうか召し上がってください」
 そう言って柚香が差し出したのは、昼間に作っていた甘味だった。
 柚香が作ったことを悟ると、彦仁(ひろひと)の顔は光り輝いた。
「甘味処では見たことないな。どんな甘味なんだ?」
「はい、私が小さいころに母とよく一緒に作ったさつまいも餡のごま団子です。油で揚げて作っています」
「そうなのか。ではいただこう」
 彦仁(ひろひと)がごま団子を口にいれたことを確認して、柚香はうつむいた。
「んっ、これ、は……!?」
 もぐもぐと咀嚼しながら、彦仁(ひろひと)は身体中に広がる柚香の想いに衝撃を受けてその場に座り込む。
 柚香ははっと気づき、体調が悪くなったと誤解して「彦仁(ひろひと)さま、大丈夫ですか?」と隣に腰を下ろして背中をさすろうとした。

「いや、大丈夫だが……柚香どのの想いがあまりにも深く大きくて、うれしすぎて溺れてしまいそうだ」

 そうつぶやき、うるんだ目つきで同じ目線になった柚香の瞳をとらえ、団子を咀嚼し終わり飲み込むと、彦仁(ひろひと)は「大変美味しかった。ありがとう。俺も愛している」と柚香の耳元で囁き、素早く口づけた。
 片手でお互いの手指を絡ませ、もう片方の手で柚香の後頭部を抱き込み、彦仁(ひろひと)は重ねた唇の柔らかさをじっくり味わった後、柚香の口腔内に舌を侵入させて絡ませながら、これまで以上に深い場所での繋がりを求めた。
「!!!」
 柚香は、侵入してきた舌先に残った自分の想いを再確認させられる羞恥に耐えながらも、はるかに大きな彦仁(ひろひと)自身の想いを熱くぶつけられたことで、気がふれてしまいそうな感覚に陥った。

 夕飯をとっている最中、真っ赤に茹で上がったまま戻らない柚香を、彦仁(ひろひと)は嬉々として見つめ続けていた。