ある日、柚香が裏手の調理場で注文どおり団子を焼いていると、店の方で怒鳴り声が聞こえた。
 普段なら団子を焼いている間は七輪に付きっきりなのだが、胸騒ぎがしたので、団子を網から下ろして店に向かう。
 すると、二人組の男性が女中に声を荒げているところに、一人の若い男性が間に入って仲裁していた。

「団子が出てくるのが遅い! 金返せ!」
 二人組のうち、一人は机を両手でばんばんと叩いており、もう一人は椅子を蹴っている。
 大きな物音が立て続けに店内に響き、不穏な空気が広がる。
「ぜんざいの方が出てくるのが早いことを知らないのか?」
 若い男性が諫めるように声をかけたが、焼け石に水だった。
「知るか! そんなの聞いてないぞ!」
「何だぁこいつ……おれたちは急いでいると言っていたんだ!
 なのにわざと遅らせているに違いないだろ!」
 その男は、怒りに任せて入り口付近まで行くと「おい、この店、急いでいるのにわざと甘味を出すのを遅らせるからな、入らない方がいいぞー」と大声で営業妨害まがいのことも言いふらし始めた。

 ああ、やっぱりと柚香は思った。
 まただ。
 毎日、日替わりでやって来る女中に対して「団子は注文が入ってから焼き始めるので時間がかかること、ぜんざいの方はすぐに出せること」を客に説明するよう伝えているのだが、この様子からすると今日の女中がその説明をしなかったようだ。

女将(おかみ)はその旨の説明をしていなかったのか?」
 仲裁に入った男性・加賀谷彦仁(かがやひろひと)が鋭い視線を向けて女中に尋ねると、
「ヒッ……! してませんでした……」
 あっさりと白状した。

 彦仁(ひろひと)はため息をついて懐から金を出し、二人組の前に置く。
「これでいいだろう。早くこの店から失せろ。二度と来るな」
 彦仁(ひろひと)は誰にも気づかれないように二人組の手に触れながら、紫色に瞳を光らせた。
 二人組は先ほどの勢いが急に消え、無言になったかと思うと、すんなり金を受け取ってさっと店を出て行った。

 そのとき店内にいた他の客は甘味を食べ終わっていたらしく、二人組が騒ぎ始めてから、ささーっと店内から出て行き、店には彦仁(ひろひと)と連れの二人が残っていただけだった。
 柚香が店の外を確認しに行くと、先ほど入り口付近でわめき散らされた影響か、いつもならずらりと並んでいる行列もいつの間にかなくなっている。

(せっかく一番繁盛する時間帯だったのに、これでは甘味がかなり売れ残ってしまう。売上が落ちて明日また義父から怒られる)

 柚香は女中に対して心底恨めしい気持ちになったが、それはさておき、急いで彦仁(ひろひと)に駆け寄った。
「助けていただいてありがとうございました!」
 深々とお辞儀して礼を言う。
「お客さまがあの二人にお支払いされたお金をお返しします」
 そう申し出たが、断られた。
「いや、その代わりにあの二人が頼んだ団子を食べてもいいか?
 今日はぜんざいを頼んだから、団子は食べていないしちょうどいい」
「ええ、それはこちらにとってありがたいので構いませんが……」
 柚香が戸惑っていると「さあ、早く団子を焼いてきてくれ」と彦仁(ひろひと)から急かされ、首を傾げながら裏手の調理場に戻った。

 みたらし団子を二人分持って行くと、彦仁(ひろひと)は連れの男性と三人で一斉に団子を食べ始める。
 途端に少年のように表情がほころぶ。
「ああ、うまいな」
 幸せに満ちた顔だった。
 立っていた柚香に笑顔を向けて、彦仁(ひろひと)は「とても、うまい」とさらに告げた。

 柚香はそのとき初めて、彦仁(ひろひと)の顔に見覚えがあったこと、何度か店に来てくれている客の一人だと気づいた。彦仁(ひろひと)は、目鼻立ちが整っており、艶やかな黒色の短髪までも美しい青年であった。
 そのような男性から少年のような笑顔を向けられたことは、これまでの人生で一度もなかったものだから、顔を真っ赤にしてうつむきながら「ありがとうございます」とか細い声で言うのが今の柚香にとって精いっぱいだった。

「本当にここの甘味は美味しいですね」
 ほっとした表情で、連れの男性のうち眼鏡をかけた銀色の長髪を持つ細身の男性・加藤聡(かとうさとし)がそう言ったかと思えば、
「うん、美味しいです」
 もう一人、彦仁よりもさらに黒色の短髪で角刈りに近く、がっしりとした体形の男性・藤島晴(ふじしまはる)も口元をもぐもぐ動かしながら頷いている。

 柚香は、はっと思い出して調理場に行き、品書きにはない橙色の餡が乗った団子を三本、皿に乗せて戻ってくると、三人に差し出した。
「これ、まだ試作品なんですけど、先ほどのお礼によかったら召し上がってください」
 それは、先日取引先にもらったかぼちゃで作ったかぼちゃ餡の団子だった。
「おお、うれしいな。ありがとう」
 彦仁(ひろひと)はそう言うとかぼちゃ餡の団子を口に運び、「やはりうまい」と満面の笑みを見せた。
「感謝の味が広がって心に沁みますね」と加藤も同調する。
「よかったです」
 はにかみながら笑って柚香は言った。

 会計担当の女中は彦仁(ひろひと)に鋭い目線を向けられたことが大層怖かったらしく、柚香と彦仁(ひろひと)たち四人を遠巻きに眺めているだけで、何も言わず介入もしてこなかった。