大人になったらインスタグラムのフォロワーが一万人を超えるような人間にはなれなくても、それなりに毎日幸せで、他人に少しは憧れてもらえるような、丁寧な生活が送れると思っていた。

一週間に二回ほどは部屋の掃除をして、お風呂には毎日はいる。日付が変わらないうちに眠って、ぬるい夢をみたりみなかったりする。恋人はいてもいなくてもいい。友達とは時々、会いたい。SNSやメールの返信は、なるべく見た時にしてしまいたい。

そういうことが何も考えずとも、できる自分でいたかった。全て頭の中でイメージすることができるから、簡単なことだと思っていたし、社会とはそういう人間たちの生きる場所だと教科書には載っていなくともあらゆる大人に教わった。

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だけど、現実はてんでダメだ。

部屋の片隅に転がる缶ビールの空き缶、脱ぎっぱなしの服、少し歩くと足の裏にへばりつく埃。お皿も調理器具も使うだけ使って洗わないまま、二週間ほど放置している。五日間、お風呂には入っていないし、ベランダには捨てるタイミングを逃し続けたゴミがたまっている。

保険に新しく入ったり、クレジットカードを作ってみたり、お酒が飲めるようになって、煙草も吸うようになって、生きることの責任も自由も義務も全てが雪崩れるように押し寄せてきた。それに耐えられないとは思いもしなかった。

何かがおかしいと思ったのは実家を出て一年ほど経ってからだ。約束が守れない。時間感覚がつかめない。人と会うのが億劫になって、できないことが増えていった。

生活リズムにはすぐに乱れが生じるし、お酒を飲んでアルバイトへ行くようになってからは、すべてを捨てて北極へ逃避行することばっかり考えてしまう。

だけど、そんなことができる余裕も、ここ一週間ほどはなくなっていた。どうすればいいのか分からない。

何にもうまくいかないのに、お腹だけ減って、つけっぱなしのテレビに笑って、充電器にさしっぱなしのスマホで「体調が悪いのでお休みさせていただきたいです。大変申し訳ございません」と、嘘なのか本当なのか分からない断りのメッセージをあらゆる場所に送る。

ハロー、ハロー、ドコカノアナタ、私ってどうしてこんなにダメなんだとおもう?

誰も答えてくれないし、生温い缶ビールが不味くて、涙が出てきた。嫌いだ。自分が大嫌い。

でも勢いに任せて死ぬこともできない。宝くじでもあたらないかな。買いに行くのは億劫だから、出前みたいに届けてほしい。

そんなことを考えながら、九九以上たまっているLINEを返す気もないくせにスクロールしていたら、不意に、ピコン、と新しいメッセージが送られてくる。

どうせつまらない公式アカウントからだろう、と思ったけれど、ここ数週間、連絡を取り合っていなかった相手からで驚いた。

小中高と学校が同じ、いわゆる腐れ縁の、オータという男だ。呆れるくらい陽気で、柄シャツばかりを着るAB型の人間。

いつまで近くにいるのか分からないけれど,腐れ縁というものは納豆くらいのねばりを発揮するものらしく、大学こそ同じではなかったものの、同じ街のかなり近くのところに通っていた。住んでいるところも同じ区で、自転車で十五分くらいの距離。

オータ相手だったら、既読や未読を気にする気にならなくて躊躇なくトーク画面を開く。そうしたら、〈焼き肉いかね?〉とのお誘いと、涎を垂らしている変ないぬのスタンプが現れた。

いきなりなんだよ、こっちはもうずっとボロボロだって言うのにさ。

オータは人との約束も守れるし、基本的にちゃんとしているし、単位も落とさないし、日の下で健康的に生きていくことができる人種だ。

ランドセルをかついで、二人で点滅信号をダッシュで渡ったときは、私もオータもおんなじだっただろう。

私は美大。オータは工業大学。高校生の時、受験勉強だって、科目は異なれど、お互いに頑張っていたし、本当にさ、親の元で暮らしていたときはたぶん二人ともふつうで、私はオータ側、つまり、まともでいることができていた。

それなのに、一人で暮らすようになってからはどんどん差がついて、今じゃもうこのザマだ。

ああ、だめだ。また、泣けてくる。

オータ、わたしってさあ、まじで、どうしてこうなっちゃったのかな。どうしてこのタイミングで、あんたは私と焼き肉が食べたくなるのかな。

暗闇の中で、スマホだけが発光している。じっと見ていたら、追加でいぬのスタンプが送られてきて、数秒後、通話の画面に切り替わった。