柚香は、来たる日のために、再び鈴木のもとを訪れ、練り切りの別の形を教わり、色の混ぜ方や形成方法を練習した。
 また、白あんと黒こしあんの材料をフサエに用意してもらい、別邸の台所で同時にあんこの練習にもとりかかる。
 幸い記憶力には自信があったので、二回ほど作ったところであんこの作り方を完全に習得できた。

 おそらく、最初で最後。
 だからこそ、自分にできる最高のものを食べてほしかった。
 それが、長年ひどい扱い方をされてきた義理の家族であっても。
 柚香にとっては、他人の口に入る食べ物を作る者としての責務の方が大事だった。


 当日。
 川原家は三人で加賀谷家にやってきた。
 別邸の応接間に案内され、茶が出される。
 しばらくして、彦仁(ひろひと)が一人で姿を現した。
「本日はよくぞ来てくださいました。加賀谷彦仁(ひろひと)です」
 三人は改めて間近で見る彦仁(ひろひと)の美しさにほうっと見惚れていた。
「単刀直入に申し上げる。
 柚香を返していただきたい。
 その代わり、こちら、私どもの長女であるさゆりを加賀谷さまの妻として嫁がせたく存じます」
 川原家の当主である川原(ごう)が言い、さゆりが頭を下げると、豊かな黒髪がさらりと動いた。
「大変申し訳ないが、その申し出には応じられない」
 彦仁(ひろひと)が冷たく告げる。
「なぜですか!? あんな汚い小娘より、さゆりの方がよっぽど器量がいいのは見れば分かるでしょう!」
 豪の妻・川原つゆが声を荒げて食い下がる。
「私どもには、柚香がいないと困るのです。どうかご賢察の上、ご検討を」
 豪も粘り強く再考を促してくる。
「ではお尋ねするが、そこまで柚香どのを必要としていながら、あなたがたは過去柚香どのに対して、衣食住に不自由ない環境を与えていたのか? 柚香どのに対して自分の家族と同じように接してきたのか?」
 空気を切り裂くような彦仁(ひろひと)の声が応接間に響き、三人は揃って押し黙った。
「もうよい。話し合う余地がない。あれを用意してくれ」
 彦仁(ひろひと)が外に声をかけると、柚香が障子を開け、お盆の上に練り切りを三つ載せて現れる。
「え、柚香なの……?」
 さゆりが呆然とつぶやく。
 柚香は、さゆりよりも高級な着物を着て、照り輝くような栗色の髪を複雑に結われ、ほんのりと化粧まで施していた。
 さらに心身が健康になり、内側から発光しているかのような美しさをまとっている。
 川原夫妻は柚香の見た目の変わりように驚いて声も出ない。

 柚香はそれぞれの前に、外側が白く内側が桃色をした花の練り切りを置いた。
 そして、三つ指をついて頭を下げ「ひなげしの練り切りです。本日のために用意いたしました」と説明した。
「さあ、お三方のために特別に用意したのですよ。ぜひ召し上がってください」
 先ほどとは打って変わって笑顔で菓子を勧める彦仁(ひろひと)に怪訝な顔をしながらも、三人は菓子切でひなげしを切り分け、口に運んだ。

「……!!」

 三人は一瞬動きを止め、練り切りを飲み込んでから、誰もが穏やかな表情になった。
「大変美味な練り切りですな」
「わたくし、こんなに美味しい練り切りを食べたのは初めてです」
「まるで感謝の気持ちが身体に広がっていくような……とても美味しいわ」
 どんどんと練り切りを口に運び、皿の上がいずれも空になったところで、豪が今初めて気づいたかのように柚香に視線を向け、声をかけた。
「はて、そちらの美しいお嬢さんはどなたさまかな?」
「栗色の御髪が綺麗ですわね」
「お召しになっているお着物も素敵です」
 柚香は静かに息を吸い、声が震えないように細心の注意を払いながら短く答えた。
はじめまして(・・・・・・)、柚香と申します」

「加賀谷さま、どうか花嫁候補として、この我が娘さゆりをお考えくださいませ」
 豪本人は気づいていないが、彦仁(ひろひと)に対して、本日二度目(・・・・・)の申出を行う。
 彦仁(ひろひと)は近くに座っていた柚香を抱き寄せ、三人の目を代わる代わる紫色の瞳で見つめながら力強く告げた。
「私にはこのように美しく可愛らしい妻がすでにいるので花嫁候補は必要ないのですよ。どうぞ速やかにお引き取り願いたい」

 川原家の三人は無言で立ち上がり、すーっと加賀谷家から出て行った。
 頭では分かっていたが、柚香はたまらずはらはらと涙をこぼし、側にいた彦仁(ひろひと)は柚香をきつく抱きしめた。