次の日、いつものように日が昇る前から仕込みの準備をしていると、トントンと一階の店舗裏口の戸を叩く音がした。
(夜が明ける前の暗い時間に誰だろうか……? まさか、物盗り……?)
恐る恐る柚香が引き戸を開けると、昨日助けてくれた彦仁がそこに立っていた。
「ああ、昨日はお世話になりました!
今日はどうしてこんな時間にこんな場所へ?」
ほっとしたが、こんなに朝早くから尋ねてこられる理由が思いつかなかった。
「店の経営者側の人間がいない所で君と話せるのは、この時間しかないと思った。
少しいいだろうか」
柚香は頷き、仕込みをしている店の裏側は物がちらかっていたので、自分が引き戸の外に出る。
彦仁は冷え切った柚香の手を取った。
「君のことを以前からずっと見ていた。
貴女のことが好きだ。
柚香どの、俺の妻になってくれないだろうか」
きんと澄んだ空気の中で、すとんと柚香の心に言葉が届く。
あたたかい彦仁の手から熱が伝わってくる。
その熱が移ったかのように、柚香は自分の顔に火がついたような気がした。
二人の口元から呼気がふわりと白く立ちのぼっては消えていく。
「急に言われましても……」
戸惑いを隠せない。
「そうだよな。突然ですまない。
だが、俺は君以外を嫁に迎えるなんて考えられないんだ」
「で、でも、私など、あなたさまのような人には不釣り合いではないでしょうか?」
(ただ甘味処で甘味を作り続けるしか能がない貧乏な私など)
「そんなことはない。君の存在が俺には必要なんだ。
それに……君はこの場所で一生を働いて終える人生で本当にいいのか?」
ふいに核心を突かれて、言葉に詰まる。
「昨日の諍いも、元は会計担当の説明不足が原因だろう?
君には悪いが、店を経営している君の家族のとばっちりで、これ以上君が嫌な思いをしている姿はもう見たくないのだ。
どうかこのまま俺と一緒に来てほしい。
俺は、これからの君が笑顔で過ごせるように、精一杯努力すると誓う」
彦仁は両手で柚香の手を強く握りしめ、柚香の動揺する瞳を力強い視線でとらえた。
ここまで自分のことを考えてくれる人は両親以外にはいなかった。
そして、今生きている人の中には、目の前のこの人を除いて誰もいない。
とうの昔に柚香はそのことに気がついていたから。
ここから、変わりたい。
ここから、脱出したい。
そのきっかけが何であろうとも。
そして、昨日少年のように弾ける笑顔を見た瞬間から、この人に惚れてしまっていたのだ。
「分かりました。行きます」
柚香はまっすぐ彦仁の焦げ茶色の瞳を見据えて答えた。
「ありがとう」
日が昇って暗闇を切り裂いていく光が、柚香の甘味を食べたときのような彦仁の顔を半分照らした。
夜が明けて空が白み始めていた。
(夜が明ける前の暗い時間に誰だろうか……? まさか、物盗り……?)
恐る恐る柚香が引き戸を開けると、昨日助けてくれた彦仁がそこに立っていた。
「ああ、昨日はお世話になりました!
今日はどうしてこんな時間にこんな場所へ?」
ほっとしたが、こんなに朝早くから尋ねてこられる理由が思いつかなかった。
「店の経営者側の人間がいない所で君と話せるのは、この時間しかないと思った。
少しいいだろうか」
柚香は頷き、仕込みをしている店の裏側は物がちらかっていたので、自分が引き戸の外に出る。
彦仁は冷え切った柚香の手を取った。
「君のことを以前からずっと見ていた。
貴女のことが好きだ。
柚香どの、俺の妻になってくれないだろうか」
きんと澄んだ空気の中で、すとんと柚香の心に言葉が届く。
あたたかい彦仁の手から熱が伝わってくる。
その熱が移ったかのように、柚香は自分の顔に火がついたような気がした。
二人の口元から呼気がふわりと白く立ちのぼっては消えていく。
「急に言われましても……」
戸惑いを隠せない。
「そうだよな。突然ですまない。
だが、俺は君以外を嫁に迎えるなんて考えられないんだ」
「で、でも、私など、あなたさまのような人には不釣り合いではないでしょうか?」
(ただ甘味処で甘味を作り続けるしか能がない貧乏な私など)
「そんなことはない。君の存在が俺には必要なんだ。
それに……君はこの場所で一生を働いて終える人生で本当にいいのか?」
ふいに核心を突かれて、言葉に詰まる。
「昨日の諍いも、元は会計担当の説明不足が原因だろう?
君には悪いが、店を経営している君の家族のとばっちりで、これ以上君が嫌な思いをしている姿はもう見たくないのだ。
どうかこのまま俺と一緒に来てほしい。
俺は、これからの君が笑顔で過ごせるように、精一杯努力すると誓う」
彦仁は両手で柚香の手を強く握りしめ、柚香の動揺する瞳を力強い視線でとらえた。
ここまで自分のことを考えてくれる人は両親以外にはいなかった。
そして、今生きている人の中には、目の前のこの人を除いて誰もいない。
とうの昔に柚香はそのことに気がついていたから。
ここから、変わりたい。
ここから、脱出したい。
そのきっかけが何であろうとも。
そして、昨日少年のように弾ける笑顔を見た瞬間から、この人に惚れてしまっていたのだ。
「分かりました。行きます」
柚香はまっすぐ彦仁の焦げ茶色の瞳を見据えて答えた。
「ありがとう」
日が昇って暗闇を切り裂いていく光が、柚香の甘味を食べたときのような彦仁の顔を半分照らした。
夜が明けて空が白み始めていた。