その日、母屋の厨房で作られた三食の食事を、柚香は喜びにうちふるえながらすべて平らげた。
「お魚だ……! えっ、お肉も……!?
 甘くないおかずがたくさん……!
 んんっ、おいしすぎる……!!」
 夢中でがっつく柚香を、彦仁(ひろひと)は愛おしそうに見つめている。
「うまいか?」
「はい!! お魚を食べたのは初めてですし、猪以外のお肉を食べたのも初めてです!」
「そうか、よかったな。
 これからは毎日三食きちんと食べられるから、落ち着いて食べなさい」
 まるで父親みたいなことを言っているな、などと思いながら、彦仁(ひろひと)は笑みをこらえきれなかった。

 食事が終わり、柚香は女中たちに捕われ、風呂に連れていかれてしまう。
「あ、彦仁(ひろひと)さま、これは一体……!?」
「柚香どの、踏ん張れ」
「さあて、ここが女中の私たちの腕の見せ所ですねえ」
 彦仁(ひろひと)とばあやがのんびりとした会話をしていたが、柚香には聞こえていなかった。
 長らくお湯のみで洗髪をしていた柚香の栗色の髪はぎしぎしして地肌は皮脂が詰まっていたところを、複数人の女中に丁寧に洗われ、濯がれる。その後、身体も同じように石鹸で泡立てた手拭いで時間をかけて洗浄される。柚香は抵抗する気力を早々に失い、なされるがままであった。
「ふう、湯舟に浸かるのって、とっても気持ちいいんですね~……」
 文字どおり頭から足先までの女中たちによる長い洗浄を終え、柚香は人生初の風呂に浸かっていた。
「そうですよ。柚香さま、加賀谷家に来たからには、この生活にぜひ慣れてくださいね」
 女中の一人であるフサエが柚香に声をかける。
「もしかして……今後も自分一人でお風呂に入れないってことですか!?」
「はい、おっしゃるとおりです。
 お風呂だけではなく、髪を乾かしたり結ったりするのも、お着物を着るのも、私たちがすべてお世話させていただきますよ」
 にっこりと微笑むフサエを前に、柚香は一人で何かをすることを諦めようと決意した。

 その夜、柚香はふかふかの布団に入る。
「わあ、ふかふかであったかい……」
 着ている寝間着も、加賀谷家で用意されていたものだ。
 今朝、彦仁(ひろひと)から「衣食住はすべてこちらで用意する。柚香どのにとって替えがきかないものだけ持ってきてほしい」と言われ、結局持ち出したのは両親の位牌と調味料の壺二つだけだった。
 急いでいたのもあるが、柚香がそれまで着ていた着物は夏冬それぞれ一着と寝間着しかなく、いずれもぼろぼろだったので持ってきていない。

(私にはこの四つさえあれば、どこでも生きていけるから)

 柚香と時を同じくして布団に入った彦仁(ひろひと)は、隣の布団で横になっている柚香の頭を撫でる。
「柚香どの、今日は目まぐるしい一日だったから疲れただろう。
 これまでの分までゆっくり身体を休めてほしい」
「はい、彦仁(ひろひと)さま。もうまぶたが重くてたまらないです……」
 そう言うと柚香は、直後に寝息をたて始めた。
「ふふ、早いな。可愛らしい」
 彦仁(ひろひと)は寝顔を見つめながら何度も頭を撫でつつ、「美しい栗色だ……」と言いながら、手にした柚香の髪に口づけた。